成績が振るわない、メンバーが互いに無関心でいっさい協力し合わない、仕事を作業と思っており楽しそうに働いていない、離職者が多く人の入れ替わりが激しい……。これらは日本の多くの職場で見られる光景です。こうした環境に疲弊し、働くことに希望を見出だせない人が増えています。
この絶望的な状況を変えられる唯一の方法が「チームづくり」です。チームづくりがうまくいけば、すべてが劇的に変わります。部下も会社もあなた自身もラクにする、チームづくりのノウハウを指南します。
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それまで「烏合の衆」や「仲良しクラブ」だった組織に変革を起こし、「強いチーム」に変えていくには時間がかかります。そして、必ず抵抗勢力が現れ、あなたの気持ちを折ってくるのです。だからこそ、弾み車を回すという忍耐力あるスタンスが重要になってきます。
弾み車を辛抱づよく押し続けて成功したチームを例にあげるならば、青山学院大学の陸上部は、その素晴らしさに心打たれます。青学は、駅伝常勝チームとして今は有名ですが、2015年までは一度も優勝したことのない大学でした。原監督が就任してから、どのくらいの期間であの常勝チームにまで変革させたと思いますか?
12年です。
原監督は、中国電力の営業職という安定した職場を捨て、購入したばかりのマイホームも売り払い、自宅兼学生寮で365日、24時間監督業に集中したという、とんでもない決断力の持ち主です。
12年間、学生はもちろん入学しては卒業していきます。最初は、強い選手は青学には入ってくれません。最初の数年は、入部した学生が門限を破り、練習に注力せずに遊んでしまうのを、どうしたら食い止められるのか悩むところからのスタートです。生活習慣やルールを守らせるだけで、3~5年かかったそうです。
結果が出るまでの12年の間、原監督には何度も退任のピンチが訪れたはずです。就任3年で箱根駅伝に出場できなければ退任するという約束でスタートし、3年では結果を出すことができず、退任を迫られましたが、当時の学生たちに「原監督を辞めさせないでくれ」と懇願されてなんとか留まりました。
選手たちの生活習慣がようやくできあがって、5年目で予選会を突破して箱根駅伝に出場。その後、スター選手を採用しようと頑張ってみたり、やっぱり実力があってもマインドがダメだとうまくいかないと悩んだりしながら、粘り強く土壌づくり、仕組みづくりをおこなっていきました。
ビジネスマン出身の原監督は、目標管理を取り入れます。目標管理ミーティングを定期的におこない、目標管理シートに目標を書かせ、可能な限り具体的に書くようにさせたそうです。インターネットで「青学 目標管理シート」と検索すると、事例が出ているのでぜひ見てみてください。驚くほどシンプルな1枚の紙に、学生たちが目標を書きこんでいます。
この目標管理ミーティングは、学生をランダムに5~6人でチームにさせ、目標の設定についてお互いにアドバイスし合います。このランダムというのが肝心で、学年も立場も異なる人で集まり議論することで、目標を客観的に見ることができ、チームに一体感をもたらすのだそうです。
私がとくにスゴいと思うのは、当時まだ実績のなかった青学に入学してくる学生たちです。高校の陸上で実績のある学生ほど、強い大学に行きたいはずです。箱根駅伝に出たいと思っている力のある選手ほど、常連校に行くというのは当然のことでしょう。その一方で原監督のほうも、強い学生に入ってもらわないと、組織の基準は高まりません。このジレンマをどう乗り越えたのか。原監督は、学生に正直に、
「目指すのは箱根駅伝出場だが、実現できないかもしれない。しかし、私は10年で優勝を狙えるチームを必ずつくる。そのための礎になってくれ。優勝したときには必ず君たちの頑張りを伝えていく。この一歩がなければ優勝できなかったと」
と伝えてスカウトをしていたそうです。当時の学生は、他の大学に入学して箱根駅伝に出場するという利己目標を捨て、青学に大学4年間を投じることを選んだのです。