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1章:グラスフェアリー編

9話:感情の万華鏡

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 飛田さんは公園内に入っていく。私とルナも後に続いた。

「?」

 入った瞬間、ルナが訝しげに辺りを見渡した。私は、微かに煙の匂いを感じた。

「あらかじめ、この公園には人避けの結界を張ってあって、人は無意識にここを避けるようになる。ここで何をしようが、この公園に入ってこない限り分からなくなる」
「なにそれ、どういう技術?」
「今詳しく解説する気はねえよ」

 私は公園を見渡した。地面は芝生になっており、滑り台になっている小さな山に、ブランコ。枝垂れ桜が公園の入口にあり、満開で綺麗だった。

「さてまずは、奴らをおびき寄せる。いいか、奴らが来たら、絶対に言うことを聞くな。名前を呼ばれても返事をするな。無視しろ。何も考えるな感じるな。奴らは、少しでも感情の波を感じると、増長させる」
「感情を?」
「ああ。まるでレンズみたいに、小さな物を大きく見せる。おそらく、先の殺人事件もそれが原因だろうさ。理性のタガを外すのが奴らの性質だ。ちょっとした不満、怒り。それが増長し、気付けば衝動に駆られ、普段ならしもしない事をさせる」

 感情を増長させる。それは、とても怖い事のように思えた。飛田さんは革袋からガラス玉のような石をいくつか取り出し、地面に置いた。何かの規則性があるのか分からないが、その置いた石で作った円の中心に虫取り網を置いた。

「でっかい方のお嬢ちゃん」
輝夜ルナ。それがあたしの名前」
「ようやく教えてくれたか。良い名だな。いいか、ルナ。万が一飲まれそうになったらその石を頼れ」

 そう言って、飛田さんがルナがいつものようにぶら下げている石を指差した。

「分かった。つーちゃんはどうすれば?」
「ああ、ルナの手を握っていろ。空いた方の手にはこれを」

 飛田さんは革袋から、紐のような物を取り出した。それは干し草のような物を編んで作られていて、何だか良い匂いがする。

「これは何ですか?」
「こいつは、牧草を乾かして紐状に編んだ物だ。奴らの故郷だよ」
「故郷?」
「ああ。それがあれば、奴らの気が逸れる。もし奴らに襲われたら、その紐を使え。出来るなら、あの虫取り網に向かって投げろ。出来ないならそれでも構わない」
「網に向かって投げればいいんですね?」
「ああ。無理でもいい。俺がなんとかする」

 私は紐を左手で握り、右手でルナの左手を握った。ルナは右手で首元の石をぎゅっと掴んでいる。。

「いいか、今から現れる物はまやかし、一種の幻覚だ。俺が焚いたお香で一時的にそういうトランス状態になって見る夢だ。いいな?」
「そういう風に思っておけってことか。分かったよ」
「分かりました」

 ルナと私が返事すると飛田さんは頷き、革袋から乾いた牧草のような物を取り出し、それに火を付けた。

 暗い中で火が瞬き、煙が上がる。焦げたような匂いが辺りに漂いはじめた。

「来るぞ」

飛田さんの声が響く。すると少しずつ、何かが羽ばたく音が聞こえ始めた。まるで、蜂か何か群れが迫ってきているかのような音。それは、本能的に人の恐怖を煽る音。

「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」「こんばんは、ツグミ」

 羽ばたきと共に耳元で甘い声が響く。いつの間にか目の前に無数の小さな生き物が飛んでいた。それは、透明な身体をしており、翅も透明だった。まるでガラス細工でできたような身体。それは蜂に酷似しておりその身体に無理やり人の顔を付けたようなグロテスクな生き物。透明な翅が外灯の光を反射し、キラキラと輝いている。
 
 ルナが私の手をぎゅっと握ってきた。私も握り返す。思考がルナの事へと一瞬シフトする。

「ルナ可愛いね」「ルナ美人だね」「背が高い」「足も長い」「細い」「モテるね」「昔好きだった人、取られた」
「たっくん取られた」「悔しい」「妬ましい」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」「嫌い」

「ルナが嫌い!!!!」

 妖精が囁く。私の思考が読まれ、気持が噴出する。唸るように感情が波立つ。私は痛いほど、ルナの左手を握った。分かっている。嫉妬しているのだ、ルナに。お姉さん気取りをしていたのはそうやって優越感を勝手に自己で作っていただけだ。ああ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ。

 ふと、昔を思い出した。好きだった男の子が、ルナに告白したことを。仕方ないと思った。私では、絶対に勝てないと。負けないように努力した。化粧だってオシャレだって。でも、ルナはいつも先を行っていた。

 感情が渦巻く。螺旋を描き、私はそれをコントロールが出来なくなり、息苦しさを覚えた。感情の海に溺れる。苦しい苦しい苦しい。

「苦しい?」「簡単だよ?」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」「殺しちゃお」

「楽になろうよ」

 甘い言葉が私の頭の中で何度も何度も反芻される。ああ、そうか。殺せば、私の勝ちだ。なんて簡単なんだろう。私は左手に持っていた、紐を持ち上げた。これでルナのあの細い首を絞めればいいのだ。
 
 そこで、視界に飛田さんが映る。地面に胡座をかき、何かを一生懸命唱えている。そして、思い出した。ああそういえば、この紐、投げるんだっけ。
 
「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」「締めよう」「殺そう」「縊り」「殺す」


 あああああ! うるさい! うるさい! うるさい! 耳元の羽ばたきが、囁きが、合唱に変わる。
 もういい! うんざりだ! 私は隣に立つルナの顔を見上げた。
 ルナは苦悶の表情を浮かべており、必死に右手で石を握っていた。

「さあ殺そう」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」

 囁きから逃げるように私は左手をルナの首へと伸ばした。紐を巻いて、絞めればいいんだ。簡単な事なんだ。私の左手がルナの首に触れた。ルナが驚いたような表情で私を見つめる。

 ――ああ。なんて綺麗な瞳なんだろうか。

 一瞬、その瞳に私が囚われた瞬間、ルナの右手が発光。
 その光は手から溢れ、辺りを照らす。

「蝶?「なんで?」「光!!」」「光**やめ**!」「**!やm********!!!」「光**やめ**!」「光**やめ**!」「「**!やm********!!!」「光**やめ**!」「**!やm********!!!」「光**やめ**!」
 
 あんなにクリアに聞こえていた妖精達の声にノイズが混じり始めた。ルナの右手から溢れる光で妖精の翅がまるで万華鏡のように瞬く。
 
 そこに私は――極彩色の蝶を見た。

 その瞬間、私は我に返った。
 私はルナの首元に持っていった紐を、無我夢中で前にある虫取り網へと投げた。

「家?」「家!」「眩**し」「帰***!」「**る!」「家?」「家!」「眩**し」「帰***!」「**る!」「家?」「家!」「眩**し」「帰***!」「家?」「家!」「**る!」「家?」「家!」「眩**し」「帰***!」

 妖精たちがざわめき、そしてその投げた紐を追った。紐がぱさりと、虫取り網の上に落ちた。そこに群がるガラスの妖精。
 
「はっ!クソ虫どもが!」

 素早く立ち上がった飛田さんが革袋から、何かキラキラした粉のような物を取り出し、虫取り網の上に振り撒いた。

 粉は光りながら、まるで導かれるように、虫取り網を囲うガラス玉に吸い込まれていく。粉を吸ったガラス玉から細いガラスが枝のように伸びていく。それはアーチを描いて、地面に置かれた別のガラス玉に繋がっていき、まるで檻のように虫取り網を囲んだ。そしてそれは、見る見るうちに縮んでいった。

 だけど、そこから一匹だけこちらへと飛んでくる妖精がいた。私は思わずそれに左手を伸ばし、掴んだ。手の中で何かが暴れる。私は構わずそれを――。鋭い針か何かが刺さる痛みと血の暖かさを感じた。

「はあ……はあ……」

 ルナが力尽きたようにぺたんと地面に座り込んだ。私もつられて、座り込んだ。まだ右手はルナと繋がったままだ。

 目の前にはガラスで出来た、小さな鳥籠があった。その中には精巧な妖精の形をした硝子細工が入っており、その美しい顔はなぜか苦悶の表情を浮かべていた。

 飛田さんがこちらに歩み寄ってくる。飛田さんはその手の平サイズの鳥籠を拾うと、革袋の中に入れた。

「よくやった。二人共よく飲み込まれなかったな。見事だ」
「今のは?」
「今日はもういい。全て終わった。今日はもう帰れ。タクシーでも使え。出来れば今夜は一緒にいろ」

 飛田さんは、ぽんぽんと私達の頭を優しく叩いた。なぜだがそれが妙に嬉しくて、私は泣いた。ルナも泣いていた。私達はワンワン泣きながら抱き合った。ごめんね、とお互いに謝りながら。

 その様子をしばらく飛田さんは見ていたが、財布からすっと一万円札を出すと、ルナの右手に握らせた。

「落ち着いたら、事務所……いや、。説明、ほしいだろ?」
「はい」

 ルナはそう答え、涙を拭くと立ち上がった。私もルナに支えられながら立つ。

「礼は、後日する。俺だけじゃあ出来ない仕事だった。感謝する。今日はゆっくり休め」

 飛田さんはそう言い残し、去っていった。その瞬間、世界に音が戻ったように感じた。

「ルナ、帰ろう」
「うん」

 私とルナは、手を繋いだまま、帰路についた。
 私の左手が、ずきりと痛んだ。
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