お金と幸福との関係を考えるうえで、心の非線形性はポイントになります。
年収にも同様の傾向があります。それを検証したのが、カーネマンが、調査会社ギャラップと共同で行った調査です。
次の図をご覧ください。カーネマンの研究結果を単純化して模式化したものです。年収7万5000ドルまでは、収入が増えれば増えるほど、幸福度も上昇しています。ところが、年収7万5000ドルを超えると、幸福度の上昇カーブが水平を描くようになります。
このラインを境に、幸福度と収入が比例しなくなるのです。まさに心の非線形性です。もちろん、これは平均値であって、個人差はあります。
また、この金額は、地域や職業によって、大きく異なります。マンハッタンのトレーダーなら100万ドルかもしれないし、「世界一幸せな国」と呼ばれているブータンの国民なら1000ドルかもしれません。
日本の一般的な会社員だと、いくらになるでしょうか。7万5000ドルを日本円に換算すると、約800万円です。アメリカの給与水準は日本より高く、国際比較は為替だけでなく購売力平価も考慮すべきなので、日本人に置き換えるともう少し低いかもしれません。
日本人の平均年収は、およそ440万円です。それよりちょっと上、500万~600万円あたりが、一般的な日本人の「幸福度の壁」ではないかと思います。「7万5000ドル」という金額はあくまでアメリカでの研究結果なので、この金額が一人歩きしないほうがいいと思います。
ではなぜ、あるラインで幸福度が頭打ちになるのでしょうか。カーネマンは経済学者として、さまざまな学術的考察をしています。簡単にいうと理由は大きく3つあります。
1つはワインの例で述べたように、あるラインを超えると「ぜいたく消費」になるからです。今は1000円も出せば、プロのソムリエは別としても、私たちにとっては悪くないワインを手に入れることができます。それが1万円のワイン、10万円のワインになったところで、幸福度は10倍、100倍にはなりません。
「ぜいたく消費」は、一見うらやましいと思いがちですが、実際にやってみると、想像するより幸福度は高くないのです。
また、1000円のワインを飲んで「最高に幸せだ」とアンケートに答える人は、3000円のワインを飲んでも、1万円のワインを飲んでも、「最高に幸せだ」と答えるはずです。これは統計調査の限界でもあるのですが、例えば7段階で聞いているとすれば、それより上の8段階目はないのです。よって、どこかで必ず頭打ちになってしまう。
一方、1000円のワインを飲んで「美味しくない、もっと高いワインが飲みたい」と思う人は、1万円のワインを飲んでも、10万円のワインを飲んでも、「こんなの嫌だ、もっと高いワインが飲みたい」と思うでしょう。1000円の自分にも、10万円の自分にも満足できない。やはり幸福度が頭打ちになってしまいます。
これこそが、多くの人が憧れる「ぜいたく消費」の正体といえます。華美な宣伝、広告、メディアの煽りに騙されないでほしいと思います。ぜいたく、ゴージャス、プレミアム感、ラグジュアリーを煽る広告は多いですが、これらは長続きしない幸せしかもたらさないのですから。
もう1つの理由は、年収が上がることによって満たされるのは満足度だけで、幸福度そのものではないということです。
満足度というのは、どう取るかにもよるのですが、使えるお金、住む家、乗っている車、食べるものなど、「さまざまなことがらにどれだけ満足しているか」を示す指標です。
一方、幸せは、幅広い要素によって成り立っています。生活満足度、人生満足度、職場満足度、健康満足度、感情的満足度、将来満足度など、いろんな満足が合わさって、初めて「自分は幸せだ」と言えるのです。下図に示したように、幸せとは、さまざまな満足の集合体なのです。満足は部分的指標、幸せは全体的指標なのです。