巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
17~18世紀のイタリアで人気を博した男性オペラ歌手を、『カストラート』と呼ぶ。彼らは男性とも女性とも言えぬ美しい高音の歌声で人気を博したが、その声は去勢によって得られたものであった。親たちが、貧しい生活からの一発逆転を狙って息子に去勢手術を受けさせたのである。最盛期には約4000人の少年が手術を受けたというが、その中でも特に秀でた者だけがスターの座を勝ち取ることができた。才能無き者は去勢され損である。たまったものではない。
手術を受けられるのは、声変わり前の8~10歳の少年に限られた。まず失神するまで熱い風呂に入れられ、その間に睾丸が手で揉まれて潰される。そして、精管をペンチのような道具でカットすれば手術は完了である。男性が聞けば、股間に形容しがたい不安感を抱くこと必定な工程である。なお、この手術が失敗して死んでしまう少年もいたそうであるから、心底同情を禁じ得ない。この世に生を受けて、去勢手術の失敗で死ぬとは。
もちろん、この眩暈のする所業はバチカンによって禁じられていた。だがカストラートの親たちは、「病気で精巣を失った」とか「乗馬中に事故が起こった」とか「猪の角に突かれた」などという言い訳でやすやすと追及を逃れた。病気や事故ならまだ納得のしようもあるが、さすがに猪はねぇだろと突っ込まざるを得ない。悪ノリもいいところである。
現代ショービジネスの都ハリウッドでは、「整形している者を除いたらハリウッドから人がいなくなる」などとまことしやかなジョークが飛び交うほどだ。カストラートの時代から、相も変わらず“作られた美”が大衆文化を彩ってきた事実は否定しようもないが、やっぱり猪はねぇだろ。
(illustration:斉藤剛史)