大正政略恋物語

遠野まさみ

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薔薇の求婚

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 健斗はその日、峯山の本家を訪れていた。通された客間で、養父・辰雄と対面に座る。義母が出てこないことは承知の上だった。健斗としては求められることだけを遂行すればいいのであって、そこに感情を置いたりすべきではないと理解している。しかし、前回ここを訪れた時と違い、義母のその対応が若干心に引っ掛かった。

(まあ、仕方ない。義母上は実の息子を失くしてまだ半年……。切り替えられないのも当然だ)

 そう思って、義父に一礼した。義父は口髭の印象的な壮年で、目に力を蓄えており、本来だったら会社の社長から引退するような実力ではないことが分かる。義父は袂に手を入れながら、健斗に最近はどうだ、と問うた。

「はい、新しく小芝屋呉服店との取引を始めました。老舗ののれんを守る主人には苦労しましたが、今は仕事を通じて信頼関係を構築しているところです」

「ふむ。生糸以外に手を伸ばそうとした時は、正直欲を出し過ぎなのではないかと思ったが、これで四件目ともなれば、お前の手腕は本物なのだろう。感心した」

 満足そうな義父に、頭を下げて応える。

「さて、ところで、奥さんとはどうだ。堀下は買い時だと思ったし、子爵位くらいがあれば、取引相手は今までより数倍増えると見込んでの婚姻だったが、お前に苦労をさせているのではないかと、少々心配していてな」

 義父の言葉から、彼が堀下令嬢について知っているという気配がする。いつまでも黙っているわけにもいかず、義父に楓のことを伝える好機だと思い、健斗は口を開いた。

「嫁いできたのは堀下茂三殿の嫡子ではなく、養子の楓という娘です。楓が堀下殿の養子である旨は、調査報告書にて確認できました。楓は嫡子の琴子とは違い、女学校へは通っていなかったようです」

 健斗の報告に、義父は驚きで目を丸くし、そしてなんと……、と呟いた。

「堀下殿は、峯山の顔に泥を塗るつもりでおるのか。峯山からの資金援助がなければ、今頃堀下は爵位返納の選択もせねばならなかっただろうに……」

 やや憤りを見せる義父に、健斗は冷静に言葉を掛けた。

「義父上、落ち着いてください。嫡子である琴子については、義父上も噂を聞き及んでいることかと思いますが、楓は琴子とはまるで正反対な、静かでやさしく、気遣いの出来る娘です。私は小芝屋との契約を結ぶにあたり、楓に着物についての日本の文化を学びました。まだまだ学ぶことは沢山あります。楓のサポートは私の仕事に生きています。そして、プライベートにも。それに私の顔の傷を、醜いと言わなかった人間は、家族と幼馴染み以外で、初めてなのです」

 健斗の言葉に、義父も感じるところがあったのだろう。成程、と頷いて、目を弧にした。

「お前がそこまで認めた相手なら、一度私たちに会わせなさい。気難しいお前がそこまで賞賛するお嬢さんなら、千鶴子もきっと気に入るだろう。私も、堀下殿に騙されたとはいえ、話を持ち掛けた身としてお前たちのことについては責任がある。楓さんが良い人なら、私たちも含めてお披露目をしようじゃないか」

 懸案事項が上手く通って、健斗はほっとした。義父に一礼すると、顔合わせの日取りの相談を始めた……。
 



 帰宅すべく自動車に乗り込むと、物陰から人が近づいてきた。丸眼鏡にハンチング帽をかぶり無精ひげの彼は、情報屋である。琴子と楓の調査を依頼し、報告書を寄越してきたのは、彼なのだ。情報屋は運転席の窓にもたれかかるようにして、健斗にひそりと話し掛けた。

「旦那。いいんですか、あの嬢ちゃんを本家に繋ぐなんて」

 楓の出自を知っている情報屋の懸念は尤もである。しかし健斗は、もう心を決めていた。

「お前が気にすることではない。義父の承諾も受けたしな」

 口端を上げてそう応えると、へえ、と情報屋が呟いた。

「そりゃあすげえ。旦那たちみたいなやつらは、もっとガツガツしてると思ったのに」

 欲深に思われていても仕方がない。周囲にはそう思わせておけばいいのだ。

「お前の報告書は役に立った。後は私の采配だ」

 健斗が簡潔にそう言うと、情報屋は肩をすくめて笑ってみせた。
 
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