先月のはじめ、普段からお世話になっている近所のおばあさんが入院したということで、お見舞いに行ってきました。このおばあさんは、私にとって遠い親戚にあたります。話によると、脳卒中で倒れ、幸い意識は戻ったものの、後遺症として自分一人では歩けなくなってしまったと聞いていました。
病院に到着してエレベータで病棟まで上がり、おばあさんがいる部屋に入るまでの間、今までで自分でできたことが出来なくなってしまったことに、さぞかし悲しまれているだろうと想像していました。私はおばあさんに何と声を掛けたらいいのだろう考えていたのですが、うまく言葉をまとめられず、気がついたらおばあさんがいる四人部屋の病室の前にいました。病室とおばあさんの名前とベッドの位置を確認して中に入ると、一番左奥の窓側で、ベッドを越し、穏やかな表情で本を読んでいるおばあさんの姿がありました。
私が「こんにちは」と声を掛けると、「あら、尚ちゃん!!」と手を叩いて喜んで迎えてくれました。そんなおばあさんの明るく元気な姿に驚きましたが、同時に私自身、病室に来るまでにごちゃごちゃ考える必要はなかったなと安堵しました。パイプイスがあったので、私はそれを借りて腰を掛け、しばらく症状や倒れてしまった時のことなど話を聞きました。やはり、後遺症として足に力が入らず、一人では歩けないとのことでした。
日頃、元気に農作業や庭掃除をし、時にはさまざまな郷土料理を作っては近所の方々におすそわけして回っていた姿を眼にしていたので、一人で歩けなくなり、出来ることもかなり制限されることになってしまった状況を、さぞかし悲しまれているだろうと改めて思いました。私は、布団がかかった足をなでながら「辛いね」と声を掛けました。すると、おばあさんから思いも寄らない返答がありました。
おばあさんはニコリと笑い、私にこう言いました。
「尚ちゃん、辛くなんてないわ。こうして生きているのだから。こうして本は読めるし、お話もできるし。大丈夫よ。」
私はおばあさんの優しい顔と声から、強がったりしているのではなく、本当に心からそう思っているのだと感じ取りました。同時に、おばあさんの「人としての大きさ」を感じ、また勝手におばあさんは不幸だと決めつけていた自分の狭い見識を恥じました。私はそれからしばらくお話をして、病室を後にしました。