2020ヤクルト 高津流スワローズ改革!

ベテランや外国人選手への気遣い――
「誰もが絶対に輝ける場所がある」という揺るがぬ思い

「チームスワローズ」で一丸となって戦っていく

――一方で、外国人選手との接し方で気をつけていることはありますか?

高津 外国人選手との接し方はかなり気を遣いますね。単純に「打った、打てない」とか、「抑えた、打たれた」という以前のストレスがありますから。やっぱり、異国の地で野球をするというのは、実力以外の部分の問題が大きいですからね。

――アメリカ、台湾、韓国でプレーした経験を持つ高津監督の言葉だけに、すごく説得力がありますね。

高津 自分の経験が、彼らの役に立つかどうかはわからないけど、彼らは相当難しい環境の中でプレーしているのは間違いないと思います。基本は「ストレスやプレッシャーを感じることなく、のびのびとプレーできること」。それが、本来持っている実力を発揮する近道だと思いますね。

――そのためにはどんなことを心がけているのですか?

高津 これは、もう密なコミュニケーションしかないと思いますね。一応、「何か不満があったら、何でも言ってくれ」とは言っていますけど、そうは言っても、なかなか監督に直接不平不満は言いづらいですよね。だから、できるだけ通訳を介して話をするようにしていますし、通訳にも「何でも伝えてくれ」と言っています。

――生活環境も違えば、「野球」そのものに対する考え方も違うでしょうから、そのストレスは相当なものでしょうね。

高津 そうですね。確かに、どちらがいいとか悪いではなく、「野球」そのものがアメリカと日本では違う部分もあります。それに、自国でミスをするのと外国でミスをするのとでは、その重みが違うんです。僕自身、日本でもアメリカでも抑えに失敗し、打たれたことはあります。でも、そのショックの大きさはアメリカの方がずっと大きかった。外国で失敗したときの心の痛さは多少はわかっているつもりなので、そこは絶対にケアしたい。そのための方法はやっぱり、会話なんですよね。

――エスコバー選手はずっと一軍に帯同し、コンスタントに出場を続けていますね。

高津 エスコバーがショート、サードを守り続けているのはすごいことだと思いますよ。さっき言ったように、日本とアメリカでは野球が違います。日本にしかないサインプレーも多い中で、日本独自の動きやサインを懸命に理解してよくやっていると思います。彼の場合は数字以上の貢献度があると僕は思っていますね。

――ベンチでもいつもメモを取っている姿が印象的です。

高津 彼の場合、「日本野球になじもう」「アジャストしよう」という思いが、よく伝わってきますし、実際にきちんと適応していると思います。

――さて、10月に突入し、シーズンも残り一カ月ほどとなりました。今後に向けての意気込みをお願いします。

高津 一時は二軍に落ちていた石川雅規も一軍に戻ってきて、今季初勝利を挙げました。期待していたスアレスも、ようやく体調が万全となって、きちんとローテーションを守って結果を出してくれています。故障していたムーチョ(中村悠平)も、ようやく復帰のめどが立って戻ってくる。僕たちは分厚い戦力を誇っているわけじゃないからこそ、みんなで力を合わせて「チームスワローズ」で戦っていくしかないんです。

――監督就任一年目のシーズンも、いよいよ終盤にさしかかりましたね。

高津 今は一日がとても早いです。昨日のことを引きずったり、明日のことを考えて、今日がおろそかにならないよう、目の前の一試合、一試合を「チームスワローズ」で戦っていく。メリハリをしっかりつけて、残り試合を全力で戦います。

 

 

ご感想はこちら

プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
出版をご希望の方へ

公式連載