プロ野球を辞めた男たちを待つ「甘くない現実」

「職人芸」で汎用性はほとんどなく期間も限定

人生のほぼすべての時間と情熱を注ぎ込んで手にした能力を、そのまま次の世界でも生かせることは、普通に考えれば非常に自然な流れに見える。しかし、それは将来を約束された仕事ではない。あくまで、プロ野球という特殊な世界のみで生かされる「職人芸」であり、汎用性はほとんどないうえに、使える期間も2つの意味で限られている。

早いうちに社会に出たほうがいいという見方もある(撮影:梅谷秀司)

1つ目は、バッティングピッチャーなどの特殊技能は、投げる体力が必要であるということ。50歳でも現役の打撃投手はもちろんいるが、さすがに一生できる仕事とは言いづらい。

2つ目は、後任の枠を開けなければならないこと。25歳でクビになった投手を再雇用する際、世代交代の波は裏方にも及ぶ。よって、前述の森氏の言葉がより一層深みを増すこととなる。それは、「早いうちに社会に出たほうがいいという見方もある」という言葉である。

「社会に出る際にいちばん多い悩みが、“何をやっていいかわからない”ということです。現役選手の頃は社会との接点が少なく、世の中にどのような仕事があるのかを知りません。かくいう私も、同じような悩みを持った1人です」

森氏自身も、プロ野球をクビになった1人である。1981年から阪神タイガースに在籍し、1986年に戦力外通告を受けている。高卒6年間でクビになり、当時24歳。大阪から地元の千葉県に戻り、関係各所に相談した結果、証券会社で働くことになる。最初の仕事は「場立ち」と呼ばれる、証券取引所の立会場で手サインを使って売買注文を伝達する役目だった。

「もちろん、証券のことも手サインのことも何もわからない中でのスタートです。必死に仕事を覚えて、その先に営業も経験して、10年ほど務めました」

保険の代理店の会社で独立したのち、さまざまな縁の中でプロ野球の世界へと戻ってくることとなる。プロ野球選手会、それは、当時の森氏にとって未知の仕事だった。

「最初、誘われたときは即答できませんでした。具体的に何をやるのかわかりませんでしたから。いろいろ調べてわかったことは、簡単に言うと、選手の役に立つのが仕事。だったら、自分にも経験を生かして役に立てそうだと思って、決断しました」

「引退後の選手のサポートに関して、”選択肢を増やす”ということを選手会事務局としてメインに取り組んでいます。現役の頃から多くの情報に触れられるように研修を行い、そこでは引退後に活躍している元選手についても紹介します。戦力外通告を受けた選手には全員に電話し、相談にはいつでも乗れるように準備をしています。また、昨年からは退団研修会といって、戦力外通告を受けた選手を対象に研修会を行いました」

引退した選手の選択肢が増えるよう、選手会事務局としてサポートに取り組んでいる(写真:梅谷秀司)

民間企業の中にも、協力体制はできつつある。ソフトバンクヒューマンキャピタルは、引退後のアスリートを中心に再就職先を支援するサービス(イーキャリアNEXTFIELD)を2014年から開始している。ここには900社を超える企業が登録をしており、引退後の選手の選択肢を増やす一助となっている。

また、國學院大學とプロ野球選手会が提携し、引退後の選手は(高卒に限り)入学金と授業料を4年間免除にするというサポートを開始した(Jリーグはリーグとして提携しており、元Jリーガーも同様のサポートを受けられる)。現在、3名の元プロ野球選手が大学生となっている。

しかし、サポート体制がいかに整おうと、肝心なのは引退後のアスリートが自らの意思で次の一歩を踏み出す勇気と覚悟である。ここに関しては、選手側のマインドがいかに育つかにかかっている。