〈解説〉エミー賞18冠の『SHOGUN 将軍』は全米中が高評価なのか?ここでも見えるアメリカの“分断”

2024.09.19 Wedge ONLINE

 また、主要テレビ局には深夜時間帯にナイトショーを放送する文化があるが、そこでもトランプがやり玉に挙がっている。CBSのスティーヴン・コルベアショーでは、過去の大統領の等身大人形を飾る館の改装が行われたというナレーションに続いてその内部が映し出されると、ほかのすべての人形が正装する中、トランプだけがオレンジ色の囚人服を着せられている。

 それぞれが業績を語る中、リンカーンが「奴隷解放宣言を制定した」と述べた次に、トランプは「私はポルノスターとセックスしてそれを隠すためにいろんなごまかしをした」と述べて、奉仕活動のためのごみ拾いに行ってしまい、そこに笑い声がはいるというものが放送された。むろんバイデンやハリスも笑いの対象となるが、トランプを題材とするものが数の上で圧倒的で、しかもどぎつい。

 ハリスの副大統領候補であるティム・ウォルズがトランプのことを「ウィァード」(変な奴)と呼んだが、それはメディアでは問題化されなかった。これまでトランプは様々な少数者を侮蔑的に語ってきたことで散々批判されてきたが、トランプに対しては蔑称で呼んでもよいのかと不公平に感じた人もいたはずである。

 確かにトランプ自身はもともとテレビ界の人間として、半ば笑いの種になることで人気を博してきた。そのため、トランプを「いじる」のは許されるというのもわからなくはない。ただ、トランプがタレントから大統領候補や大統領になって以降も、体格に比べて手が小さい、後ろから毛を無理やり前に持ってきた髪型がおかしい、オレンジ色の顔色が変だ、などその外見を笑いものにするメディアの姿勢は目に余るものがある。

根深い断絶、内乱への懸念も

 トランプ自身が他者を頻繁にいじめているのだから許されるという考え方もあろうが、だからといってトランプの外見をあげつらってもいいという姿勢を見ていい気持にならない人も多いだろうし、人の外見をあげつらっても許されるととらえられかねないような行為に眉を顰める人もいるだろう。お金や力のあるセレブたちが束になってトランプを笑いものにする様子を見れば見るほど、笑いものにされるトランプ側に自分を重ねる人々もいるだろう。コアなトランプ支持者たちは、もともとそのような番組は見ないだろうが、民主共和両党の中道寄りの人々や無党派層の投票行動に、トランプを笑いものにする姿勢が影響を与えはしないだろうか。

 セレブや主要メディアがこぞってハリス寄りであることによって、ハリスを支持することの正当性を疑わない人々と、それに鼻白んでトランプを支持する人々との間の断絶は深い。この11月の選挙でトランプが敗北した場合、前回の選挙の直後に起きた議会襲撃のような暴力事件が発生し、内乱になると予測する人もいるほどである。この分断はどのようにすれば回復できるだろうか。

 南北戦争は、第二次世界大戦時の米国人死者を超す犠牲者を出した内乱であったが、その時は、南部白人も北部白人も共によく戦ったという白人男性通しのつながりを讃えることで、統一を回復することができた。しかし、もはや多様性の進んだ米国ではそのような連帯が国を牽引するのは難しい。多様性が国をまとめる方法をみつけなければならないが、その困難さがこの分断の解決が見えない理由ではないだろうか。

 『SHOGUN 将軍』のエミー賞18冠は、日本文化が米国社会に受け容れられ、評価された証とも言えるが、それが多様性および分断が進む米国の一部であることも頭に入れておかなければならない。(文中敬称略)