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1章:グラスフェアリー編

11話:妖精憑き

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「話を戻す。とにかく、グラスフェアリーが放たれたのはそういう理由だろう。あくまで推測だがな」
「じゃあ飛田さん、この石は、何? あたしとツグミを助けてくれたように見えたけど」
「正直、驚いている。俺はあの時、蝶を見た」

 私は思い出した。あの極彩色の蝶を。

「私も見ました、ルナの手から光が溢れたその後に」
「あたし、あの蝶、どこかで見た記憶が……」
「あれは、アゲハ蝶だ。アゲハ蝶と言えばだ」
「常世神?」
「まあ新興宗教みたいなもんだ、昔のな。幼虫から蛹、そして美しい蝶になるアゲハ蝶を神に見立てて、富と不老のご利益がある新興宗教が出来たんだ。その石は、欠けているというより、割れたんだな。それは石じゃなく、蛹だ。常世神が羽化した後の蛹」

 私はルナの首元の石を見つめた。それは言われて見れば、背中が割れた蛹に見えなくもない。

「何処でそれを見付けた? いや、その辺りに落ちているもんじゃない。常世神はもういないはずなんだ。
「貰った。誰からいつ貰ったかはなぜか覚えてない」
「多分だけど、ルナが小学校の時だよ。私覚えてる。いつからかそれを身に着けていて、それから神話や歴史にルナが興味を持ちはじめたの。私は下校中いつも神様の話を聞かされてた」
「うそ? あんまり覚えてないけど……」

 私は覚えているよ。あの当時私が好きだった、たっくんがルナと話したいが為に一生懸命勉強していたのを、私は見ていたから。

「小学校か。名字は江代、だったな? 親父さんは何処出身だ?」
「父は滋賀県。滋賀県の名浜市」
「なるほど。なるほどだ。江代に輝夜で、名浜か。田舎の方だろ、川はあったか? 山は? 神社は?」
「確かに田舎だったけど、今はショッピングモールと住宅地が出来て田舎じゃなくなっているはず。小学校の頃は、田んぼとか山とか川とかあった気がするけど……神社は、覚えてない」
「神社だけは覚えていない、か。なるほど。はっ、中々どうして因果めいてきたじゃないか」

 飛田さんはそう言うと、黙り込んだ。紫煙が部屋に充満する。私は息苦しさを感じた。空気を吸いたい。

「どうした、つーちゃん。

 飛田さんが私を真っ直ぐに見据えていた。私はその瞬間、疼く左手を――カウンターの上にある鳥籠に伸ばした。

「それは、

 私の左手を、飛田さんと久遠さんが素早く掴んだ。隣でルナが驚いているのが分かる。

「まさか、まさかだ。
 
 万力のような力で私の左手が抑えられた。私は、自分の行為に今更驚いた。

「ツグミ、なにしてる? 飛田さん、手を離せ!」

 ルナが席から腰を浮かし、私の左手を抑える飛田さんの腕を掴もうとした。

「黙って見ていろ!」

 飛田さんの一喝で、ルナは伸ばした手を引っ込めた。

「何処で、いや違うな、? いつ、取り憑かれた?」

 私は左手を開き、手のひらの内側を見せた。

「……取り憑かれた、じゃなくて取り込んだだと?」

 手の平の内側の傷跡は痣になっており、何かの紋様のようになっていた。それは歪な蜂のようにも見える。飛田さんはそれを見つめており、口元からぽろっと咥えていた煙草をカウンターの上に落とした。

「あの時、飛田さんが鳥籠を作っている時、一匹だけ私の方に逃げてきたんです。それをつい捕まえてしまい、左手で握り潰しました。これがその痕です。時々、疼くんです。この店もそう。そうすると、気持ちがおかしくなるんです。さっきまでずっとずっと私は、その鳥籠を壊したくて仕方なかったんです」
「なるほど魔力に反応して、引っ張られているのか。この店もそうだ。零也、換気扇を回せ」
「ああ」

 しばらくすると、私は息苦しさが嘘のように消えていくのを感じた。

「もう、大丈夫だな」

 飛田さんはそう言って、手を離した。私も左手を引っ込めた。

「ごめんなさい……私、とんでもないことを」

 私は自分がやろうとしたことにぞっとした。あの鳥籠を割ったら、どうなっていただろうか。私は涙がポロポロと頬に落ちるのを感じた。

「いや、悪い。俺が巻き込んだ。万が一と思ってこの部屋に妖精避けのまじないをかけていたんだ。それが逆に作用するとは俺の技量不足だ、すまない」

 飛田さんがそう言うと頭を下げた。私は、涙を拭って、首を振った。

「いえ、私が、悪いんです。ごめんなさい」
「ツグミ……大丈夫?」

 ルナが背中に手を回して抱きしめてくれた。暖かい、そして柔らかい匂いが私を安心させた。

「つーちゃん、いやツグミちゃんだったか。君は、非常に曖昧な存在になっている。君自身にさほど影響はないが、此方側に引っ張られ易くなってしまう。その力がどこかで暴走してしまうかもしれない」
「はい」
「何とか出来ないのか? あたしも協力する」
「ああ、言っとくがな、ルナ、君も相当に危なっかしい。はっきり言っていつまたこういう事件に巻き込まれるか分かったもんじゃない」
「私達どうすればいいのですか?」

 私とルナの視線を受け、飛田さんは目を泳がせると、頭をガシガシと掻いた。

「参ったな。とはいえ、これも縁か。礼もしてないしな。分かった、君らには最低限の自衛法を俺が教えよう。弟子なんて取るガラじゃあないんだが、どうも最近キナ臭い。もしかしたら君らの力が必要になるかもしれん」
「弟子かよ……」
「えぇ……」
「あからさまに嫌そうな顔すんなお前ら。とりあえずルナ、お前もここで働け」
「なんで?」
「僕が居れば、とりあえずは大丈夫だからだよ」

 そう言って、久遠さんが微笑んだ。

「こいつは、俺の……部下? みたいな奴で、当然――此方側だ」
「久遠さん……」

 私がそう言って久遠さんを見つめた。

 そう、久遠さんは知っていたのだ。私とルナがグラスフェアリー事件に首を突っ込んでいる事を。

「ごめんね、鳥居さん。オーナー命令でね。でも、僕は君達の味方だ。それに君達が此方側に来たのなら……ようやくこのお店の本質を教えられる」
「はん、何を言うかと思えば。確かに気付かれないようにって言ったがな」

 飛田さんが鼻で笑うが、久遠さんは笑顔を崩さない。

「本質?」

 私がそう言うと、久遠さんが頷いた。

「そう。人の気配が薄れた、この京都には日本中……いや世界中から色々なモノが訪れていてね。そういうモノがお行儀良くしているかどうか監視しているんだよ」
「ついでに、そういう奴から金をぼったくってるのさ。人間が来ねえからそうでもしないと商売にならねえ」

 そう言って、飛田さんが笑った。

「待ってください……それってつまり、妖怪とか怪物とか……そういうモノが実際にいるってことですか?」

 だけどもう私達は見てしまったのだ。あの、醜い妖精を。

「さっき言ったろ? 京都で魑魅魍魎が跳梁跋扈しているイメージって。まさにその通りなんだ。俺らがいるこの世界……現世うつせと呼ぶんだがな。これとグラスフェアリー達の世界――幽世かくりよは表裏一体なんだが、本来は決して交わることがないんだ。ないはずだった。だが、どっかの馬鹿がその壁を、境界線を破壊しようとしている」
「で、ここは、その幽世の住人が飲みに来るバーって事か」

 ルナが目を輝かせて、そう久遠さんに聞いた。

「そうだけどそれだけじゃない。まあそれは追々教えるよ、江代君」

 久遠さんの答えにルナがこくりと頷いた。

「ま、そういうこった。まあお前らみたいに、現世に居ながら幽世に干渉出来る奴もいるんだがな。大概は変人だが」

 そう言う飛田さんを、私とルナと久遠さんがジッと見つめ、声を揃えてこう言ったのだった。

「確かに」
 
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