日本企業が今も根付くアマゾンの理念に学ぶ事

また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要なときに提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重しあえる社会、1人ひとりが快適で活躍できる社会となります」

「人間中心主義」が理念に掲げられている

筆者がSociety5.0に注目するのは、とくに「人間中心主義」が理念として掲げられているからです。こうした説明からもうかがえる人間中心主義こそは、GAFA(アメリカのグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の次に来るもの、また2025年のポストデジタル資本主義の行方を示すものです。

現段階では、Society5.0の議論における人間中心主義は抽象的であり、また日本政府も大企業も、人間中心主義を具体的に描き切ることができず、実践もできていないように思われます。例えば「無人レジ」は、カスタマーエクスペリエンスの向上ではなく生産性向上を目的関数としており、「ツータッチ」で決済が終わる中国の無人レジ、あるいはタッチもいらず商品を手にしたら「ただ立ち去るだけ」でいいアマゾンの「アマゾン・ゴー」とは、カスタマーエクスペリエンスにおいて比べ物になりません。

日本は、政府も企業も生産性向上が目的関数になっているのです。GAFAやBATH(中国のバイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)は、もちろん収益を求めていますが、その手段としてのカスタマーエクスペリエンス、利便性向上に本気で取り組んでいます。現時点においてどちらが人間中心主義に近いかといえば、正直、後者ではないかと思わざるをえない状況です。

しかし、日本が再び国際社会をリードする存在になるうえで、人間中心主義は避けて通れません。

そのためにまず必要なのは、目の前にいる顧客へ価値を提供すること、その顧客の課題を解決すること。その積み重ねが、その集積が、社会的課題の解決にもつながります。いわば、ミクロ的な人間中心主義からのスタートです。

これは決して難しいことではなく、すでにアメリカ、中国のテクノロジー企業が手本を見せてくれているものです。彼らの言うカスタマーエクスペリエンス重視とは、人間中心主義の一端であることは否定できないでしょう。

もしもベゾスが人間中心主義を定義するなら

もしも、アマゾンのジェフ・ベゾスがSociety5.0の人間中心主義を定義したら、どうなるだろう。筆者はそんなことを考えます。

金融専門誌ユーロマネーによる「ワールドベストデジタルバンク」の称号を2度獲得したシンガポールのDBS銀行は、デジタル化にあたって、こう考えたそうです「ジェフ・ベゾスが銀行をやるとしたら、何をする?」。そこから逆算する形で、彼らは「会社の芯までデジタルに」「従業員2万2000人をスタートアップに変革する」等の、大胆な方針を導き出しました。

同じように、「アマゾンのジェフ・ベゾスが日本におけるSociety5.0の人間中心主義を定義したら」と考えてみることは、面白い示唆を与えてくれることでしょう。

ヒントとなるキーワードは「マクロ宇宙」と「ミクロ宇宙」です。「マクロ宇宙」とは「地球上で最も顧客第一主義の会社」というアマゾンのビジョンや、「宇宙を目指す」といったベゾスの壮大な世界観を表現するのに適切な言葉であると思っています。

一方、「ミクロ宇宙」とは、ミクロ的で小さな宇宙のことを指し、1人ひとりの人間や1つひとつの細胞を表す言葉です。ベゾスは顧客第一主義を「聞く」「発明する」「パーソナライズする」と定義し、「顧客をその人の宇宙の中心に置く」ことをパーソナライゼーションとしてきました。「顧客1人ひとりの宇宙に対応する」という意味においては、人間中心主義とも言えるのではないかと思います。