小川ヤクルト 躍進へのマネジメント

2年間の監督生活で考えたこと
小川監督からのラストメッセージ

――神宮球場の登場曲も、競馬のG1ファンファーレに変えました。トランペットの音色が鳴り響くときの球場の盛り上がりはすごいですね(笑)。

小川 あれは上田(剛史)のリクエストらしいです。上田はすぐに人をいじって、悪影響を及ぼすんです(笑)。あの曲が流れて、球場がどよめきましたよね。あれでリラックスするのかと思ったら、最初のうちはまだまだ緊張していましたね。彼の場合はメンタルが課題ですね。塩見には村上の爪の垢を飲ませたいです(笑)。他にも、中山(翔太)、太田(賢吾)も台頭の兆しを見せています。若手には大いに期待しています。

前回は山田、今回は村上と、
運命的な出会いを果たす

――若手投手陣では高橋奎二、梅野雄吾選手が飛躍の兆しを見せていますね。

小川 高橋奎二は今年一年、ローテーションを守って投げてくれました。故障がちだった彼にとって、それは本当に立派なことです。肩に不安を抱えた中で、最初のうちは中10日とか、たっぷり間をあけて投げていましたけど、結果的に一年間、チームを離れることなく投げ抜いたということは、間違いなく自信にしていい。ただ、もう一つ上を求めるならば、「とにかく自分のいい球を放る」という現在のピッチングスタイルだけではなく、また違うスタイルも求めなければいけない。来シーズンも今年も同じことをやっているようでは、なかなか脱皮はできません。周りから、さまざまなアドバイスを与えられているけれど、それを本人がどう受け止めて、新たなことに取り組んでいくのかが勝負だと思います。

――高橋投手には、まだまだ無限の可能性があると思います。

小川 彼は、まだまだ伸びる要素を持っています。あとは、今言ったようにピッチングに対する考え方、野球に取り組む姿勢など、どう変わっていけるかが大切になってくる。非常に期待できると思いますね。梅野にも同様のことは言えますね。

――ヤクルトの監督として過ごしたこの2年間において、達成できたこと、やり残したことは何でしょう?

小川 自信を持って「達成できた」というところはないです。でも、自分が監督になったときに「いかに、人を遺(のこ)せるか?」ということは常に意識していました。もちろん、プロ野球の世界ですから、「優勝」という目標が最初にあって、そこに向けて全力で戦っていかなきゃいけないというのは、これはもう大前提です。でも、勝つこともあれば、負けることもあるという勝負の世界の中で、いかに人を遺せるかということは、常に意識していました。それが、自分の義務、役割なのかなと思ってやってきました。

――その思いを持って2年間過ごして「達成できた」という実感はないのですか?

小川 こういう成績でチームを去るわけですから、「達成した」と言い切ることはできないです。でも、楽観的な言い方に聞こえるかもしれないけど、前回監督になったときには山田哲人と出会い、今回は村上宗隆と出会うことができた。そういう人との出会いは大事にしなくちゃいけないし、彼らが持っている才能を見極めて、どうチームに遺していくか。それはずっと意識していました。

――奇しくも、山田選手も、村上選手も、小川さんがドラフトで引き当てた選手で、監督としてレギュラーに抜擢して飛躍のきっかけをつかんだ選手ですね。

小川 2人とも、僕がくじを外したハズレ一位ですけどね(笑)。でも、そういう意味では縁があるのは確かです。そういう縁はすごく大事にしなくちゃいけないと僕は思います。これは後づけになりますけど、山田は元々ヤクルトに入りたかった。その彼の運が、ハズレ、ハズレ一位という形でヤクルト入りをつかんだ気がするんです。山田の運の強さが、僕が二度もくじを外した結果に導いた気もするんです。山田は1年目から、あの細い身体でバレンティンと同じくらい飛ばしていましたから、彼の運も能力も、群を抜いていたんでしょうね。それは村上にも同じことを感じますね。

ご感想はこちら

プロフィール

小川淳司
小川淳司

千葉県習志野市出身。習志野高校卒業後、中央大学に入学。1981年ドラフト4位でヤクルトに入団。1992年現役を引退すると、球団スカウトやコーチなどを経て、2010年シーズン途中に監督に就任。2014年シーズンまでチームを率いる。退任後は、2017年シーズンまでシニアディレクターを務め、2018年から再び監督となる。

出版をご希望の方へ

公式連載