理念によって組織には魂が吹き込まれる。魂のある組織は、困難に遭っても粘り強く打開する力を持つ。一つの事業で行き詰った時の力の源となるのが理念である。目的には手段がなければならない。何かに行き詰まる、解決すべきトラブルが発生するというのは、ほぼ例外なく手段の問題である。手段を誤ったために問題が生じているのだ。多くの人は、そのため手段について悩むことになる。手段に悩み始めると、人は往々にして大義としての目的を忘れがちだ。しかし、目的を忘れて正しい手段を見つけることは不可能である。肝心なのは目的、すなわち理念によって描かれたゴールである。
昨年の大河ドラマ「真田幸村」の真田家は、その後上田から松代へ移封される。松代へ移った頃には真田の城は黄金で軒が傾くといわれたほど財政は豊かだったが、六代藩主真田信弘の時代にはすでに財政は逼迫(ひっぱく)し、藩内にさまざま弊害が出ていた。藩にとっては、この財政問題が喫緊(きっきん)かつ長期的な懸案であった。
藩主真田信弘は、藩政改革にあえて若輩の恩田木工(おんだもく)を抜擢、藩政改革に当たらせた。木工(もく)は藩政改革が進まない理由は、藩の重鎮たちの自己都合や面子にこだわる姿勢にあると見ていた。目先の些末なことにばかりこだわって目的を見失っていたのである。そこで木工は、細部の手段にこだわらない改革に打って出たのだ。
松代藩では財政難から農民に対し、来年、再来年分の年貢を先納するよう求めていた。まずそれを廃止、さらに、これまでの未納分を棒引きにした。その代わり、本年分の年貢は月割りにして毎月納めることを求めた。同時に、年貢の督促のために村に派遣していた役人を今後一切出さないと約束した。これらの役人の接待は村にとって大きな負担だったのである。
さらに城の普請(ふしん)や河川工事など、村人に要求していた賦役(ふえき)も今後行わない旨を告げた。農民にとっては、未納分は棒引き、役人接待の負担や労役の負担も減るということで、十分利益のある条件である。農民は木工の改革をよろこんで迎え入れた。また領民に対し不当に金銭を要求していた役人も告発させた。しかし、木工はこれら汚職役人を罰することなく「よい指導者が使えばよくなる」と赦免(しゃめん)し、以後も役目に就かせた。この寛大な処置に感動した役人たちは、見違えるように務めに精を出すようになる。また、これまでご法度だった娯楽も解禁した。
木工の改革は、ことごとく前例を破ったように見えるが、唯一守ったことがある。それは藩の財政改革という目的である。木工は目的達成のために手段を選ばず、ではなく、目的のためには前例に縛られることなく、現実的な手段を選んだのである。手段はあくまでも手段であり、目的を達成するためには、人の道を外さない限りいくら変えてもよい。必要な朝令暮改は行うべきだ。最悪なのは手段にこだわっていて目的を見失うことである。ここでいう目的とは、無論「何のために」という理念のことだ。
恩田木工には、理念に支えられた改革があった。藩主真田幸弘にも理念に基づいた人事があった。それゆえ、信弘はあえて最も若輩の木工を抜擢したのである。