説得は人を動かすための手段である。ビジネスシーンで人を動かすのは、望ましい結果を出すためだ。つまり、説得とは多くの場合、結果を求めるための手段として行われている。結果が吉と出るか凶と出るかは、やってみなければわからないが、結果を出すには行動が必要である。したがって、説得とは相手が行動を起こして、はじめて「説得に成功した」といえる。単なるイエスという返事をもらっただけで、実際の行動が伴わないようでは、説得に成功したとは言えない。
説得が相手の行動を促すためには“納得”が必要となる。上司という立場を利用して、高圧的に相手を“説得”しイエスと言わせたところで、相手は上司という立場に伴う権力に“屈服”しただけで納得はしていないので、主体的、積極的に行動することはない。そこには“やらされ感”は生まれても“やりたい感”は生まれない。
納得を生む説得のためには、説得の要件を満たす必要がある。説得によって相手を納得させるには、まず説得のベースに論理性、妥当性、明快さが求められる。これらは説得の基本動作であり、トップやリーダーにとって必要なスキルである。
本稿に注目され、読み始めた方々も多くはこの説得のスキルを求めてのことと思う。だが、弁舌の巧みさや理論の緻密さを極めれば、説得する力は万全かというと答えは「NO!」である。説得の要件には、スキルに加えてマインドがあるからだ。スキルの高い人が説得すると、説得されたほうは筋の通った理論や明快で爽やかな弁舌に“感服”する。感服は屈服よりもはるかによい。説得され感服した人は、納得して行動に移ることができるからだ。
しかし、スキルだけでは説得の難しいケースもある。スキルだけでは説得が困難なケースとは、たとえばこちらが要求することを相手がやったとしても、必ずしも相手の利益が明白ではないという場合だ。会社の中では、時には相手にとってみればあまり利益の見込めないことでも、説得して、やってもらわなければならない場合がある。むしろ、こういうケースでこそ、説得する力が求められるといえよう。
こうしたケースで求められるのは、「この人のためなら、たとえ火の中水の中、自分の利益にならなくても一肌も二肌も脱ごう」と相手に決心させる説得力である。
説得された相手が、この人のためなら一肌も二肌も脱ごうと決心するのは、説得者に“心服”しているからだ。人を心服させる優れた人間性や人間力こそが、説得のもうひとつの要件であるマインドである。
マインドの力は、理屈を超えて相手の心に直接働きかける力である。いわば心を動かす力といえる。スキルの力は相手を感服させるが、マインドの力は相手を心服させる。感服(スキルの力)は相手にそれなりの行動を起こさせるが、心服(マインドの力)は相手によろこんで自発的に行動を起こさせる。
スキル依存型では、それがどんなに高いレベルであったとしても、心服を得ることは難しい。高い人間力、高潔な倫理性などのハイレベルのマインドが備わっていなければ、論理や損得を超えた次元で、相手の心を動かす説得はできない。トップの説得する力で、相対的に重要な条件はスキルよりもマインドにあるのだ。
今年度のノーベル経済学賞はシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が受賞した。セイラー教授の受賞は、行動経済学の進歩・発展に貢献した結果だ。行動経済学とは、主に株式投資などの市場分析で活用されている近年の学問分野で、人間の経済行動を心理学的アプローチで分析・研究している。
人がとる経済行動は、経済合理性よりも心理的な影響を強く受けているという、標準的な経済学で前提となっている「人は合理的な経済行動をとる」を否定している点が特徴的だ。人は論理によって説得され、感情により動く。論理よりも情理のほうが影響が強いのだ。
人の行動は、必ずしも合理的ではない。人がしばしば不合理な行動をとるというのは、我々が普段から身近に経験していることである。人は論理によって経済行動の是非を判断したとしても、実際の行動は感情に大きく影響を受けるという“現実”に、経済学においても注目が集まり始めたというのは興味深い。
エコノミストの言うことには頷いても、エコノミストの言うとおりには動かないのが投資家ということである。企業経営でも、たとえば会計学では、法人である企業は合理的な行動をとるという前提で、理論体系を構築している。人はしばしば不合理な行動をとるとしても、法人である企業はそうではないという考え方だ。
しかし、現実には資金繰りに窮した企業は、往々にして、借りても決して返せないような高利の金に手を着けるという不合理を犯すし、隣の会社(同業、同規模の会社)がやっているからという根拠なき理由で、新規に何か新しいシステムや経営手法を導入したり、ニュービジネスを始める企業は多い。老舗で古い体質の企業によく見られる情実人事も、企業がとる不合理な行動の一つと言えよう。個人においても企業においても、現実の行動は理論よりも感情のほうに影響を受けがちなのだ。
だが、勘違いしないでほしい。私は、だから理論は無力だと言っているのではない。理論は重要である。しかし、こうした現実があることを心得ずに、「企業は合理的な行動をとる」という教科書的な前提を疑わず安易に信じ込むと、現実の経営でかじ取りを誤りかねないということだ。
そもそも企業は人がつくった組織である。人はしばしば不合理なことをする。勘定よりも感情が幅を利かせることが多い。不合理なことをする人の集団である企業が、法人だからといって突然合理的な行動しかとらないと考えるほうが、誤解であり、錯覚である。ともすれば感情に流されてしまいかねないのが人であり、人がつくった組織というものだ。
そこをわきまえたうえで組織の舵取りをするのが、本物のトップに求められる力なのである。