大正政略恋物語

遠野まさみ

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花車に託した希望

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 声の揺れだけで分かってしまった。彼はこの傷で幾度となく傷付いてきたのだ。

「いいえ、怖くなどございません」

 楓は健斗の危惧をはっきり否定すべく、しっかりとした声で言った。父が存命の頃は、父の診療所を訪れる怪我人を何人も見てきた。時に痕が残る傷を負った怪我人が、その傷の所為で人格を否定されるような陰口をたたかれていることも知っていた。でも、診療所に来て父や楓と話す患者たちはなに一つ醜い心を持たず、懸命に人生を生きていた。そういう彼らを知っているから、また、健斗が生まれた国を離れ、日本で懸命に仕事をしている姿を知っているからこそ、彼の憂慮は晴らさなければならなかった。

「どんな外見でも、旦那さまは旦那さまです。その人格、お仕事の功績が霞むことはございません」

 健斗の目をまっすぐ見据えて、言う。楓の言葉に、健斗は一瞬言葉を失い、そして吐息を吐くように言った。

「……君は変わっているな。女性はこういう傷は嫌いなのではないのか」

「どうでしょう。少なくとも私は、驚きません」

 静かに、しかしきっぱりと言い切ると、健斗の張りつめた雰囲気が少し和らぎ、口端が自嘲気味に引きあげられた。

「本当に君は、変わっている。……この傷は、子供の頃に遊んでいて作った傷だ。私の兄と私と幼馴染みとでかくれんぼをしていた時、鬼の兄から隠れようと、私は幼馴染みと一緒に馬小屋に隠れた。その時に、立てかけてあったピッチホークが倒れてきたんだ。それは、咄嗟に幼馴染みを庇った私の顔をざっくりと切りつけた。兄が親を呼びに行き、病院で処置したが、痕が残ってね」

 その様子がありありと想像できる。自国での人生を断たれただけでなく、遠い国でその国の文化を継ごうというのだから、誰も恨まず、心やさしく人の為に行動する性格なのだろう。

「では、旦那さまの勇気の証ですね。大事な方を守られた証。醜いわけがございません」

 心からそう思う。しらず微笑むと、健斗が目を見張り、咳払いをした。頬が少し赤いように見えるのは、アルコールが回って来たからなのだろう。

「まあ、私がどんな人間かは置いておくが……。しかし、私がこの傷について何も言わなかったように、君が私に言えずに悩んでいることがあるのを私は知っているが、そのことは気にする必要はないから、そのつもりでいるように」

 ふいに話題が自分に向いて、不思議に思う。楓が健斗に言えないことがあるのは事実だが、それは気にしないで良い事柄というわけではない。峯山製糸は堀下子爵家の爵位を頼みに取引先を増やしたいはずであり、この結婚で得られる爵位は峯山家にとって絶対なくてはならないものだからだ。

(……私が気にしなくてもいい、私が旦那さまに言ってないことって、なにかしら……)

 健斗は深い笑みを浮かべているが、楓は健斗が言ったことの意味が分からず、首を傾げた。
 
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