東洋ゴム、東芝、三菱自動車、神戸製鋼、日産自動車、タカタなどなど、近年の企業不祥事は日本を代表するようなメーカーで頻繁に起きている。日本を代表するメーカーといえども、三菱自動車のように、社内の自立が利かなくなったために、企業として自立できないところまで追い込まれたケースもある。とりわけ神戸製鋼所や東芝などは、存立の危機にあるように見える。
言うまでもなく、企業とは社会的(パブリック)な存在である。社会が企業を見る目は年々厳しくなっている。東芝のように、140年かけて営々と築いた企業イメージも、3ヵ月で毀損してしまう。日本を代表するメーカーであろうと、一度失った信用は簡単には取り戻せない。したがって、コンプライアンスは企業の死命を制する重要なテーマである。では、そもそも、コンプライアンスの力とは何だろうか。
コンプライアンスは、企業にとって最低条件である。“Compliance(コンプライアンス)”とは、日本では“法令遵守”と言っている。企業が法治国家で活動する以上は、その国の法律を遵守することは当然の義務であり、責任でもある。だが、企業が目指すべき真のコンプライアンスの力とは、単なる法令遵守を超えて社会からの信用・信頼を勝ち取ることにある。単に法令を守り、社会の厳しい目から逃れるための行動をコンプライアンスというのであれば、コンプライアンスは消極的な守り専門の手段に終わってしまう。しかし、それでは力とはならない。
コンプライアンスが力を発揮するのは、それが企業の信用・信頼という攻めの力を支える基盤となってこそである。信用・信頼は地上にそびえる構造物であって、コンプライアンスは構造物を支える基礎部分といえる。「信なくば立たず」。社会から信用され、認められなければ、企業は継続的に十分な事業活動を行うことができない。営々として築いた信用や信頼という楼閣も、基礎であるコンプラアンスが崩れればひとたまりもない。コンプライアンスなくして信用も信頼もないのである。
また、社内のセクハラやパワハラを容認、もしくは黙認し、改善を訴える社員に対して暗黙の圧力をかけるようでは、明確な法令違反ではなくても、間違いなく法の精神には反している。法の精神とは、社会が許せる限界である。コンプライアンスの基本は法の精神を守ることだ。違法スレスレで、法の網をかいくぐるような行為を許す企業では、コンプライアンスを守っているとは言えない。
いかがわしいことにはけっして手を出さない。「天知る、地知る、己知る」と、どの切り口、どの角度から見られても、恥ずかしくない企業だけが一流の企業なのだ。したがって、真のコンプライアンスは“法令遵守“ではなく、“法徳遵守“であるべきだ。
強い基礎を作るのは、トップの役割である。一流の欧米企業では、経営者に最も求められる最大の資質は「極めて高い倫理性」であるといわれる。欧米企業で好まれる言葉のひとつに「インテグリティ」がある。“Integrity”とは真摯さ、高潔さという意味である。ある大手商社のトップは、「インテグリティとは清く正しく美しくだ」と述べていた。
自発的な残業は、法令違反ではない。しかし、自発的な残業を強いるという矛盾した慣行がはびこる職場は、コンプライアンスに違反していると同時に道義にも反している。コンプラアンスの遵守を罰則逃れという次元でしか考えない経営者は、自発的な残業がもたらす負の部分から目をそらしている。いわんや“自発的な”残業を強いる企業は、けっして社員を幸せにはしない。二人の若い社員を死に追い込んだ電通などは、さしずめグレーを越えたブラック企業である。
企業にはびこる「必要悪」を是正できるのはトップだけだ。魚は頭から腐る。上流が濁っていて下流が澄むことはない。よきにつけ、悪しきにつけ、大事なことはすべて上流に淵源がある。
SCSKという会社がある。大手IT企業であるSCSKの社員も、やはりこの業界特有の長時間残業をしていた。社長が出社するとオフィスのあちこちに寝袋がある。深夜から早朝まで続く残業で家に帰れず、職場で一夜を明かした社員たちだ。社長はこれでは社員の健康も、家族の幸福もあったものではないと、思い切った改革に取り組んだ。目標は残業の半減である。
この改革に対しては、当初、社内から異論が噴出した。プログラマーの仕事は残業、徹夜が当たり前、お客からの急な変更要求やトラブルに応えるためには、残業、徹夜で乗り切るしかないというのが業界の常識だったのだ。
もうひとつ、残業が減れば収入も減るという問題も社員にとっては切実だった。しかし、社長は業界の常識よりも社員とその家族の幸福を優先した。社長の強力なリーダーシップによって、SCSKの残業半減プロジェクトはスタートした。仕事の見直し、不必要な業務や会議を減らし、有給休暇の取得を奨励した。残業が減ることで収入が減った社員には、その分の補填をした。
結果、全体の残業時間は半減し、有給休暇の取得目標を年間12日から18.7日へ増加した。さらに驚くべきことに、この間、同社の営業利益は飛躍的に増えたのである。社員の幸福の追求が、企業の業績アップとなって返ってきたのだ。
コンプライアンスや企業の社会的信用・信頼の構築には、トップのリーダーシップは欠かせない。それゆえ、コンプライアンスの力はトップの力といえる。
我々はSCSKの成功例を見ると、トップが決断すれば結果は自ずとついて来るかのような期待を抱く。しかし、それは半分正しく半分正しくない。トップの決断は絶対に必要だが、結果をもたらすためにはもうひとつ必要な要件がある。
それは徹底と継続だ。いかなる事案であっても、徹底と継続なくして成功はあり得ない。徹底と継続で大きな成果を出したのが、ルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長(1994年~2001年)だ。ジュリアーニ氏は、当時、治安の悪さで世界的にも有名だった同市の治安回復によって世界的名声を得た。彼が街の秩序を取り戻すために採用したのが「割れ窓理論“Broken Windows Theory”」である。
ゴミひとつない場所には、なかなかゴミは捨てられないのが人の心理だ。逆にひとつのゴミを放置したままにすると、たちまちゴミの山になってしまうのもよく見る現象である。ジュリアーニ元市長が行ったのは、ゴミの山を再び清潔な場所に戻す試みだった。象徴的なのはニューヨークの地下鉄である。落書きだらけのニューヨークの地下鉄で、落書きをひとつずつ消していった。荒れ放題だった車両を整備した。しかし、一度消してもすぐに別の落書きが描かれ、整備した車両の窓はまた割られた。
割れた窓は放置しない、落書きはすぐに消す、「割れ窓理論」は美化する側と汚す側の我慢比べである。きれいに整えられた場所は汚せないという人間の心理は、きれいに整え続ける側の粘り強さ、すなわち徹底と継続によって発現する。小さな公共心の発現は、犯罪を抑える社会的な心理となる。秩序とは小さいことから回復するのである。
ジュリアーニ元市長就任後、ニューヨークの犯罪率は半減、アメリカ全体よりも低い水準に抑えることに成功した。余談だが、ジュリアーニ元市長の仕事は治安の回復だけにとどまっていない。
2001年9月11日、ニューヨークで同時多発テロがあった。このとき世界貿易センタービルで救助に当たったのがニューヨーク市の消防士、警察官である。消防士、警察官はビルが崩れる危険な状況で献身的な救助活動を続けた。彼ら警察官、消防士を動かしたのは使命感であり、誇りである。
かつてニューヨーク市は、汚職警官でも有名な都市だった。治安の回復は、社会の安全を高めただけでなく、安全を守る仕事を務める人々の職務に対する使命感と誇りをも高めたのである。