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第1部 四神と結婚しろと言われました
1.ここはどこでしょう
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始まる前は気が遠くなるほど長い時間に思えた中国での留学生活を終え、香子は今機上の人だった。
北京から東京国際空港まで直通であれば4時間程度のフライトだが、この機は上海を経由する為もう少し時間がかかる。
隣の席の友人は帰国が嬉しくて仕方がないようだったが、香子は切なくてたまらなかった。
香子には彼がいた。中国人で、お茶葉屋の店員だった。まだ見習いで3年の間給料は毎月500元(日本円で約7500円)しかもらえないと苦笑していた。だけど彼はできるだけ香子にお金を使わせないようにしてくれた。
レストランでいくらこちらが出すと言っても彼は決して香子にお金を払わせなかった。お金がない時は彼の家に連れて行かれ、彼が夕飯を作ってくれた。お互いの別れを知っていて、それでも最後まで優しかった彼を香子は決して忘れないだろうと思う。
香子は現実的な自分がひどく嫌だった。一時的に付き合っても、結婚まではしないだろうと割り切っていた。
でも今はまだ彼のことが好きだった。
『アテンションプリーズ、これより先気流の乱れがあるところに入ります。座席に戻りしっかりとシートベルトをお締めください』
中国語のアナウンスが流れて、香子ははっとした。
外すことはめったにないが念のため急いでシートベルトを確認する。
しばらくもしないうちに機体が大きく揺れた。香子はたまたま手に持っていたバッグをぎゅっと抱きしめた。
意識があったのはそこまでだった。
なんだか寝心地が悪くて、香子は目ざめた。
(あれ? 私飛行機に乗ってたんじゃ?)
視界に広がるのは青い空に白い雲。どうも仰向けに寝転がっている状態のようだ。視線を横にずらすと、青々とした木々が見える。
(地面に寝転がってる? 飛行機もしかして落ちた?)
そおっと体を起こしたが、寝心地が悪いと思った背中やお尻以外は別段痛みもない。そして意識がなくなる前に抱きしめたバッグもおなかの上に乗っていた。
とりあえずバッグを開け中身を確認する。財布が2つ、パスポート、ハンカチ、ティッシュ、飴がいくつか、中日辞典、家の鍵、中国語の本、ポケットアルバム。……なくなったものはなさそうである。
改めて周りを見回すが人っ子一人いない。
飛行機が落ちたと考えても奇妙な話だと香子は思う。
香子が寝転がっていたのは青々とした草の上で、森の中でも少し開けたような場所だった。そしてすぐ側に白い石を積み上げたような、昔は建物だった名残のようなものがある。
(なにかの遺跡とか?)
香子は万里の長城が好きだった。遺跡とかそういったものを見るとときめいてしまう変わり者である。おかげでこんなおかしな状態でも好奇心を刺激されたらしく、バッグを抱え直して立ち上がった。
そして元建造物らしきものの側に寄り、まじまじと観察しはじめた。
考古学を学んでいたわけではないのでわからないが、遺跡だと言われればそうなのかと思うぐらいの風格がある。
そうして香子は好奇心に突き動かされるままにちょうど手の高さにある岩にそっと触れた。
その途端、
ぐらり
その時、世界が激しく揺れた気がした。
「……っっっっ!?」
あまりの驚きに香子は悲鳴を上げることもできなかった。
なのに。
一瞬後には世界は何事もなかったように平常を取り戻した。
「…………?」
香子は眉を寄せた。手は依然岩に触れたままである。もしかして貧血でも起こしたのかと思うほど周りに変化はなかった。
実際あれほど揺れたとしたら周りの木々が平常通りであるはずがない。葉や枝が風になびいてはいるが地震による激しい揺れではないことがわかる。
「……なんだっていうの?」
思わず呟いた声は少しかすれていた。
(貧血かな……)
だとしたらしばらく安静が必要かもしれない。香子はずるずるとその場に座り込んだ。そして建造物の名残に寄りかかる。
そしてふと、夢かもしれないと思った。
そうだとしたらなんともリアルな夢だとも思う。
そのままぼーっとしていると、風の音や、鳥が鳴いているようなチチチ……という音が聞こえてきた。
「のどかだなぁ……」
中国でものんびり暮らしていたと香子は思う。しかも最後の頃は一人部屋だったし、こんな俗世を離れた状態に身を置きたいなんて思うほど疲れてはいなかった。
「あー、お母さんの作ったひじきが食べたいなぁ……」
その前に看板が見たい。香子は日本独自の、カタカナやひらがなの混じったビルやお店の看板を見ると帰国したという実感が湧くのだ。
そうしているとなんだか遠くから足音と複数の人が話しているような声が聞こえてきた。
「…………!?」
香子は身を縮め、耳をすませた。
『……○×△か!?』
『……××○□……』
足音はけっこうな数のように思える。そして話声も大きいし何人もいるかもしれない。
(何を言ってるんだろう……?)
聞いたことがあるような、ないような音は風などに紛れてうまく聞き取れない。そうしているうちに足音がだんだん近づいて来、香子はどうしたものかと焦った。
どう聞いても男性の声ばかりで自分にとって敵か味方かもわからない。けれどどこに隠れたらいいのかもわからず、とりあえず見つからないように身を縮めることしかできなかった。
(最悪な事態だけは勘弁してほしい……)
実は野盗の集団でした、とか。そこまで考えて香子は青ざめた。
(なんでもっと早く移動しなかったんだ私ーー!?)
いくら中国で4年過ごしたとはいってもやはり日本人ののほほん体質は抜けきらなかったのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えている間に足音はどんどん近付いて来、
『……○×!』
『……△! ××!?』
体を何日も洗ってないような、特有の匂いがした。
香子はあっさり見つかってしまった。
※『』内の言葉は中国語です。中国の通貨は1元=約15円で計算しています。
北京から東京国際空港まで直通であれば4時間程度のフライトだが、この機は上海を経由する為もう少し時間がかかる。
隣の席の友人は帰国が嬉しくて仕方がないようだったが、香子は切なくてたまらなかった。
香子には彼がいた。中国人で、お茶葉屋の店員だった。まだ見習いで3年の間給料は毎月500元(日本円で約7500円)しかもらえないと苦笑していた。だけど彼はできるだけ香子にお金を使わせないようにしてくれた。
レストランでいくらこちらが出すと言っても彼は決して香子にお金を払わせなかった。お金がない時は彼の家に連れて行かれ、彼が夕飯を作ってくれた。お互いの別れを知っていて、それでも最後まで優しかった彼を香子は決して忘れないだろうと思う。
香子は現実的な自分がひどく嫌だった。一時的に付き合っても、結婚まではしないだろうと割り切っていた。
でも今はまだ彼のことが好きだった。
『アテンションプリーズ、これより先気流の乱れがあるところに入ります。座席に戻りしっかりとシートベルトをお締めください』
中国語のアナウンスが流れて、香子ははっとした。
外すことはめったにないが念のため急いでシートベルトを確認する。
しばらくもしないうちに機体が大きく揺れた。香子はたまたま手に持っていたバッグをぎゅっと抱きしめた。
意識があったのはそこまでだった。
なんだか寝心地が悪くて、香子は目ざめた。
(あれ? 私飛行機に乗ってたんじゃ?)
視界に広がるのは青い空に白い雲。どうも仰向けに寝転がっている状態のようだ。視線を横にずらすと、青々とした木々が見える。
(地面に寝転がってる? 飛行機もしかして落ちた?)
そおっと体を起こしたが、寝心地が悪いと思った背中やお尻以外は別段痛みもない。そして意識がなくなる前に抱きしめたバッグもおなかの上に乗っていた。
とりあえずバッグを開け中身を確認する。財布が2つ、パスポート、ハンカチ、ティッシュ、飴がいくつか、中日辞典、家の鍵、中国語の本、ポケットアルバム。……なくなったものはなさそうである。
改めて周りを見回すが人っ子一人いない。
飛行機が落ちたと考えても奇妙な話だと香子は思う。
香子が寝転がっていたのは青々とした草の上で、森の中でも少し開けたような場所だった。そしてすぐ側に白い石を積み上げたような、昔は建物だった名残のようなものがある。
(なにかの遺跡とか?)
香子は万里の長城が好きだった。遺跡とかそういったものを見るとときめいてしまう変わり者である。おかげでこんなおかしな状態でも好奇心を刺激されたらしく、バッグを抱え直して立ち上がった。
そして元建造物らしきものの側に寄り、まじまじと観察しはじめた。
考古学を学んでいたわけではないのでわからないが、遺跡だと言われればそうなのかと思うぐらいの風格がある。
そうして香子は好奇心に突き動かされるままにちょうど手の高さにある岩にそっと触れた。
その途端、
ぐらり
その時、世界が激しく揺れた気がした。
「……っっっっ!?」
あまりの驚きに香子は悲鳴を上げることもできなかった。
なのに。
一瞬後には世界は何事もなかったように平常を取り戻した。
「…………?」
香子は眉を寄せた。手は依然岩に触れたままである。もしかして貧血でも起こしたのかと思うほど周りに変化はなかった。
実際あれほど揺れたとしたら周りの木々が平常通りであるはずがない。葉や枝が風になびいてはいるが地震による激しい揺れではないことがわかる。
「……なんだっていうの?」
思わず呟いた声は少しかすれていた。
(貧血かな……)
だとしたらしばらく安静が必要かもしれない。香子はずるずるとその場に座り込んだ。そして建造物の名残に寄りかかる。
そしてふと、夢かもしれないと思った。
そうだとしたらなんともリアルな夢だとも思う。
そのままぼーっとしていると、風の音や、鳥が鳴いているようなチチチ……という音が聞こえてきた。
「のどかだなぁ……」
中国でものんびり暮らしていたと香子は思う。しかも最後の頃は一人部屋だったし、こんな俗世を離れた状態に身を置きたいなんて思うほど疲れてはいなかった。
「あー、お母さんの作ったひじきが食べたいなぁ……」
その前に看板が見たい。香子は日本独自の、カタカナやひらがなの混じったビルやお店の看板を見ると帰国したという実感が湧くのだ。
そうしているとなんだか遠くから足音と複数の人が話しているような声が聞こえてきた。
「…………!?」
香子は身を縮め、耳をすませた。
『……○×△か!?』
『……××○□……』
足音はけっこうな数のように思える。そして話声も大きいし何人もいるかもしれない。
(何を言ってるんだろう……?)
聞いたことがあるような、ないような音は風などに紛れてうまく聞き取れない。そうしているうちに足音がだんだん近づいて来、香子はどうしたものかと焦った。
どう聞いても男性の声ばかりで自分にとって敵か味方かもわからない。けれどどこに隠れたらいいのかもわからず、とりあえず見つからないように身を縮めることしかできなかった。
(最悪な事態だけは勘弁してほしい……)
実は野盗の集団でした、とか。そこまで考えて香子は青ざめた。
(なんでもっと早く移動しなかったんだ私ーー!?)
いくら中国で4年過ごしたとはいってもやはり日本人ののほほん体質は抜けきらなかったのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えている間に足音はどんどん近付いて来、
『……○×!』
『……△! ××!?』
体を何日も洗ってないような、特有の匂いがした。
香子はあっさり見つかってしまった。
※『』内の言葉は中国語です。中国の通貨は1元=約15円で計算しています。
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