今季の全日程が終了して、僕は正式にヤクルトの監督を辞任することとなりました。球団ワーストとなるシーズン96敗を記録し、悪い意味で歴史に残る一年となってしまったことを悔しく思うし、ファンのみなさまには本当に申し訳なく思います。これは選手たちのせいではなく、すべては監督である僕の責任だと思っています。前回もお話したように、「もしも来年も監督を引き受けたとしても、チームを強くする自信がない」ということで、僕はチームを去ることを決めました。
シーズンが終わったばかりで、まだ戦いの余熱が残っている状態ではありますが、少しでも来シーズンの参考になるように、改めて監督としての僕自身の反省、そして今年の敗因を自分なりに考えてみたいと思います。しばしば、「2年前の優勝チームが、どうして一気にここまで弱くなってしまったのか?」と聞かれます。この点に関しては、「監督として」ではなく、あくまでも「一野球人として」、なるべく客観的な立場になってお答えします。それでは、今年の敗因を考える前に、まずは「どうして2015年は優勝したのか?」を考えてみましょう。
改めて振り返ってみると、セ・リーグ制覇を果たした15年は、大きな故障者がほとんどいませんでした。そのため、僕の考える理想的なオーダーを組むことが可能でした。また、他の球団もちょうど立て直しの時期にさしかかっていたこともあって、飛び抜けたチームがいなかったということもありました。8月までは4チームが団子状態で争っている中で、たまたまヤクルトは勢いに乗り、個々の選手の力がピークに達する時期とも重なり、ペナントレースを制覇しました。
また、このシーズンはうちの打撃陣のピークの年だったように思います。主砲のバレンティンを故障で欠いていたものの、畠山和洋、川端慎吾らが脂の乗りきっている時期にあり、そこに若い山田哲人や打者としてひと皮むけた雄平が加わり、理想的な攻撃陣を形成することができました。さらにこの年は、試合後半を任せることのできる外国人リリーフトリオが見事にハマりました。ロマン、オンドルセク、そしてバーネットは鉄壁のリリーフ陣だったので、試合後半の継投に頭を悩ませることはほとんどありませんでした。
つまり、①ケガ人が少なかった、②飛び抜けた存在の他球団がいなかった、③打撃陣がピークを迎えていた、④リリーフ陣が安定していた。この4点が決め手となって14年ぶりのセ・リーグ優勝が実現したのだと考えています。