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1章:グラスフェアリー編
10話:牧草は硝子へ
しおりを挟むその夜、私とルナは私の住んでいる部屋までタクシーで帰り、お風呂も入らずベッドに倒れこむように寝た。
次の日の朝、何を喋ったら良いか分からず私達は無言でもしゃもしゃと食パンを頬張って、ルナは自分の家へと帰った。
ルナの帰り際、私はマンションの下までルナを見送った。
「ねえ、ルナ。昨日はさ、何だか夢みたいだった」
「怖くて不思議で、変な夢だった」
「飛田さんのお店、いつ行く? お店ってどこなんだろ」
「また、連絡する」
「うん、待ってる」
「ツグミ。ごめん」
「私も、ごめん」
「これで、イーブン」
「うん。これで、終わり」
会話はそれだけだった。でも、それで十分だった。
私はルナが去った後、さり気なく隠していた左手を開けた。そこには、不思議な模様になった傷跡が浮かんでいた。
ああ。羽ばたきが、聞こえる。
☆
それから数日が過ぎた、日曜日のお昼過ぎ。
私とルナは、飛田さんの名刺に書いてあった住所――つまりナインテールが入っているビルへとやってきた。
「ツグミ、あたしやっと分かったよ」
ルナが急にそんな事を言いだした。
「何を?」
「なんで飛田さんがツグミが類士社生だって分かったか」
「ああ」
「ほら、見て」
そう言ってルナが、地下へと続く階段を指した。ナインテールは日曜日は定休日のはずなのに、なぜか扉は開いていた。
「開いてる……?」
「そう。そして飛田さん、こないだ、こう行ってたでしょ――俺の店に来いって」
「あっ。そうか……もし飛田さんが、ナインテールのオーナーなら」
ナインテールには、久遠さんとは別にオーナーと呼ばれる人物がいる事は知っていた。だけど、それが飛田さんとは全く結びつかなかった。だけど、もしそうなら……・
「当然、アルバイトであるツグミの履歴書は見ているだろうね」
「でも、なんで自分の店のアルバイトだと分かったのかな?」
「さて、そこまでは。聞いて見ればいいよ。さあ、行こ」
私達はゆっくりと階段を下った。ナインテールの扉は開かれており、カウンター席に飛田さんが座っているのが見えた。
青い髪に、無精髭、甚平。間違いない、飛田さんだ。
私達が、入口でまごまごしていると、飛田さんが手を上げて、クイクイとこちらへと招くように動かした。
私とルナは顔を合わせると、そのまま、店内へと入った。飛田さんの前には、いつものシャツ姿の久遠さんがいた。
「やあ、いらっしゃい、鳥居さん。そして君は初めましてだね」
微笑を浮かべる久遠さんにルナが頭を下げた。
「江代輝夜です。ツグミがお世話になっています」
「保護者かよ。ルナの名字は江代か。江代ね……まあいい座れ」
飛田さんの前には、あの例のガラス細工の鳥籠と灰皿が置いてあった。灰皿には数本の煙草の吸い殻が入っていた。まだ消したてなのか、微かに煙が上がっている。なんだか嫌な匂いがする。
「好きなもん飲めよ。零也、作ってやれ」
「言われなくても作るさ。さて、何が良い?」
私とルナは飛田さんの隣に座る。
「私はジントニック」
「じゃ、あたしもそれで」
久遠さんが手早く目の前でジントニックを作っていく。
「さてさて、何から話したもんか」
「一から。全部説明して欲しい」
「話が長くなるし、とっ散らかる。何よりめんどくさい。質問にしてくれ。答えられる範囲で答える」
飛田さんがそう言い、ポケットから煙草を取り出しすとジッポーで火を付けた。
紫煙が揺れ、私の左手がまた疼いた。
「じゃあ、まず、あのガラスのような妖精はなんだったんだ?」
「そうだな、まずはそこからだ。あれはな【グラスフェアリー】だ」
「グラスフェアリー? ガラスじゃなくて?」
「どっちでも一緒だよ。まあ語源を辿ると、草って意味のGRASSが最初だ。元々は牧草地に住む妖精の一種でな。GRASSが伝承されていくうちに、GLASS、つまりガラスになっちまった。ああいうモノは伝承で形が、性質が変わっていくんだ。牧草の妖精から、硝子の妖精にな。そしてガラスってのは、場合によっては光を屈折させてしまう。凹凸レンズってあるだろ?あれみたいに小さな点を大きく見せ、大きなモノを見えないぐらい小さくしてしまう」
私は思い出した。ちょっとした感情が大きくうねった事を。理性がまるできかなくなったことを。そして、牧草が硝子に……どこかで聞いた言葉だ。
「だから、【グラスフェアリー】はガラスのそういう性質を持ってしまったんだ。感情を大きく見せ、そのブレーキである理性を見えなくする。そうして暴走した人間によって出来た被害者を貪り食う」
「やっぱりじゃあ、あの猟奇事件は」
「ああ、あの犯人の男に憑いていたんだろうな。そして被害者を喰った」
私は想像した。
もしあの時ルナを……。
飛田さんが、ガラス細工の鳥籠を指で弾いた。
「こいつは、本来もういないはずなんだ。このご時世だ。妖精なんて信じる奴はいない。伝承は続かない。だから、数百年前にこうやって封印されたっきりでもう現代にはいない、はずだった」
「じゃあどうして現れた? しかも日本に」
「持ち込まれた」
「持ち込まれた? なぜ?」
「なぜ、か。難しい質問だ。あの捕まった犯人は素人だ。おそらく、別の誰かが裏にいる」
飛田さんが額に皺を刻んでいた。ゆっくりと煙草を吸い、そして灰皿へと押し付けた。
「……はい、ジントニック」
久遠さんがジントニックを私とルナの前に出した。私達はそれに口を少しだけつける、話を続けた。
「じゃあ、あれは、計画的犯行ってこと?」
「いや、あの殺人事件自体が計画的ってのは違うな。だが、ああいう事件を起きたってのはおそらく計算通りだろう」
見ろ、と言って飛田さんはスマートフォンの画面をいくつか見せてきた。それはSNSや匿名掲示板、アングラサイトだったり、サークルか何かのチャットのログ画像だった。いくつかは見覚えがあった。確か、ルナが私に送ってくれたURLのやつだ。
そこには怪異だとか、都市伝説だとか、そういった胡散臭い記事がたくさんあった。それを真面目に論議していたり茶化したりと様々だったが、全てあの事件についてだった。
「警察が公表していない事まで流れている。ところどころに妖精なんてキーワードまで散見している。俺は意図的な何かを感じた」
「つまり真犯人は、殺人その物ではなく、グラスフェアリーが事件を起こす事で、こういった噂、つまり伝承が再び起こる事を目的にしたって事?」
「ああそうだ。もし俺達が捕まえていなかったら、被害者は増えただろう。そして目撃情報も増える。透明な妖精が人を襲うって話がまことしやかに噂される」
「そんな事をして何になる?」
「場所が、良くないんだ」
「場所?」
飛田さんが再び煙草を取り出した。紫煙がたゆたう。それがなぜか私をひどく苛立たせた。飛田さんと久遠さんがちらりと私へと視線を向けた。
「京都は、駄目なんだ。そういう事象に真実味を帯びさせる力がある。伝承や怪異だとか呼ばれるモノはそういう事に敏感なんだ。東京では起きない事が、京都では起こり得る。そう思わせてしまう魔力があるんだよ。しかもこの自粛ムードのせいで、観光客が激減した。おかげで、人の気配はこの最近では類を見ないほど薄くなった」
「確かに、京都は古い都市だし、そういう伝承や言い伝えもたくさんあった。でも、それは京都に限った話じゃないと思うけど」
「知名度が違う。京都より古く、歴史がある土地は日本にたくさんある。だが世界的に見て、京都は知名度が違い過ぎる」
そして飛田さんはスマホで違う画面を見せた。全て英語のページだが、KYOTOの文字と、FAIRYの文字が踊っていた。
「海外はもっと露骨だ」
飛田さんが苦笑いをしていた。
「真犯人って呼ぶのが正しいかは分からないが、そいつはそういう話を京都に広めようとしている。そしてそういう魑魅魍魎が跋扈する京都というイメージを、拡散、いやブランディングをしようとしている。そうすると、どうなるか?そうなるんだよ、京都が。奇々怪々な都市に変質してしまうんだ。
「牧草が硝子になるように、か。まるで御伽噺みたいだ」
私は、ルナと飛田さんの会話をどこか上の空で聞いていた。あまりに突拍子のない話だ。
左手が疼く、ああ、あのガラス細工の鳥籠を壊したら、さぞかし気持良いだろうなあ。
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