2023ヤクルト髙津流 躍動の燕マネジメント

開幕好スタートも「まだ始まったばかり」
田口麗斗投手を新クローザーに抜擢した理由

田口麗斗投手をクローザーとした理由

――開幕前には「誰がクローザーとなるのか?」と注目を集めていましたが、田口麗斗選手が抑えを任されています。これは、いつ頃決定したのか、その理由は何ですか?

髙津 決めたのは開幕ギリギリのことです。オープン戦全日程が終わって、「さぁ、どうするんだ?」となったときに「田口にしよう」と僕が決めました。その理由は、いろいろあるんですけど、よく言われるように「度胸があるから」とか「負けん気が強いから」という理由で選んでいないことは確かです。クローザーってそんな簡単なものではありません。もちろん、そこもゼロではないですけど、そこは小さな一部です。そこ以外の大切な部分があって…我々の時代で言えば佐々木(主浩)さんや岩瀬(仁紀)はそれを持っていました(笑)。

――田口投手の決め球であるスライダーであったり、ストレートのスピードであったり、技術面での要因が決定の理由ということですか? それとも、結果を引きずらない「切り替え力」などのメンタリティが優れているからでしょうか?

髙津 プレー面もそうですし、クローザー向きのメンタルも持っていますよ、田口は。彼が切り替え力があるかどうかは、僕にはわかりません。ちょっとうまく説明できないんですけど、「度胸があるから」とか「空振りが取れるボールがあるから」という理由だけで選んだわけではなくて、いろいろシミュレーションをして、「誰をどこで起用すれば、それぞれが力を発揮できるのか?」ということをいろいろ考えて、最終的に決めました。

――田口投手には、「今年はお前に任せた」と、監督自ら伝えたのですか?

髙津 直接、告げてはいません。少なくとも、僕は伝えていません。ピッチングコーチには、開幕する2~3日前かな、それぐらいに伝えました。もしかしたら、コーチから伝えられているかもしれないけど、たぶんコーチも伝えていないと思いますね。

――監督は現役時代ずっとクローザーを任されてきましたけど、事前に伝えられてはいなかったのですか?

髙津 僕は日本だけでなく、アメリカや韓国や台湾とか、いろいろなところで野球をやってきましたけど、ヤクルト時代の野村監督もそうですし、シカゴ・ホワイトソックス時代のオジー・ギーエン監督もそうですし、事前に「君が抑えだ」と言われたことが一回もないんです。だからというか、変なプレッシャーをかけるのもイヤですし、僕も田口には伝えなかったです。でも、特に深い理由があって伝えなかったわけではないですけど。

――現役のときに「事前に伝えてほしかった」という思いはなかったのですか?

髙津 なかったですね。よくわからないまま初セーブでしたし、自然とその後もそうなっていったというか。田口については、いいスタートダッシュを切って、頑張ってくれているので、ぜひその調子でこれからも進んでほしいと思っています。

――監督4年目のシーズンが始まりました。今年は声出し応援も解禁され、かつての日常が戻ってきた感もあります。就任と同時にコロナ禍に見舞われた監督にとって、この光景はどのように見えていますか?

髙津 いいですね、あの光景は。試合に勝って、一塁側にみんなで整列をして、スタンドに手を振りますよね。あれは幸せな瞬間です。あのときに流れる「This is Me」を聴きながら手を振るのはすごく幸せですよ。そのときに「あぁ、こんなにたくさんのお客さんがいたんだ」とか、「こんなに傘の花が咲いているのか」と確認できるのは、すごく嬉しいです。

――ペナントレースが始まった今、監督からのメッセージをいただけますか?

髙津 僕たちの野球は、一つずつ丁寧にプレーしつつ、その逆に失敗を恐れずに思い切ってプレーする部分が同居しています。だから、一見するとものすごく細かい野球をやっていることもあれば、逆に「?」と見えるプレーがあったりするかもしれない。僕らは毎試合、細かく丁寧に、そして思い切ったプレーをしていきたいと思っています。先日のWBCもそうですけど、ハラハラドキドキしながら、みんなで大騒ぎして見ていただきたいです。ようやく、そのスタイルが戻ってきた今、ぜひ野球を楽しんでほしいと思います。引き続き、「応燕」よろしくお願いします!

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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