天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第13.5章 神聖な場所の裏側

2.届かない想い

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季節が巡ってアネシスの短い夏と秋が終わって雪が降り始めた頃。




空き時間の定番になった鍛錬をしようと、神殿の片隅で護衛の男達と汗を流していた時、珍しく取り乱した様子の神官長が駆け込んで来た。

神官長の実際の年齢は知らないが、普段は老人らしいゆっくりとした足取りで歩くから、駆け込むほど走れるとは思わなかった。




「イルバ!シェニカ様がこの街にお越しになったぞ!」



「シェニカ様が?本当ですか!?」



神官長の言葉に思わず大声を出してしまった。

一緒に鍛錬をしていた者達は驚いた顔をして自分を見たが、神官長が彼らを下がらせると、私に身だしなみを整えて執務室に来るように命じた。





神官長の執務室に入ってソファーに座ると、いつも通り巫女にジンジャーティーを持って来させた。

一息ついた神官長は嬉しそうな表情を浮かべて、顎を撫で摩り始めた。




「さきほど領主様から使者が来た。シェニカ様は午前中に孤児院を往診、午後に治療院を開く予定だそうだ。孤児院の往診には、お前が大切にご案内しなさい。

そしてタイミングのいいことに、シェニカ様についての新しい報告書が届いた。
明日にはシェニカ様を孤児院にお連れすることになるから、今日中に目を通しておくように」




「はい!」



神官長から数枚の書類を受け取ると、すぐに執務室を後にして私室に駆け込んで読み始めた。






「これは…」


その報告書はつい最近のこと。この国の隣国、マードリアを訪問した時の内容だった。


胸を高鳴らせながら読み進めるうちに、その内容に絶句した。




シェニカ様は知り合いであるマードリア領リズソームの前神官長の屋敷に、魔法の研究のために訪れたため治療院は開いていなかった。


その時シェニカ様が連れていた護衛は『赤い悪魔』ではなく5人の傭兵で、護衛を入れ替えたのかと思われたが、シェニカ様の話によれば一時的なものだったらしい。




前神官長からシェニカ様の訪問を聞いた神官長は、邪魔で仕方なかった『赤い悪魔』がいない状況を好機と見て、マードリア軍の元副官に5人の護衛を排除させて新たな護衛として贈った。




実際の副官を神殿が引き抜けたのは異例中の異例。


普通ならば越境なんて簡単に出来ないから護衛の仕事なんて引き受けられない。

越境の特権がある『白い渡り鳥』様の護衛ならば一応関所は通れるが、必ず手練の暗部が監視につけられる。怪しい動きをすれば軍に報告されて、将軍が直々に出てきて取り調べをするはずだ。


高い能力を持つ者の流出はマードリアの軍部が許さないはずなのだが、サザベルと軍事同盟を結んでいて戦力に不安はないから、1人くらい流出しても大して問題なかったということなのだろう。






だがそんな男は、自分の強さを知っているからか随分と過信していたようだ。



『シェニカ様とは何よりも先に信頼関係の構築をするように』と言われていたにも関わらず、男はシェニカ様を籠絡させる自信があったらしく、リスクも顧みず信頼関係を構築する前にシェニカ様を襲った。

その時、シェニカ様の元に戻って来た『赤い悪魔』と鉢合わせし、私闘の結果、男は退けられた。




男の狼藉は未遂に終わり、シェニカ様に絶縁宣言をされてしまって世界中の神殿としては大打撃を受けたが、男のその行動には思わぬ副産物があった。


それは、『シェニカ様はまだ誰の手もついていない』という事実だった。





「シェニカ様を襲うなんて、なんてことを…」


恋い焦がれた自分の大事な人になんてことをするんだろう。

自分と違ってこの男にシェニカ様への好意がなくても、女性を大事に扱うのは当然だし、『白い渡り鳥』様にそんな狼藉を働くことは後々大変なことになってしまうと当然知っていたはずなのに。





シェニカ様は大丈夫だろうか。男に襲われて、恐怖で傷ついていらっしゃるに違いない。

会いたい。会って今度は自分がシェニカ様を慰めて差し上げたい。






居ても立っても居られなくなって神殿を出て、逸る気持ちを抑えながら、シェニカ様のお泊りになっている部屋の前で立ち止まった。


今はもう夜の時間だ。夜這いと間違われて印象を悪くするのは避けたいから、ドアをノックすることはしない。







ーーこの扉の向こうに待ち焦がれたシェニカ様がいらっしゃる…。もうお休みになっていらっしゃるだろうか。


ドキドキと高鳴る胸の鼓動が、うるさいくらいに耳に響く。




意識を集中させて気配を読むと、同じ場所に2つの気配がある。



自分がドアの前にいることに気付いたのか、1つの気配は迷うこと無くこちらに意識を向けている。その行動から『お前がそこにいるのは分かっている』と自分を警戒しているようだ。

この行動をするということは、シェニカ様ではなく護衛の『赤い悪魔』だろう。






でも、『シェニカ様は護衛と別々の部屋を取っていた』とマードリアの報告書には書いてあった。



なのになぜ護衛の『赤い悪魔』が、今シェニカ様と同じ部屋に居るのだろうか。

ここに来る前に宿の受付でシェニカ様一行が取っている部屋は1つだと聞いたが、『赤い悪魔』はソファにでも寝るのだろうか。






頭に浮かんでくる嫌な予感を振り払いながら気配を読み続けていると、2つの気配は重なるように1か所に集まって動かなくなった。


確かこの部屋はダブルの部屋だったはず。普通に考えれば、2人が重なる場所といえばベッドの上…。





ということは、マードリアからここに来るまでの間に、シェニカ様は『赤い悪魔』と深い関係になってしまったということなんだろう。



振り払い続けた嫌な予感が確信に変わった途端、身体の奥底から流れ出てくる黒いマグマのような負の感情を押さえ込もうと、拳を強く握りしめた。






護衛を調べた報告書には、『赤い悪魔』は女傭兵や民間人の女を相手にせず、一度きりの娼婦ばかりを相手に選んでいた、と書いてあった。


常にベッドの上に剣を置いて、娼婦を取り押さえるようにベッドに押し付け、後ろから乱暴にするらしい。

傭兵が暗殺者を警戒している時にするやり方らしいが、『赤い悪魔』は男に襲われて傷ついたシェニカ様にも一方的で乱暴な扱いをしているのだろうか。






自分なら…。


もし自分がシェニカ様の相手を務められるのなら。



『赤い悪魔』のような優しさや愛情のカケラもない一方的なやり方じゃなく、大事に大事に。うんと優しく触れて、この身に滾る愛おしさが少しでも伝わるようにしたい。





どうしてこの男なのか。


傲慢で乱暴な『赤い悪魔』がどうして。どうしてシェニカ様に選ばれるのか。


納得いかなかった。






だからこそ、翌朝に『赤い悪魔』を初めて見た時には、激しく渦巻く嫉妬と憎悪で思わず掴みかかりそうになった。

でも、『赤い悪魔』の後ろにいたシェニカ様を見た時、嬉しさが黒い感情を上回った。



シェニカ様は以前見た時よりも幼さが抜けたのに、守ってあげたくなるような可愛さが増し、自分を見る不安そうな顔にはどこか色っぽさがある。






ーーあぁ……。ずっと。ずっと会いたかった。やっと会えた…!



自分がシェニカ様に話しかけようとしても、『赤い悪魔』が自分に『近寄るな』と視線で牽制してくる。
シェニカ様は『赤い悪魔』に絶大な信頼を寄せているらしく、強面の男とすれ違う時には助けを求めるように『赤い悪魔』の腕に手を伸ばしていた。




2人の様子を見るたびに燃え上がる嫉妬の炎を必死に押さえ込みながらシェニカ様と最低限の会話をしていると、以前治療してもらった時には感じなかった『踏み込ませない一線』を感じた。


なぜシェニカ様がそうしているのか分からず、何気ない会話すら出来ないことに寂しさを感じるが、シェニカ様が楽しそうに孤児達と会話したり、じっとしていない子供相手に丁寧に治療しているのを見ていれば、初めて会った日のことを思い出して心が暖かくなった。


シェニカ様は誰にでも優しく接して下さる方と聞いているが、どうやら子供が好きなようだ。




ーー自分との間に子供が出来たら、こんな風になるのだろうか。長期間に渡る旅に連れて行けるのは学校に入る前までだ。神官長が何か言ってくる可能性が高いが、自分はその時が来るまでは子供とシェニカ様を守りながら一緒に旅をしてみたい。







孤児院の往診を終えて治療院に戻った時、自分のことを覚えていないか尋ねてみると、残念なことに自分のことは覚えていらっしゃらなかった。


多くの患者を相手にする方だから、覚えていないのは仕方のないことだと思っても、思わず落胆してしまった。





神殿に戻ると、神官長は領主様の屋敷に行っていて不在だった。確か領主様からの寄付についての話が予定されていたから、今夜遅くにしか帰って来ないだろう。


厨房で軽食の入った籠を貰ってを私室に戻ると、ベッドに横になってシェニカ様を思い浮かべる。



やっと会えたシェニカ様に喜ぶ自分とは対照的に、彼女は自分を警戒しているらしく、硬い表情のまま必要最低限のことしか会話して貰えない。

それに対してドゥテニーとは、孤児達を挟んでいるからかとても楽しそうに。親し気に話していた。






何の取り柄もない、たかが貴族の末子に過ぎないこのドゥテニーが、なぜシェニカ様と邪魔の入らない状態で楽しそうな時間を過ごせるのか。

なぜシェニカ様を想ってやまない自分が、シェニカ様にそういう表情をさせることも時間も得られないのか。






ドゥテニーがシェニカ様と親しげに会話するのは腹立たしいが、自分の様に恋心を抱いていないことに安心した。

もしこれでドゥテニーがシェニカ様に恋をしようものなら、自分の胸に渦巻く嫉妬が抑えきれずに『赤い悪魔』ではなくドゥテニーを暗殺してしまいそうだった。





自分がシェニカ様に近付こうとすると視線で牽制してくる『赤い悪魔』なのに、この男もドゥテニーは取るに足りない存在と判断したらしく、鈍くさいドゥテニーにはそれをしなかった。










シェニカ様ともっと距離を縮めたい。


資料じゃなくて、シェニカ様から直接色んなお話を聞きたい。

もっと自分を知って、自分の気持ちを知って欲しい。





夢にまで見た現実のシェニカ様を見るたびに、心の中からそんな叫び声が悲鳴のように上がってきた。









翌日、シェニカ様と話す機会を得ようと神殿にお誘いすると、窓の外の雪を見て楽しそうな顔をしていたシェニカ様の表情が一瞬で強張った。


その表情に少し戸惑いを覚えつつも、話を進めるとシェニカ様は少しの怯えを滲ませて自分を見て来た。







「神官長の補佐をしているイルバ様に言うのもなんですが、神殿の人達が行く先々で私を監視していると聞きました。そんなことをする神殿の人は信用出来ませんから、近寄りたくもありません」



その言葉を聞いてハッとした。


シェニカ様から見たら、自分にそんな気持ちはなくてもシェニカ様には襲った男と変わらないということだ。


それに。自分がこれまで見てきた資料は、シェニカ様を監視した上での結果。
それを読んで、シェニカ様を知ることが出来たと喜んでいた自分も同罪だ。




これでは、シェニカ様との距離は縮まらないし、信用して下さらない。


ならば神殿じゃなくて、どこかレストランにでも…と誘おうとすると、『赤い悪魔』が邪魔をしてきた。
その鋭く睨みつける目には、『俺の女に近付くな』とありありと書いてあった。

それだけに留まらず、自分がシェニカ様を見送っているのを分かった上で、堂々とシェニカ様にキスをした。


自分を振り返ったこの男は『こういう触れ合いが出来るのは俺だけだ。だから俺の女に近寄るな』と、自分に対して喧嘩腰の牽制をしてきた。



悔しくて、憎たらしくて、殺してやりたいと溢れてくる憎悪の視線で睨み返したが、赤い髪の男はシェニカ様を更に密着させるようにして口の端を歪めて嘲笑った。




雪の中を楽しそうに歩いて行く2人の姿を見えなくなるまで見送ると、1人残された治療院に入った。







「シェニカ様…」


外気に晒されてすっかり冷えた自分の手を見た。



少しだけでいいから触れてみたいと思って、強引にシェニカ様の手を握った。小さくて柔らかくてあたたかな手は、とても愛おしかった。

でも、やっぱり嫌われたくないという意識が働いて、それ以上のことは出来なかった。




自分はリズソームの男のように、シェニカ様を強引に襲うなんて絶対に出来ないと思い知った。












その翌日。シェニカ様と少しでも会話出来ないかと隙を伺っていても、シェニカ様自身が自分と距離を取ろうとする姿勢に変化はなかった。



あまり近付き過ぎると、心証を悪くして今以上に話をして貰えなくなってしまいそうで、自分には『何もしない』という残念な選択肢しか残されていなかった。






その結果、なかなか話せる機会を得られないまま治療院の最終日になってしまった。


シェニカ様の想いと信頼を独占する『赤い悪魔』が側にいる限り、シェニカ様に近付くことが出来ない。




自分にとってもやはり邪魔でしかない『赤い悪魔』と会話をするのも嫌だったが、最終日の今日、言いたいことを言ってやりたかった。








「シェニカ様は子供がお好きなんですね」



「どうだかな」



『赤い悪魔』の顔を見たくもない自分はシェニカ様だけを視線に捉えているが、自分から声をかけられるとは思っていなかった『赤い悪魔』が、自分を鋭い目でこちらを見てきたのは見なくても分かる。



愛おしくて堪らないシェニカ様が子供達と戯れる姿を見ながら、湧き上がってくる嫉妬と憎悪を分解して自分の口から発する一つ一つの言葉に乗せた。





「貴方とシェニカ様はベッドが1つの同じ部屋。もちろん男女の関係でしょう?
『赤い悪魔』は娼婦を雑で乱暴に扱っていたそうですが、シェニカ様もそうされるのがお好みなんですか?」





「どういう意味だよ」



2人がベッドの上でどういう夜を過ごしているかなど考えたくもないが、自分がそう問いかければ『赤い悪魔』は不機嫌そうにそう答えた。








「まぁ、シェニカ様は貴方が初めてのお相手の様ですから、他を知らないだけということも十分あり得る話です。そうだとすれば、とても嘆かわしい話です」





「何が言いたいんだよ」



まさか自分のベッドの上でのやり方まで知られているとは思ってもいなかったらしく、驚いた感情を隠しきれていない。






最新の報告書でシェニカ様は誰とも関係を持っていなかったということが分かったものの、今までは実際にどうだったのか話を聞ける男がいないため、シェニカ様本人の性癖を調べることは難しかった。


そこで、シェニカ様の相手となった可能性のある護衛の男が、今までどういう風に女性を抱いていたのかということまで調査されていた。





シェニカ様のお相手を務める時、どういうやり方を好まれるのか参考にするためのものだったが、報告書には『赤い悪魔』は娼婦と唇を合わせることも甘い言葉を囁くこともなく、欲望の捌け口として女性をただ乱暴に扱っていたと書いてあった。

なのに『赤い悪魔』は、シェニカ様にはキスをしていた。ということは、今までの娼婦とは違ってシェニカ様を乱暴に扱っていないのだろう。


でも、性根が傲慢で粗暴と思われるこの男は、今はそうやっていても、いつかシェニカ様に本性を晒して乱暴にするかもしれない。





『赤い悪魔』以外の男を知らないシェニカ様は、この男だけに信頼と愛情を与えて他に目を向けようとしないから、本当に大事にしてくれる者の存在に気付いていないのではないだろうか。



そう考えるととても嘆かわしい。


この『赤い悪魔』が居なければ、自分がシェニカ様にそれを教えてあげることができるのに。








だからこそ。



「シェニカ様は貴方のような傭兵が手出しするような方ではありません。
護衛は私が引き受けますから、貴方はシェニカ様の前から立ち去って頂けませんか?」



全てが穏便に解決する方法を言ってやった。





シェニカ様は強い者でなければ守れない。それは別に『赤い悪魔』じゃなくても良い。自分にだって務められる。そのためだけにひたすら努力を積み重ねてきた。

いつかシェニカ様を傷つける可能性があるこの男よりも、傷つけることなどないと誓える自分に任せて、この男が1番似合う戦場に立ち去って貰いたい。







「あぁ、そろそろここを出る時間の様ですね」



『赤い悪魔』が自分に掴みかかって来る気配を感じながら、子供たちに優しげな笑顔を向けているシェニカ様の元へと踏み出した。









領主様のお屋敷に報告に行くシェニカ様の後ろ姿を見送って神殿に戻ると、すぐに神官長の執務室に報告に行った。





「シェニカ様は領主様のお屋敷へ報告に行かれました」



「そうか。では我々も領主様のお屋敷に行こう。そこでお前を正式に紹介せねばな」





神官長と一緒に領主の屋敷へ向かう途中、挨拶を終えたシェニカ様と大通りで鉢合わせした。


その時に神官長が自分を護衛にと紹介してくれたが、リズソームの一件で不信感しか抱いていないシェニカ様は、こちらの話に聞く耳を持って下さらなかった。








「シェニカ様。貴女様を大事にしてくれない男など、恋人でもなんでもありませんよ。貴女にはもっと相応しい者がおります。どうか目を覚まして下さい」



それでも自分の願いを伝えようと、シェニカ様の手を握って真摯に想いを伝えたが、その願いは『赤い悪魔』しか見ていないシェニカ様にはまったく届かなかった。







『ここで引かないのなら、もう2度とこの地に来ることはないでしょう。それでも構いませんか?』と言われてしまうと、こちらとしては引き下がるしかない。


全員で肩を落として神殿に戻った。














翌日の夕方。

シェニカ様に相手にされず、落ち込んだ気持ちのまま1人で誰もいない食堂で早めの夕食を取っていると、神官長の執務室に来るように神官から伝言を伝えられた。



執務室に入って神官長と向き合うようにソファーに座れば、神官長は『はぁ~』と深く長い溜息をもらした。






「お前の言う通り、シェニカ様は思った以上に用心深かったな。神殿の者というだけで目に見えて警戒されてしまう。

こちらが積極的に動けば不興を買って今後の接触が断たれてしまう上に、ああ言われてしまえば、我々は何も出来ない。困ったものだ」





自分は待ちに待った機会を棒に振ることになってしまったことに、誰よりもガックリと肩を落としていた。


本来なら距離を縮められなかったことを咎めるはずの神官長は、ガックリと肩を落として黙りこくる自分の落ち込み様を不憫に思ったのか何も言って来ない。








ーーコンコンコン。


神官長の執務室に重苦しい沈黙の時間が流れていると、扉が遠慮がちにノックされた。





「入れ」


神官長が入室を許可すると、萎縮した様子のドゥテニーが挙動不審な目をしながら入ってきた。







「失礼します。あの…。シェニカ様はもう発たれたのでしょうか?」




「ええ、そうですが。何かありましたか?」


入室はしたもののドアの前で立ち止まってこちらを見るドゥテニーは、手に2体の人形を持っている。





「子供達がシェニカ様に『親愛の鈴』を作ったんです。シェニカ様の姿を模した人形を2体、一針一針交代て縫ったので時間がかかってしまいました。
是非受け取って頂きたかったのですが、間に合いませんでしたか…」





ーー子供達からのお守りならば、シェニカ様は喜んで受け取って下さるに違いない。





「では、私がお届けしてきましょう」


ソファーから立ち上がってドゥテニーから人形を1体受け取り、神官長に向き直すと神官長は大きく頷いた。





「では、お願いします。シェニカ様にはもう1体は私が持ち歩いて子供達と無事を祈っています、とお伝え下さい」



ドゥテニーが一礼をして部屋から出て行くと、神官長は顎を撫で摩りながら期待した目で見てきた。



「シェニカ様にはいつもの者を尾行させておる。いつも通り、奴にはお前のかけた物を持たせているから探索の魔法で追跡すると良い」




「はい」




神官長が尾行させているのは、普段他の神殿から来た者の行動監視のために使っている暗殺部隊出身の男だ。

決して強くはないが状況に応じて機転が利くので、『赤い悪魔』の暗殺目的ではなくあくまでシェニカ様の行動監視のために送られた者だが、彼には別の働きをしてもらおう。



その男が『赤い悪魔』を引きつけている間に、シェニカ様に自分の想いを伝えなければ、おそらくもう自分にはチャンスがない。







もし同行を許された場合にすぐに行けるように旅装束と普通のコートに着替え、探索の魔法を頼りに吹雪の中を馬で駆けると、やっと明かりの灯る旅人小屋に辿り着いた。

コートのフードを外してから呼吸を整え、意を決してドアを叩けば『赤い悪魔』がシェニカ様を隠すように立ちはだかった。



小屋の中に入れて下さった後もシェニカ様は警戒していたが、『親愛の鈴』を渡すと輝くような笑顔を自分に向けてくれた。
心からの喜びの笑顔は、冷え切った自分の身体も寂しい気持ちでいっぱいだった心も一気に温めてくれた。



勧められた椅子に座ってシェニカ様が淹れて下さったお茶を頂きながら、念願の会話する機会を得ることが出来た。

シェニカ様の隣に座る『赤い悪魔』は、シェニカ様の軟化した態度に不満そうだったが、彼女の意思を尊重しているらしく邪魔をしようとはしなかった。



アネシスにいた時、『赤い悪魔』がシェニカ様を支配しているように見えたが、どうやらこの男ですらシェニカ様に嫌われたくないという想いが根底にあるらしい。





そんなことを思っていると、自分の意図を汲み取った外の者が行動を始めた。


『赤い悪魔』が外の者を倒すために旅人小屋から出て行くと、シェニカ様は窓の外をずっと心配そうに眺めている。


彼女の周囲には侵入不可の結界が張られていて、近付くことは叶わない。
本当なら結界や『赤い悪魔』など、自分とシェニカ様の間を阻むものなどない方が良いのだが、リズソームの一件を考えれば仕方のないことだとも思う。


分かっていても、自分との埋まらない溝を見せつけられている様な気がして寂しかった。


シェニカ様の正面に移動し、結界に触れない様にギリギリの位置に跪いた。






「彼が心配ですか?」


「ええ、もちろんです」


シェニカ様に話しかけても、ずっと窓の外を見ていてこちらを向いてくれない。





「彼は強いので無事に帰ってきますよ」


「それでもやっぱり、心配です」


部屋の中に無言が落ち、自分は窓の外を心配そうに見るシェニカ様を見つめた。

侵入を阻む結界がなければ、その不安そうな小さな身体を抱きしめたくなる。





それを許されているのは『赤い悪魔』だけだと思うと、嫉妬と寂しさが絡み合う様に渦巻いて、シェニカ様が目の前に居るというのに、それが黒くドロドロとしたヘドロの様に思考を絡みとっていく気がした。





「シェニカ様の想いを一身に受ける彼が羨ましいです」


「え?」




自分の気持ちを思わず吐露してしまうと、シェニカ様はようやく自分の方を向いてくれた。




「以前シェニカ様とラキニスの街で会った時、私は仲間の喧嘩を止めようとした時に松明の炎で背中を火傷した痕を治療してもらいました。
周囲からは『馬鹿の証』と笑われたその怪我を、シェニカ様は勲章だと言って微笑んで下さったんです。みんなに馬鹿にされた怪我をそう言って貰えて私は凄く嬉しくて。やはり覚えていらっしゃいませんか?」





「ええ…。すみません」


シェニカ様は申し訳なさそうな顔をしていたが、その表情ですらとても愛おしかった。





「覚えていらっしゃらないのは残念ですが、その時から、ずっと私はシェニカ様が好きなんです。
シェニカ様の恋人になれなくても構いません。どうか護衛としてシェニカ様の旅に同行させて下さいませんか?」





「イルバ様のお気持ちは嬉しいのですが、私は恋人も護衛も彼1人で十分です」



自分の気持ちを伝えても、やはりシェニカ様にはすぐに断られてしまった。

でも、会えなかった間に自分の胸の中で育った想いは、1度断られたからといっても簡単に諦められない。






「他の『白い渡り鳥』様は、どの方も複数の護衛をお持ちです。確かに彼は『赤い悪魔』と呼ばれる強い人ではありますが、護衛を増やすことはシェニカ様の安全を確保するためにも必要な事だと思います。

それに…。『白い渡り鳥』様は王族と同様に、複数の恋人を持っているのが普通です。
1人にこだわる必要はないと思いますし、恋人にして欲しいなんて望んでいません。ですから、どうか 。一緒に居させて下さい」





「私は彼1人で良いと思っていますから、イルバ様は神殿に戻って神官長の護衛を続けて下さい」




「こう言ってはなんですが、神官長なんてどうでも良いんです。私が軍を退いて神殿に入ったのは、軍にいるよりも神殿にいた方がシェニカ様に会える機会が得られると思ったからなんです。
ずっとシェニカ様が来るのを信じて待っていたんです。シェニカ様が好きなんです。愛しているんです」




思いの丈を伝えると、一瞬。

ほんの一瞬だけシェニカ様の瞳が揺れた気がした。暖炉の炎を受けて輝く緑の瞳には、どこか悲しみが滲んでいるように見える。


どうして愛の告白をすると悲しそうな顔をしたのだろう?








「申し訳ありませんが私はイルバ様のことを覚えていませんから、ほとんど初対面です。そう言われても私にはお応え出来ません」



「なら…。これから私の事を知って下さい。もっとシェニカ様のことを私に教えて下さい。もしそれでも、まったくシェニカ様の気持ちが動かないなら、その時は潔く諦めます。
ですから、ただの護衛の1人としてでも構いませんので、どうか同行をお許し下さい」




「イルバ様…」




「シェニカ様が神殿の者を信用出来ないのも当然だと思います。ですから、シェニカ様の側に居られるのなら、神殿を辞しても構いません。
私はシェニカ様が好きな気持ちは本物です。その気持ちだけでもどうか信じて下さいませんか」




少しでも自分の気持ちがシェニカ様に伝わるように。

行動を監視され、夫になるという目的を持った護衛を紹介され、襲われて怖い思いをした今までのことを考えれば、神殿の者を信じられないのは無理もない。


でも、せめて自分の気持ちだけは信じてほしい。




心が叫び続けるシェニカ様への気持ちを、一生懸命言葉に変えた。






「一度しか会っていないのに、どうしてそこまで言ってくれるんですか?」




「自分の恥ずべきだと思ってきた背中の火傷をシェニカ様に勲章だと言ってもらえた時に、自分がやったことが間違いではなかったと思ってくれる人が居るのだと知れて、とても嬉しかったのです。

それだけではありません。傷の程度、身分、性別、年齢。分け隔てなく優しく治療して下さるシェニカ様の姿が眩しくて、愛おしくてたまらないのです。
もっとシェニカ様の色んな姿を見たい。そばにいて、シェニカ様のために生きたいのです」




想いを伝えていると、扉の前に『赤い悪魔』の気配を感じた。

どうやら時間切れらしい。





「イルバ様の気持ちは正直嬉しいですが、私は彼以外の護衛も恋人も考えられません。イルバ様は素敵な方ですから、私なんかよりももっと素敵な女性が居ますよ」


自分にはもうシェニカ様しか考えられない。

想いが届かなくても、もう自分の何もかもがシェニカ様に捧げられている。取り戻そうなんて思う気持ちも起きない。





「シェニカ様は本当に彼が1番なんですね。例え彼との仲を邪魔しなくても。2番でも3番でも良いと思っても、余程のことがなければ2人の間に割って入るなど出来ないのでしょうね。

正直言えば諦められませんが、きっとここで引かなければ最後まで私の印象は悪いままで終わってしまうのでしょうね…。
ですがこれだけは言わせて下さい。私のシェニカ様を好きだと思う気持ちも、愛しているという気持ちも嘘偽りはありません」



シェニカ様が『赤い悪魔』と居る時、とても楽しそうで幸せそうな顔をしていた。自分が近くにいても、そんな顔は決して見せてはくれない。

どんなに憎たらしくても『赤い悪魔』がシェニカ様にとっては1番なんだというのは、認めざるをえない事実だった。






シェニカ様と一緒に居れたのは少しの間だったが、2人の間に自分が入る隙間はないというのは、仲睦まじい2人を見ていれば嫌でも痛感させられた。


その全ての土台になっている、『赤い悪魔』への一点の曇りもない信頼と愛情は、そう簡単には崩れないようだ。

そして自分が欲してやまないシェニカ様からの信頼と愛情を独占する『赤い悪魔』が、羨ましくて堪らなかった。







扉が開け放たれると、身を縮ませるような冷気と共に『赤い悪魔』が部屋の中に入って来た。



「ルクト!」


『赤い悪魔』の姿を見たシェニカ様はガタンと椅子から立ち上がり、心配と安心の感情が入り混じった表情を浮かべて跪く自分の横を駆けて行った。






「大丈夫?怪我してない?」



「大丈夫だ。外の奴は身体を氷漬けにしてるから、強制催眠で街に帰してやれ。吹雪も収まったからお前も帰れ」



『赤い悪魔』は自分を勝ち誇った顔で自分を見てきた。

シェニカ様の心に入り込むことはできないと分かった以上、もう引くしかないのは分かっている。



でも、やっぱり。この男がどうしてシェニカ様の想いも信頼も独占出来るのか腹立たしくて堪らなかった。







「……そうですか。では戻ります。少しの間でしたが、シェニカ様とお話出来てとても嬉しかったです。
これから先の旅の無事を、孤児院の子供達だけでなく私も祈っています。どうかまたアネシスの街にお立ち寄り下さい」


シェニカ様を自分から遠ざけるように背中に隠した『赤い悪魔』を正面から見据えた。ゆっくりと立ち上がれば、自分よりも背の高い男はこちらを睨みつけている。





「どうして乱暴でしかない貴方がシェニカ様に選ばれたんでしょう。私の方が絶対シェニカ様を大事に出来るのに…」


自分の胸に激しく渦巻く嫉妬の炎のままにそう呟くと、『赤い悪魔』は優越感たっぷりな目で見下ろしてきた。



シェニカ様からの気持ちと信頼を一身に受けるこの男に対抗するには、どんなに強い力を持っている者でもシェニカ様の気持ちを離さなければ手が出せない。



シェニカ様が以前連れていた弱そうな傭兵だったら、シェニカ様を振り向かせれていただろうに。あの時、まだ未熟な中級兵士になったばかりだったものの、全てを捨ててシェニカ様に同行を願っていたら、その願いは叶っただろうか。


そんな風に過去に思いを馳せながらコートを羽織った。





馬小屋から出て行く時、シェニカ様が自分を心配する顔を見せてくれた。心の底からの笑顔と自分を心配してくれるその表情を見れただけで良かった。

その一瞬だけでも、シェニカ様が自分の事を考えてくれたのだと思えば、天にも上るような嬉しさだった。







「シェニカ様…」


例え手の届かない存在でも、自分の恋が実を結ぶことはなくても、想い続けるのは自分の自由。





アネシスへ戻る暗く真っ白な道を魔力の光で照らしながら、やるせない心の痛みを裂くような冷たい空気のせいだと誤魔化すように、猛スピードで馬で駆けた。


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