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薔薇の求婚
(2)
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その日の夕食時、健斗が不意に口を開いた。
「明日、君は何か予定はあるか?」
カレイの煮つけを食べながら健斗が言うのに、楓は何もありません、と応えた。
「では、私と一緒に出掛けないか?」
で、出掛ける? この、見目麗しい健斗と一緒に? こんなにみすぼらしい楓が? 琴子くらい綺麗な女性ならともかく、こんなに醜い娘が一緒では、健斗が馬鹿にされないだろうか?
「い、いえ、お供をするのが私では……」
「何故」
何故、とは……。
しかし、言葉が継げない。自分が醜いという自覚は重々あるが、そのことと、それを言葉にする勇気とは、また別のことだ。言葉にしたら、それが全部自分に跳ね返ってくる。言い淀んでいると、健斗がやさしく微笑んでこう言った。
「私は君と出掛けたいのだが、君は私と出掛けたくないのか」
「い、いえ! 滅相もございません!」
「では、問題ないな。明日、朝食を食べたら出掛けよう」
結局、健斗に押し切られる形で外出の予定が決まってしまった。戸惑いの大きい楓と違って健斗は何処か楽しそうで、政略結婚の相手を連れて歩くのは、そんなに楽しいことなのだろうかと、不思議に思ってしまった。
翌朝、朝食の支度を静子と一緒にしているときに、健斗と出掛けることになったことを伝えると、静子は大層喜んでくれた。
「まあまあ、宜しゅうございましたね。是非楽しんで来てくださいませ。ええ、お留守はちゃあんと守っておりますからね。ご心配なさいませんよう」
「いえ……っ、あの、私みたいなみすぼらしい娘が旦那さまと一緒に歩いていたら、旦那さまにご迷惑が掛からないでしょうか……」
琴子ならいざ知らず、楓などと……。そう考えて、そうか、使用人として付き添えばいいのではないかと考えた。
「あっ、そうだわ。付き添いの使用人としてなら、お役目を果たせるかも……」
「まあ、楓さま、そんなこと仰っては駄目ですよ。楓さまはれっきとした健斗さまの奥さまです。堂々と健斗さまの隣を歩かれてください」
そう言われても、あんな美貌の主(ぬし)の隣に並び立つには、並外れた容姿の持ち主でないと難しいと思う。静子の言葉になおもためらいを隠せない楓に、静子はにこにこと言葉を継いだ。
「そんなにお姿が気になるのでしたら、あとでいいものをお持ちしましょうね」
「いいもの? ……ですか?」
「はい。ご用意しますから、まずはお食事を召し上がってくださいね」
静子はそう言うと、ほいっとだし巻き卵を包み込んだ。
食事を終えた楓の部屋にやって来た静子は、寄せ木細工の化粧箱を持っていた。
「楓さまはいつもお化粧されないからご存じないかもしれませんが、お化粧で見目もパッと変わりますからね。そうすれば楓さまも自信が持てるでしょう?」
化粧など、母親が紅をさすところを素敵だなと見ていたくらいしか思い出がない。琴子は舶来ものの化粧品を使っていたが、静子が差し出したのは琴子が使っていたような、金銀真鍮で出来た入れ物に入ったファンデーションではなく、和文様の施された漆塗りの入れ物に入ったおしろいと口紅だった。やさしい手が楓の肌を撫で、色をさしていく。
「ふふふ。舶来ものに頼らなくても、楓さまはこんなにお美しくなれるのですよ」
やり切った、という満足げな顔をした静子の隣で鏡を見ていた楓は、困惑の中に居た。
(これが……、わたし……)
おそるおそる鏡に触れてみようとしたその時、部屋の外から声がかかった。
「支度は出来たか?」
その声に、鏡台の椅子から二寸ほど飛び上がる。待たせていたとは思わず、楓は静子に礼を言い、部屋を出た。そこで目の前に現れた健斗の姿に目を奪われた。健斗は普段着ていた控えめな色の着物と違い、白藍(しらあい)の着物に百入茶(ももしおぢゃ)の袴を合わせ、白の羽織を羽織っている。白藍の着物はあまり見かける色合いではなく、しかし健斗の異国の風貌によく合っていた。
ぼう、と健斗に見とれていると、健斗が楓を見て微笑んだ。その笑みが今の日差しのように眩しい。
「どうした、ぼうっとして」
目の前で手をひらひらと左右に振られて、ハッとする。
「すっ、すみませんっ。あの、旦那さまが、あの、素敵だなと……」
と、口走ってから、自分は何を口走っているのだろうと、恥ずかしくなった。そもそも健斗にとって自身の見目は、本国ではどうか分からないが、この国では重たい鎧のようなものだと思うのに、それを賛美するとは何事か。そう反省し、恐縮しきっている楓に、健斗が笑った。
「!?」
「はは。君がそう言ってくれるになら、少しはこの姿でいて良かったと思えるな」
「明日、君は何か予定はあるか?」
カレイの煮つけを食べながら健斗が言うのに、楓は何もありません、と応えた。
「では、私と一緒に出掛けないか?」
で、出掛ける? この、見目麗しい健斗と一緒に? こんなにみすぼらしい楓が? 琴子くらい綺麗な女性ならともかく、こんなに醜い娘が一緒では、健斗が馬鹿にされないだろうか?
「い、いえ、お供をするのが私では……」
「何故」
何故、とは……。
しかし、言葉が継げない。自分が醜いという自覚は重々あるが、そのことと、それを言葉にする勇気とは、また別のことだ。言葉にしたら、それが全部自分に跳ね返ってくる。言い淀んでいると、健斗がやさしく微笑んでこう言った。
「私は君と出掛けたいのだが、君は私と出掛けたくないのか」
「い、いえ! 滅相もございません!」
「では、問題ないな。明日、朝食を食べたら出掛けよう」
結局、健斗に押し切られる形で外出の予定が決まってしまった。戸惑いの大きい楓と違って健斗は何処か楽しそうで、政略結婚の相手を連れて歩くのは、そんなに楽しいことなのだろうかと、不思議に思ってしまった。
翌朝、朝食の支度を静子と一緒にしているときに、健斗と出掛けることになったことを伝えると、静子は大層喜んでくれた。
「まあまあ、宜しゅうございましたね。是非楽しんで来てくださいませ。ええ、お留守はちゃあんと守っておりますからね。ご心配なさいませんよう」
「いえ……っ、あの、私みたいなみすぼらしい娘が旦那さまと一緒に歩いていたら、旦那さまにご迷惑が掛からないでしょうか……」
琴子ならいざ知らず、楓などと……。そう考えて、そうか、使用人として付き添えばいいのではないかと考えた。
「あっ、そうだわ。付き添いの使用人としてなら、お役目を果たせるかも……」
「まあ、楓さま、そんなこと仰っては駄目ですよ。楓さまはれっきとした健斗さまの奥さまです。堂々と健斗さまの隣を歩かれてください」
そう言われても、あんな美貌の主(ぬし)の隣に並び立つには、並外れた容姿の持ち主でないと難しいと思う。静子の言葉になおもためらいを隠せない楓に、静子はにこにこと言葉を継いだ。
「そんなにお姿が気になるのでしたら、あとでいいものをお持ちしましょうね」
「いいもの? ……ですか?」
「はい。ご用意しますから、まずはお食事を召し上がってくださいね」
静子はそう言うと、ほいっとだし巻き卵を包み込んだ。
食事を終えた楓の部屋にやって来た静子は、寄せ木細工の化粧箱を持っていた。
「楓さまはいつもお化粧されないからご存じないかもしれませんが、お化粧で見目もパッと変わりますからね。そうすれば楓さまも自信が持てるでしょう?」
化粧など、母親が紅をさすところを素敵だなと見ていたくらいしか思い出がない。琴子は舶来ものの化粧品を使っていたが、静子が差し出したのは琴子が使っていたような、金銀真鍮で出来た入れ物に入ったファンデーションではなく、和文様の施された漆塗りの入れ物に入ったおしろいと口紅だった。やさしい手が楓の肌を撫で、色をさしていく。
「ふふふ。舶来ものに頼らなくても、楓さまはこんなにお美しくなれるのですよ」
やり切った、という満足げな顔をした静子の隣で鏡を見ていた楓は、困惑の中に居た。
(これが……、わたし……)
おそるおそる鏡に触れてみようとしたその時、部屋の外から声がかかった。
「支度は出来たか?」
その声に、鏡台の椅子から二寸ほど飛び上がる。待たせていたとは思わず、楓は静子に礼を言い、部屋を出た。そこで目の前に現れた健斗の姿に目を奪われた。健斗は普段着ていた控えめな色の着物と違い、白藍(しらあい)の着物に百入茶(ももしおぢゃ)の袴を合わせ、白の羽織を羽織っている。白藍の着物はあまり見かける色合いではなく、しかし健斗の異国の風貌によく合っていた。
ぼう、と健斗に見とれていると、健斗が楓を見て微笑んだ。その笑みが今の日差しのように眩しい。
「どうした、ぼうっとして」
目の前で手をひらひらと左右に振られて、ハッとする。
「すっ、すみませんっ。あの、旦那さまが、あの、素敵だなと……」
と、口走ってから、自分は何を口走っているのだろうと、恥ずかしくなった。そもそも健斗にとって自身の見目は、本国ではどうか分からないが、この国では重たい鎧のようなものだと思うのに、それを賛美するとは何事か。そう反省し、恐縮しきっている楓に、健斗が笑った。
「!?」
「はは。君がそう言ってくれるになら、少しはこの姿でいて良かったと思えるな」
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