天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第14章 会いたい人

1.雪国アビテード

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アネシスを出て数日間。森と森の間を通る街道を、濃い灰色の雲が覆う空を見上げながら歩いた。

その時は歩くのもままならないくらい風が凄い時があったけど、三階建ての家よりもまだ高い木々が生い茂る森の中の道に入ると、随分と歩きやすい環境になって前進する距離も長くなった。





「この辺の木、背が高いね~!」



「この木のおかげでかなり歩きやすい。雪ばっかりで日が差さないだろうに、よくここまで成長したな。感心するよ」


その背の高い木々の葉は深緑色で針のように細く、葉や枝が幾重にも重なって上へ上へと伸びている。
雪に閉ざされた過酷な環境でも逞しく成長した木々が防風林の役割をしているらしく、森に入った辺りから風や雪をあまり感じなくなった。





「そこ。もうすぐ雪が落ちてくるからこっちに寄っとけ」


「そうなの?」


ルクトの言葉で上を見上げれば、私の数歩先の頭上には木の枝にこんもりと山になった重そうな雪が乗っている。






「パラパラと小さな雪の塊が落ちてきたら注意しろ」


「うん!分かった」


周囲に誰もいないからゴーゴーという強い風の音はよく聞こえるし、時折ドサドサッと葉や枝に降り積もった雪が落ちてくるけど、陽の光が届かない暗い森の中でも快適に進むことが出来た。強い風がないだけでこんなにも移動に影響するのだと、改めて実感した。





「森の外もやっぱり風が強いんだね」



「この辺も風に規則性はあるけど、アネシスに近い時よりも風が止む間隔が短くなってる。森がなければ1日に進める距離は僅かだろうな」



「風に規則性なんてあったの?」



「アネシスから出た時は風で前に進めなくて木の陰に隠れてただろ?しばらくすると必ず風は止んで、またしばらくすると風が吹いてた。
理由は分からんが、多分アビテード領内にあるマニウネア山脈から吹き下ろす風に規則性があるんだろ」




「へぇ~。そうなんだ。寒さと吹雪に耐えるのに必死で全然気付かなかった」



ルクトは字を書くのは絶望的だけど、色んなことに気付いて仮説を立てるのは得意らしい。私には出来ないことをやってのける彼を素直に尊敬する。







「よく気付いたね。尊敬する」



「今まで1人で切り抜けてきたからな。小さな変化に気付かないと、すぐに背後を取られたり奇襲される。あのガキエアロスはそういう変化を最小限に抑えるのに長けてるから、面倒くさかった」



「エアロスって可愛いけど本当にすごい傭兵なんだね~」



エアロスは可愛い弟みたいな感じだけど、実際は私よりも年上だし、ルクトが嫌がる高ランクの傭兵なんだなぁ。

そうだ。今度エアロスには簡単に作れる調味料を教えてもらおう。



彼の作る料理を食べてから、私の料理にはパンチが効いていなくて何だか物足りなさを感じてしまう。だから彼の使っていた調味料は是非とも欲しい。

いや、いっその事、私専属の料理人として旅に同行してほしい。そうは言っても、エアロスも戦場が仕事の傭兵だから現実は無理なんだけどさ。







「はぁ。やっと関所だ!」


そして私達は旅人小屋で休憩を続けながら、ギルキアとアビテードを隔てる森の中にある関所に到着した。


到着したのは昼前なのだが、木々の僅かな隙間から見える空は灰色で大粒の雪が降ってきていた。
アネシスを出てからというもの、ずっと青い空や太陽の存在を感じた記憶がない。


アビテードは雪国だと知っているけど、雪の降らない短い期間はちゃんと太陽は出るのだろうか。アビテードから出たことのない人は、『お空に太陽という暖かい存在があるって知らないのではないか』とこっちが心配になる。








「うーん。やっぱり誰もいないね」


「ここまで誰ともすれ違わなかったしな。でもここは兵士が多いな」



普通、関所の周辺には宿場町があるはずなのだが、滅多に観光客、傭兵、商人といった人が来ないからか、丸太を組み上げた小規模な宿屋一軒だけで、お土産屋さんといった商店もない。

宿屋の扉には『空室』と書かれたプレートが寂しく吊り下げられている、という何とも侘しい状況だった。








その一方でギルキアの関所の建物はとても大きく、たくさんの兵士が建物の出入り口を往復している。


越境する人がいないから暇していそうなものだけど、コートや毛皮のブーツを履いてしっかり寒さ対策をしたギルキアの兵士が、数人の部隊となってアビテードとの国境線に設置された柵の方へと見回りに出ていっている。

しばらくすると、交代して戻ってきたらしい部隊の兵士達が、ホッとした表情で建物の中に吸い込まれていた。


この様子だとどうやら国境警備は厳重らしい。










いつも通り越境手続きを終えてアビテード側の関所を出ると、薄く降り積もった雪の中を、白と薄茶色の毛並みのトナカイの群れがこちらを気にする様子もなく歩いていた。


立派な角がとってもカッコいい!!






「わぁ!トナカイだ!」



「野生のトナカイみたいだな。こっちが何もしなければ向かってくることはないだろう」



「雪国って感じで面白いね!おーい!私と一緒に旅に行かなーい?一生ご飯の心配しなくても大丈夫だよ~?」


トナカイの群れに手を振ってナンパしてみたけど、私の声に驚いたのか、トナカイ達は早足で森の奥へと消えてしまった。







私の動物ナンパはどうにも上手くいかない。なぜだろうか。やっぱり目の前で本物のご飯をちらつかせないと靡いてくれないのだろうか。




いや、私にはまだ動物の気持ちが分かっていないのかもしれない。

動物の気持ちが分かるようになるにはどうしたら良いだろうか。うーん。






「トナカイなんてナンパしてどうすんだよ。ナンパが成功しても連れていけねぇだろ。ほら、すぐそこに町があるから、今日はそこの宿で休むぞ」
 


「うん!」




関所から見える場所にあるアビテードでの最初の町に向かうと、大きな木の板に『スノリー』と町の名前が彫られた立派な扉がついた門をくぐった。



この町も背の高い木々が見下ろす森の中を切り拓いて作られているので、風も雪もあまり感じない。

木から落ちてきた雪の塊が屋根に乗った、太い丸太造りの2階建ての立派な家がたくさん建ち並んでいる。
蛇行している町の通りは赤い煉瓦で整備されていて、煉瓦と煉瓦の間には木々の僅かな隙間から舞い落ちる細かい雪が入り込んだのか、薄っすらと白い雪が挟まっている。白で縁取られた赤い煉瓦がとても綺麗だ。





家の周囲には煉瓦が敷かれていないので茶色の土が剥き出しで、その地面は霜柱の影響で歪な形になっている。
町の景観にうるさい人が見れば見栄えが良いとは言えない状況だと思うけど、私はその歪な地面さえも雪国らしい、ワクワクする要素の一つだと感じた。







町の中を見渡しながら歩いていると、子供のはしゃぐ声や犬の鳴き声が響いている。今まで人のいない街道を通って来たからか、人がたくさんいる町はとても久しぶりに感じた。






「わぁ!ねぇ!見て見てっ!」


「あ?」


町の人達のほとんどが、白と薄茶色が混じったトナカイの毛皮のコートを着ている。

膝まである長いコートや、お腹が隠れるくらいの丈のものもあったが、どのコートもフード部分には枝分かれした小さな角がついている。角の先端は丸くなっているけど、見た感じ本物の角を使っているように見える。


フードを被ればトナカイになりきれるから、ここはまるでトナカイランド!!








「ここの町の人って、みんなトナカイの毛皮で作ったコート着てるよ。あったかそう!私も着てみたい!ルクトもそう思わない?!」



「あ~…。うーん。俺はいいや」


ルクトはそう言っているけど私はトナカイコートを着たい!だって可愛いし!






「ねぇねぇ!あそこの洋服屋さんに行こっ!」


みんなが着ているトナカイコートが可愛くて、私は少し先にある洋服屋さんを指差して、足取りの重いルクトを引っ張って行った。







「宿と町長への挨拶は良いのか?」



「トナカイが先っ!」



「……そーですか」






やる気を漲らせながらお店の中に入ると、そこはなりきりアイテムのトナカイコートがいっぱいあった。




「いらっしゃい。おや、その額飾りをしてるってことは『白い渡り鳥』様?いやぁ、こんな辺境の国にようこそお越しくださいましたねぇ」



「一度は来てみたいって思ってたんです。あの。私トナカイコートが欲しいんですけど、女性物はどこにありますか?」



お店の壁側にある暖炉の前の椅子に座っていたおばさんが、私達を見るとゆっくりと立ち上がって挨拶をしてくれた。


店内にはトナカイコートはいっぱいあるけど、お店の中は他にお客さんはいないし、どこに女性物があるのか表示されていないから分からない。







「まぁ、トナカイコートが着たいのかい?見た感じだと、先生が着ているローブの方が可愛いしあったかいと思うよ?」



「そう…ですか。このコートの上から着るとか出来ないでしょうか?」



「コートの上にかい?多分動きにくくなると思うからやめた方が良いよ」



ーーガーン!!そ、そんなぁ…。でも、ローブの上にコートを着ているから、その上にトナカイコートを着ると確かに動きにくいかもしれない。
でも、オシャレは我慢だ!と言う人だっているし…。どうしよう。諦めたくない。




おばさんの言葉に思わず悲しくなって俯いてしまった。

動きにくいのなら赤いコートを脱げば良いのかもしれない。でも、このコートはルクトが選んでくれたものだし、可愛くてあったかいから気に入っている。






「あの!丈の短いトナカイコートを試着させてもらえませんか?」



「え?ええ、構わないけど…。これが1番大きなサイズだね」



おばさんに手助けしてもらいながらトナカイコートをコートの上から羽織らせてもらうと、脇から手首にかけてとてもゴワゴワとしていて肘が曲げられない。


暖かいとは思うけど、手が曲げられないと1人でコートを脱げないし着れない。お茶も飲めない。移動だけは出来るけど、行動が制限されるような服装は徒歩での旅にはとても向かない。




この状況から考えれば、トナカイコートは諦めるしかないか…。とほほ。







「そんなに悲しい顔をしないでおくれよ。先生にはこっちのトナカイブーツが似合うと思うよ。これはどうかい?」



「トナカイブーツ!か、かわいい…もこもこ!」


おばさんが見繕ってくれたのは、膝まである白と薄茶色のトナカイの毛皮を使ったブーツだ。

膝に当たる部分には赤とピンクの2色の紐を1本にねじり上げた組紐でグルリと縁取られ、膝頭の真下辺りにちょうちょ結びした組紐の先には、トナカイの角を器用に削り出して作ったミニチュアサイズのトナカイの角がぶら下がっていて可愛さポイントもバッチリだ。


ブーツの表面を触ってみると、毛足は長くないけどフカフカしていて手触りがとても気持ち良いし、ブーツの内側は白色のモッコモッコでとてもあったかそうだ。





おばさんが用意してくれた椅子に座ってブーツを履き替えてみると、予想以上にとってもあったかい。




「ねぇ、ルクト。似合う?」



「あ~。まぁまぁ似合ってる」


腕を組んで座ったままの私を見下ろすルクトは、明らかに興味なさそうだ。ルクトと一緒に洋服屋さんで買い物をするのはこれで2回目だけど、彼と私の服の趣味は結構違うらしい。



今まで護衛の人と一緒に洋服屋さんで買い物をしていたけど、やっぱり洋服選びが上手で楽しかったのはカーランだなぁ。


『シェニカはもうちょっと流行の可愛さを取り入れた方が良いと思うよ』と言って、値札を見たら口から泡を吹いて倒れそうな高級洋服店にリサーチに行ったりしていた。



カーランとお互いにコーディネートし合って試着してみたりしてたけど、すごく面白かったなぁ。
ルクトともそういう風にしてみたいな。今度誘ってみようかな。


私が彼を可愛いデザインの洋服で全身をコーディネートして、『貴方だって可愛いものが似合うんだよ』と教えてあげたい。







「じゃあこれ下さい。このまま履いても良いですか?」


私は立ち上がって鞄からお財布を出し、側でニコニコしていたおばさんに身体を向けた。






「もちろん。じゃあ銀貨2枚お願いするね。こっちのブーツはどうするかい?下取りしようか?」



「下取りでお願いします。そうだ。宿屋ってどこにありますか?」




「宿屋は町長さんの家の近くにある、平屋建ての建物だよ。町長さんの家は1番大きいから、そこを目指せばすぐに分かるよ」



「分かりました。ありがとうございました!」


可愛いブーツを履いてルンルン気分でお店から出ると、町の1番奥まった場所にある大きな丸太造りのお屋敷を目指して歩き始めた。






平屋建てのこじんまりとした宿屋の扉を開けようとすると、宿屋の横を4人の少年たちが木刀を片手に元気な声を張り上げながら何かしている。




「そろそろ変えようぜ!」



「俺はやっぱり『赤い悪魔』っ!」



「またセジルは『赤い悪魔』~?じゃ次は俺が『青い悪魔』の役になる!」



「ノーズは『青い悪魔』?じゃ俺は『白い悪魔』っ!デルは『黒い悪魔』で良いよな?!」



「もちろん!セジルだけじゃなくて、ハイグもいっつも『白い悪魔』だよね!あははは!」


 
トナカイコートとブーツに身を包んだ少年たちは、木刀を振り回しながら寒さに負けずに元気に走り回り始めた。






「見て見て。傭兵ごっこしてるよ。しかも『悪魔』だって。可愛いね」
 
 

「平和だな」
 

部屋に荷物を置いて、早速町長さんの家に行くとメイドの女性に応接間に案内された。






「主人を呼んで参ります。しばらくお待ちください」


応接間は今まで訪れた貴族と屋敷の応接間よりもこじんまりした感じなものの、豪華なソファとローテーブルがあり、壁の高い位置に飾られたトナカイの頭の剥製の下には、壁の端から端まで色んな物が置かれた飾り棚が置いてあった。

部屋の片隅にある大きな暖炉から聞こえるパチパチと木の爆ぜる音が、静かな部屋に響いている。



 

メイドさんが部屋から出て行くと、ルクトは飾り棚の方へと歩いて行った。



「トナカイの剥製って迫力あるね。雪国ならではって感じね」


私がトナカイの剥製を見上げていると、数歩離れた場所に立つルクトがそこそこ大きなガラスケースを手に取っているのが視界に入った。





「どうしたの?」


「この蜂、でかいな」


ルクトが手にしているガラスケースの中には、水色と白の縞模様で子供の頭くらいの胴体があり、お尻には黒光りする短剣のようなギザギザの太い針がある。





「本当ね。水色と白の縞々って綺麗な色してるけど、身体も針も大きくてすごいね」


2人でガラスケースに入っている蜂の標本を見ていると、開かれた扉から、少し腰の曲がった色白のお爺さんがゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきた。







「おや。それがどうかしましたか?」



「あ、いえ。綺麗な色の大きな蜂だなって思って…」



ルクトが手にしていたガラスケースを見たお爺さんは、ルクトの隣まで歩いてそれを覗き込んだ。
勝手に飾られている物を手に取っていたことを怒られるかと思ったけど、お爺さんは穏やかな雰囲気のままで、大して気にしていない様子であることに安心した。





「これはダガービーという蜂です。肉食性でトナカイや子熊といった身体の大きな動物を襲う危険な蜂で、餌がなければ人間も襲ってくるんですよ。
その針が諸刃の短剣ダガーに見えるから、ついた名前がダガービーなんです」



「これがダガービーなんですね!初めて見ました」



「この蜂の毒は猛毒で、刺されて体内に毒が入ると最初に全身の力が抜けて立てなくなるんです。その隙にダガービーの集団が襲って来るので、1人だったらもう助からなくて。
蜂をどうにか出来たとしても、解毒出来なければ10分くらいで手遅れになってしまうんです。

あ、申し遅れました。私は町長のカルセルと申します」



色白のお爺さんは私とルクトを交互に見て、目尻に深く刻まれた皺をくっきりと見せるようにニッコリと笑った。






「はじめまして、私は『白い渡り鳥』のシェニカ・ヒジェイトです。こちらは護衛のルクトです。ダガービーの説明ありがとうございました。一度戦場跡でこの毒を受けた人の治療をしたことがあるんですけど、実物を見たのは初めてでした」



「そうでしたか。この蜂の毒が戦場で…。となるとそれはこの国出身の傭兵が使ったのだったのでしょう」



「そうなんですか?」



「ダガービーはこの国の全域と寒さの厳しい隣国の一部地域にしか生息しないのですが、ダガービーから毒を抽出するのはこの国の者しか出来ないのです」



「どうしてですか?」


私がそう言うと、町長さんは飾り棚の端にあるガラス扉のついた棚を開けて、真っ黒い液体が入った小瓶を私に渡してくれた。




「これがダガービーの毒液です」



「これが毒液ですか。毒は紫色をしていることが多いのに、こんなに真っ黒なのは珍しい…」



「これだけ真っ黒な色をしていても、動物の体内に入ると血の色に変わるんです。ダガービーを生きたまま捕まえて、腹部にある毒液を溜めている器官から毒を出さなければならないのですが、これがなかなか大変な作業なんです。
この国の男はダガービーの毒を狩猟に使うので抽出作業には慣れていますが、他国の者は毒の使い道がないのでわざわざ苦労して抽出しようとは思わないのですよ」




「なるほど…」



「お茶をお出ししますのでこちらにおかけ下さい」


毒液の瓶を返し、町長さんに勧められてソファに座ると、案内してくれたメイドさんがお茶を持って来てくれた。


ティーカップを覗いてみれば、紅茶よりも薄い琥珀色をしている。何のお茶だろうかと一口飲んでみると、ミントの爽やかな香りと蜂蜜のような甘さを感じる。







「このお茶はミントティーですか?甘くて美味しいですね」



「甘いのは、雪が止んだ数ヶ月の間に咲くピピリアという花の蜜なんです。ピピリアは花の下に蜜液を溜めているので、蜂が居なくても簡単に蜜が取れるので便利な花なんです」




「ピピリアという花ですか。初めて聞きました」



「この国は雪に閉ざされている期間が長いので、他の地域とは違う植物が多いんです。作物の育て方も他と違うんですよ」




「そうなんですか?」



私が質問ばかりしているというのに、町長さんは嫌がるどころか、とても嬉しそうにお喋りしてくれる。
ギルキアの国王やアネシスの領主のような一方的な長話は苦痛だけど、こうしたお喋りはとても楽しくて飽きない。





「雪ばかり降ると植物の成長に必要な日光が足りないので、一般的な畑で作物は育てられないのです。その代わり、家庭や軍の施設、王宮の中でさえも建物の中で作物を育てているんです。特にミントは育てやすいので、子供が世話をするのが仕事なんですよ」




「へぇ!色んな所で作物を作っているんですね。どんな物を作っているんですか?」




「軍の施設や領主の屋敷、王宮といった大きな場所では温室を持っているので、そこでたくさんの実をつけるニャムイモという野菜や真っ白豆といった野菜を良く作っているんです。一般的な野菜ですから、宿屋でも使われていますよ」




「ニャムイモに真っ白豆…。初めて聞きます。食事が楽しみです」


偶然3人が同じタイミングでお茶を飲むと、町長さんが嬉しそうにニコリと笑った。

 



「いやぁ、それにしてもまさか『白い渡り鳥』様がいらっしゃるなんて…。戦争で傷付いた者はいませんが、ちょっとした怪我や不調を訴える者はいますので、訪問はとてもありがたいことです。
治療院ですが、空き家はないので我が家の離れでも良いでしょうか?」



 
「えぇ、もちろんです。では明日の朝からよろしくお願いします」

 
 
暖かいブーツを履いて歩けることが嬉しくて、いつもより軽い足取りで宿に戻ると、ルクトと一緒に食事をして部屋に戻った。



お部屋はダブルベッドが1つに、年季の入った感じのソファと簡素なローテーブルだけしかないシンプルな部屋で、部屋の片隅にはミントの鉢植えが置いてあった。



ベッドに横になっても外が見渡せるような大きめの二重ガラスの窓があり、そこからは宿の裏に広がる少し開けた場所が見える。





「風呂入ってくる」



「しっかり温まってきてね」



ルクトがお風呂場に行ったのを見送り、ソファに座ってぼんやりと窓の外を見ていると、木の上の方に積もっていた雪があちこちドサリと落ちてきている。

建物の中にいるから風の音は聞こえないけど、きっと森の外では風と雪が凄いのだろう。風と雪を避ける木の役割は凄いなぁと思いながら、えんじ色の厚手のカーテンを閉めておいた。






「ベッドって良いなぁ。野宿も楽しいけど、しっかり休むならやっぱりベッドが1番だもんね」


久しぶりの暖かなベッドが嬉しくて、ベッドの中央に大の字になってみた。
日が差さないからか太陽の匂いはしないけど、ミントの爽やかな匂いが微かに感じられる。







スーッとする匂いを感じながら胸の上に手を置いて、目を閉じて自分の胸の中にグルグルと渦巻いているものと向き合った。






ーーイルバ様じゃなくて、ルクトに好きって。愛してるって言われたかったな。




ルクトは恥ずかしがり屋だから、なかなか自分の気持ちを口に出してくれない。


そうだと分かっていても、言葉を貰えないと前に女性傭兵に言われたみたいに私の事を『手っ取り早く手を出せる相手』としか見ていないんじゃないかと不安になる。



言葉が少ないのは、彼の性格を考えれば仕方のないことだと思って最近では諦めているけど、本当はちゃんと言葉で聞きたい。






ルクトに対する気持ちは確かにあるのに、自分の知らないうちに言葉に飢えてしまっているのか、ほぼ初対面のイルバ様の真剣な言葉に正直言って少しだけ心が揺れた。


どんな人なのか分からないというのに、その真剣な眼差しと言葉が嬉しくて、思わず手を伸ばしてしまいそうになる自分がいた。




イルバ様が好きなわけではないのにそう思った自分が居たということは、『寂しい気持ちの逃げ道を求めただけ。それだけ私は愛情の篭った言葉に飢えているということだろうか』と、気持ちが揺れた直後に思い直してルクトの顔を思い浮かべた。




今までに受けたローズ様の教えの賜物なのか、下心のある人の言葉は直感的に嫌悪感を抱くようになっている。

だからイルバ様に告白された時、少しだけでも心が揺れたというのは、きっと彼が本当に私のことを想ってくれていたからなんだろう。


でも、私の心の中にはやっぱりルクトしかいないし、気持ちが揺れたのはイルバ様にただ逃げ道を求めているだけだと思ったから、真剣に言ってくれた彼の申し出には応えられなかった。




でもやっぱり。



ーー『私のシェニカ様を好きだと思う気持ちも、愛しているという気持ちも嘘偽りはありません』


今まで生きてきて、男性からそんな風に想いを込めた言葉なんて貰ったことがなかったから、たとえほぼ初対面でも真剣にそう言って貰えてとても嬉しかった。




たとえ自分が言って欲しい相手じゃなくても、想いを伝えてくれる言葉がこんなに嬉しいなんて、思ってもみなかった。



いつかルクトから『好き』って言ってくれるだろうか。
好きって気持ちが膨らんで、私も彼も、いつか互いを想う気持ちが愛に変わるだろうか。






言葉が欲しい。もっとささやかな触れ合いが当たり前のように出来るようになりたい。ルクトに他に何も求めていないから、私のささやかなこの願いを叶えて欲しい。






「私の、願いが、いつか叶うと…良いなぁ」



目を閉じて考え事をしていたからだろうか。
急速に襲ってきた眠気に勝てず、目を開けることも考えることも放棄した。



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