自分たちの会社やチームのことを、「雰囲気がいい」と表現することがあります。例えば、社員採用の面接で会社の志望動機を質問すると、「会社の雰囲気がいいから」という答えは意外に多いですし、会社やチームの長所のアピールとして「雰囲気がいい」「仲がいい」という言い方もします。どんな人でも、「雰囲気がいい」と言われる中で仕事をしたいのは当然ですから、こういう話が多く出ること自体は納得できるものです。
ただ、この「雰囲気のよさ」には、いろいろな意味が混ざっています。そもそも「雰囲気のよさ」というのは個人の主観であって、その捉え方は人によって違います。また、そのチームが置かれた状態によって、同じようなことであっても、ある場面ではチーム力を上げ、ある場面では逆効果になってしまう場合もあります。今回はある会社での例を通じて、リーダーが意識しなければならない、「雰囲気のよさ」の本質についてお伝えします。
ある会社の営業チームでのことです。会社全体で挙げられたいくつかの経営課題の状況把握のため、私は社内各署のチームリーダーにヒアリングをおこなっていました。その時にこの営業チームのリーダーがチームの様子を評した言葉は、「うちのチームはみんな仲がよくて雰囲気もいいんです」というものでした。一見確かにその通りで、メンバーはみんな明るく会話をしており、暗い感じやギスギスした感じはまったくありません。
そこで、もう少し細かく聞いてみると、このリーダーはメンバー同士が「話しやすい」という雰囲気が大事だと思っており、「お互いができるだけフラットな関係で、何でも言い合える雰囲気を意識して作っている」と言います。同じことをメンバーに聞いても、「仲がいい」「話しやすい」という言葉が出てきます。このリーダーが意識して作った雰囲気は、確かにチームに浸透しているようです。
ただ、この営業チームの業績をみると、あまりいい状況ではありません。会社全体としては、厳しい環境の中で少しずつ業績を伸ばしてきていますが、このチームだけは目標の未達成が何年か続いており、売上や利益もほとんど停滞しています。スポーツで言えば、ずっと負けが込んでいるようなチーム状態で、普通はそれでチームの雰囲気がいいはずはないのですが、このチームはリーダーからもメンバーからも、そんな様子はうかがえません。いつも「明るく」「仲よく」「フラット」な感じを醸し出しています。
明らかにこの営業チームの「雰囲気」と「結果」には大きなギャップがあり、その理由をつかむために、私はしばらくの間このチームの仕事ぶりを観察させてもらうことにしました。そこから徐々に見えてきたのは、こんなことでした。
まず、一見した雰囲気は確かに明るく、話しやすく、お互い仲がよさそうで、ギスギスした感じはまったくありません。そこでメンバー同士の会話の内容を聞いていると、仕事に関わる会話の頻度が明らかに少ないのです。私から見ると、どうでもいいような雑談のたぐいが多く、その手の話をいつまでもダラダラと続けながら、その合間に何となく仕事をしているように見えました。
また、リーダーをはじめとして、その様子を周りの誰かが注意することも、私が見ている中では一度もありませんでした。私の目から見ると、「明るさ」「話しやすさ」というよりも、「軽さ」や「ルーズさ」、悪い意味での「子どもっぽさ」、そして何より「ゆるんだ空気」といったものを強く感じました。これは仕事をする場の雰囲気としては、好ましいものではありません。
このことをリーダーに直接伝えると、実はリーダー自身もそう感じていたことがわかりました。しかし、リーダーは今どきのチームの雰囲気というのはこういうものだと思い、それを壊すことは好ましくないと考えて、今のような振る舞いを許していたそうです。メンバーから反発されて、チームがまとめにくくなるのを恐れていた部分もありました。
そこで、まずこのチームに対して私が実施したのは、毎日定例で実施していた業務ミーティングのやり方を変えることでした。今までは、日常のゆるい雰囲気を引きずって、ミーティングの最中でも雑談めいた話をしたり、業務上の情報交換がおざなりになっていることがありました。また、リーダー自身もそれを指摘したり注意したりは、ほとんどしていませんでした。
私はそこを改め、この定例ミーティング中は業務に関する情報交換に集中することを宣言し、必要な指示命令や場合によっては厳しい指摘といったことも、この中でまとめておこなうようにしました。その代わり、日常業務中の雰囲気にはあえて口出しをしないようにしたのです。
この取り組みを始めた当初は不満を漏らすメンバーもいましたが、そういう声はすぐになくなっていきました。業務中の日常会話を制限すれば、それには必ず反発が出るでしょう。しかし、会議という公式の場で、目的に沿った議論だけに徹するというのは当然のことで、それくらいはメンバーもわかっています。そこに反論の余地はありません。そして、一日に一度「仕事に徹しなければならない引き締めの場を作った」ことで、日常的な雰囲気も徐々にですが、当初感じられていた「ゆるさ」は薄れ始めてきました。