ここまで、4つの理由を聞いて、僕はなかなか衝撃でしたが、それでもまだ、なんとなく予想できる回答でもありました。少なくとも、読書しない人の本を読まない理由を、本が好きな僕が察すると「こういう答えが返ってくるだろうな」と想像できたものだからです。まあ、支持するかしないかはさておき。
でも、Aさんから最後の5つ目の理由を聞いて、僕は驚愕してしまいました。
僕にとって想像を超える答えが返ってきたのです。
ネットのほうが便利。つまり「読書は不便」ということらしいです。今度こそ、僕は超特大の衝撃を受けました。
僕には読書を、本を読むという行為を、今まで「便利か不便か」という枠で捉えたことがなかったからです。読書という行為の修飾語として、便利とか不便とか、そういう言葉自体を頭に想像したことが、僕には今までありませんでした。「楽しいか、楽しくないか」ならわかります。「面白いか、つまらないか」も理解できます。
でも、Aさんにとっては、そもそも読書がそういう枠内のものではなかったということです。定義からして違ったわけです。
衝撃を引きずったまま、僕はAさんに問いを続けました。
「ネットのほうが便利って、どういうこと?」
すると、Aさんから、これまた衝撃的な見解が飛び出てきたのです。
「だって、その本のストーリーを知りたければ、まとめサイトとか見ればいいじゃないですか?」
「え、まとめサイト?」
「そのほうが早いし、わかりやすいし、便利ですよ」
例えば、ドストエフスキーの『罪と罰』が面白いと、誰かから聞いたとします。すると彼は『罪と罰』で検索し、そのまとめサイトを読んで、内容を理解するのだそうです。
本そのものを読まなくとも、それで『罪と罰』のストーリーはわかるので、それ以上に何が必要なのか、ということでした。
「まあ、それで『罪と罰』の面白さは、少なくとも理解できますよ。それじゃいけませんか?」
彼の言いたいことはわかります。ですが……。僕は読書のすばらしさを、なんとか説明しようとその後も続けました。
角田「いや、読書体験というのは、もっと全然違うものでさ」
Aさん「え、何が違うんですか? 例えば?」
角田「例えば、何気なく読み始めたら、面白いミステリーがあったとするよ。もう続きが気になって気になって、朝まで徹夜で読んじゃったりってことだよ!」
Aさん 「そういうこと、ゲームでしたら、しょっちゅうあります!」
僕ら読書好きの多くは「本を読むと楽しいですよ、人生が変わるきっかけになりますよ」「直接できない体験や、会えない場所や時代の人とアクセスすることができるんですよ」と、本を読まない人に伝えたことがあると思います。
でも、本を読まない人には、それ以前の問題なのです。読書のよさをいくら言われても、本自体にアクセスすることが面倒なのです。つらいし、時間がかかるし、楽しくないし、よくわからないし、不便だから。
つまり、旅好きな人に「海外旅行は楽しいですよ」と言われても、成田空港に行くのが面倒だからという理由で行かないような。
「いや、角田さんの言っていることは、なんとなくわかりますよ。海外旅行は楽しいんですよね。でも、成田空港って遠いじゃないですか? いちいち成田まで行くの、つらいし、時間かかるし、楽しくないし、よくわからないし、不便じゃないですか。なんでそうまでして、わざわざ海外に行かなきゃいけないんですか?」
こういう感じで、海外に行く前に、そもそも空港に行く前で、彼らは読書を敬遠しているのでした。