天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第18章 隆盛の大国

22.伝わるぬくもり

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■■■前書き■■■
更新を大変お待たせいたしました。m(__)m

お気に入りや感想、web拍手、コメントをありがとうございます。
頂いた応援は更新の励みになっております。

外出自粛で大変ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
これから梅雨、夏と季節が変わるので、どうぞお身体にはご自愛ください。

今回はルクト視点→シェニカ視点+おまけです。

■■■■■■■■


「シェニカ?!」

俺よりもシェニカに近いところにいたディスコーニが慌てたように声を上げた時、鼻から血を噴出しながら倒れるシェニカが見えた。
予兆のない突然のことだったが、奴はシェニカが地面に倒れ込む前に抱きとめた。


「チチッ~♪!」
「チッ!チチチッ!」
「ジジジッ!」

シェニカが持っていた革袋が地面に落ちると、入っていたクルミがゴロゴロと地面に散らばった。すると、さっきまで行儀の良さが嘘だったかのように、一斉に集まったオオカミリス達は毛を逆立てて大きな団子を作るように絡み合った。
その団子の中から1匹のリスがクルミを咥えて森へ行こうとすると、追いかけるリスが集団で飛びついて、喧嘩する声を出しながら森の方へとゴロゴロと転がっていった。
転がったクルミの奪い合いに入れなかった別のリスの集団は、地面に落ちた革袋の中に入りこんだが、そこでも奪い合いが始まったらしく、革袋はデコボコと歪に形を変えながら、ズリズリと袋ごと森の方へと移動していく。
しばらくすると、革袋からクルミを咥えて出てきた数匹のリスが周辺の木の上に駆け上がり、何匹かのリスが追いかけて木の上へと消えていくようになった。
そんな追いかけっこを何度も見届けていたら、『ジジジ!』という声はあちこちで聞こえてくるが、見える範囲にリスは居なくなり、木の下に薄っぺらい革袋だけがポツンと残された状態になった。


「シェニカ、シェニカ。一体どうしたんですか?
あぁ、私ではダメですね。とりあえず、ファズも治療魔法をかけてください」

ディスコーニは自分のリスには関心がないのか、地面に座り込み、抱え込んだシェニカに声と治療魔法をかけ続けていたが、白魔法の適性がないらしく、ファズにも治療魔法をかけさせ始めた。だが、ファズもそんなに白魔法の適性は高くないようで、小さな鼻からは血がダラダラと流れ続けている状況は変わらない。


「みんなぁ、そっちは危ないよ…」
「こらこら…。喧嘩しちゃだめったらぁ…」

シェニカは鼻の上で手をかざしていたファズの手首を掴むと、目を閉じたままニヤニヤした顔になった。


「一緒にバージンロードを歩こうね…」
「ちゅーの練習、する?」

血の気が引いて真っ青な顔になったファズは慌ててシェニカの手を外し、布で血を拭った状態で固まったディスコーニの手首を掴ませた。


「ローズ様に祝福の言葉を貰おうね…。人数が多いから、手頃な植木を持ち込んで、そこにみんな並ぼう…」
「頭の上は、くすぐったいよぉ」
「ふさふさぁ……」
「誓いのキスが多くて。もう、こまっちゃうなぁ。えへえへ」

シェニカがよく分からないうわ言を連発する中、ファズはどうしたら良いか分からない顔で治療魔法をかけ、ディスコーニは悲壮感に溢れた顔をしながら止まらない血を拭い続けている。
あの様子だと、気に入っているリスに囲まれたら興奮しすぎて鼻血を噴いて気絶し、リスと結婚する夢でも見ているらしい。
ローブには飛び散った血のシミがあちこちに出来ているが、どんだけ興奮したんだよ。


「興奮しすぎて鼻血を出して気絶してるだけだ。大したことない」
「治療は?」
「いらない。休ませてれば止まる」

この様子だと、ディスコーニはシェニカが興奮すると鼻血を出すことを知らないらしい。


「私が連れていきます」
「ジジジジッ!!」

ファズを押しのけ、ディスコーニの前にしゃがんでシェニカを抱きかかえようとすると、奴は奪われまいとシェニカを強く抱き込んだ。そして奴が立ち上がろうとした時、周辺の複数の木から毛を逆立てたリス達が怒ったような声を出しながら地面に落ち始めた。
一番近くの木の上を見てみると、クルミを独り占めしている緑の服を着たリスが、奪おうとまとわりつくリスを派手に振りほどいたり、体当たりして地面に落としているのが葉と枝の隙間から見えた。


「お前のリス、放って置いて良いのか?」

そこら中で同じように奪い合いが起きているらしく、あちこちの木から毛を逆立てたリスが降ってきている。
どのリスも怪我はしていないようだが、一目散に木に駆け上がって再び奪い合いの喧嘩をしているから、リスが降ってくる状態は変わらない。
ただ、他の木ではクルミを1匹が齧っては奪われ、齧っては奪われの状態で、複数のリスが少しは口に出来ているようだが、ディスコーニのリスは自分の身体が他より大きいからか、奪われることなくずっと独り占めの状態だ。しかも、食べ終わると別の木に飛び移って、他のリスを押しのけながら奪い取って独り占めしている。


「あのクルミで無防備になるんだろ。国をあげて保護しているリスが襲われないようにするのも、お前らの仕事じゃないのか?」

そう言ってシェニカの膝裏と背中に腕を入れて抱え上げ、心配そうにシェニカを見るディスコーニに背を向けた。
ディスコーニはファズに何の指示も出さないから、シェニカは俺に任せることにしたらしい。


「どんだけ興奮してんだよ」

歩きながら腕の中にいるシェニカに声をかけると、ムニャムニャと口が動いて締まりのない顔が微笑んだ後、鼻からタラリとまた血が出てきた。
そんな残念な顔も愛しくてたまらなくて、思わず顔が緩んだ。


ーーーあの日から、こんな風に触れることが出来なくなるなんて思ってもみなかった。

拒絶される恐怖から指先だけでも触れることが出来なくて。
ちゃんと許してもらえるまで、悪かった、すまなかったと謝りたいのに、過去を蒸し返すことで別れを告げられるかもしれないと思うと何も言えなくて。
近くにいるのに、俺の存在を気に留められない状況がこんなに辛くて。
何気ない話をするのも、隣に立っているのも、今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくて。
他の男とキスをするのも、同じ部屋で過ごすのも黙って見ているしかなくて。

あの時、シェニカに八つ当たりせずに、もっと別の方法で苛立ちを発散していれば。
自分の部屋に戻らずに、シェニカの部屋で朝を迎えてすぐに謝っていれば。
もっと前に、お前が好きだとちゃんと言っていれば。
こんなにも愛しくて、大事で、失いたくない存在だったと、もっと早く自覚していれば。


自分の手で壊したものの大きさに、後悔ばかりが湧き上がってくる。

シェニカの意識がなくても、久しぶりに触れて、服越しに伝わる温かさと重さを感じるのが嬉しくて。
俺との関係は変化しても、変わらないシェニカの一面が見れたのが嬉しくて。
ディスコーニが知らないシェニカを知っているのが嬉しくて。



落とさないようにするためだと言い訳をして、謝罪と後悔と、愛しく思う気持ちを込めて、少しだけシェニカを抱く腕に力を入れた。



「我々が何か準備することはありますでしょうか」
「何もいらない。少し休めば治る」

追いかけてきたベーダが心配そうに声をかけてきたが、俺の返事を聞くと玄関に先回りして扉を開いた。そして階段を上がって廊下を歩くと、シェニカの部屋の前に立つエイマが部屋の扉を開いた。


「私は治療魔法と目覚めの魔法が少し使えますが…」
「そのうち血は止まるし、移動で疲れてるから少し眠らせる」

心配そうに俺を見るエイマにそう言って部屋の中に入れば、扉は静かに閉められた。


「クルミの時間だよ。馬車の中で食べようね…」
「おチビちゃん達の分もあるよ…」
「ちゅー……。うへへっ!」

ベッドにシェニカを下ろして、ブーツや血で汚れたローブを脱がせ、髪や顔、首についた血を布で拭き取っていると、それが刺激になったのかうわ言を発したり、急に笑い出した。すると、その度にまた鼻からタラタラと血が出てくる。
左手の人差し指に嵌めていた指輪を抜き取ると、シェニカが以前していた右の親指に嵌め、鼻に治療魔法をかけた。


「幸せそうだな」

鼻の上に手をかざしつつ、締まりのない顔でニヤニヤする様子を見ていると、甘い匂いが絡みついてくる。その匂いに誘われるままキスをしたくて堪らない。
でも。


『別れよう』
『ルクトと一緒にいる時、不安を感じることが多くて、満たされてるって感じなかった気がする』
『一緒に困難を乗り越えて、共犯になって。好きって、愛してますって言って貰えて嬉しかったし、胸があったかくて、とっても満たされた』

時間が経っても、頭にこびりついて離れない言葉はもう二度と聞きたくない。
思い出したくないのに、『私もディズを愛しているよ』という夢のセリフまで情景と共に鮮明に浮かんでくる。
どうにか掴んだ護衛という立場すら失い、二度と近寄れなくなる未来を思えば、甘い誘惑にも耐えられる。


『好きだと言わなくて悪かった』
『もう二度としないと誓うから、許してほしい』
『俺のこと、どう思ってる?』
『今でもお前が好きだから、もう一度俺を男として見てくれないか』
『ずっと一緒にいたい』

口から出したい言葉はたくさんある。でも、目を覚ますかもしれない状態では、独り言としてでさえ言葉にすることは出来ない。


それは嫌というほど分かっているのに、以前見ていた可愛い寝顔を前にすると、押し込んだ感情と言えない言葉が絡み合って、出口を求めて炎のように激しくうねる。


だから。
少しでも良いから俺の気持ちが届くようにと願いながら、治療の魔法をかける手に力を込めていると。


「みんなぁ……。今日はここでお昼寝しよう。洗濯物の下で寝ると、良いの匂いがして気持ちがいいよ…」

相変わらず意識はないものの、シェニカはハッキリとそう言って幸せそうな顔をした。



シェニカの眠るベッドに腰掛け、治療魔法をかけながら血を拭っていると。指輪が効いたのか鼻血は止まり、スースーという気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。
床に落としていたローブをハンガーにかけて衝立に引っ掛け、見慣れた鞄が近いベッドの端に腰掛けて布団をかけてやった。そして、穏やかな寝顔を眺めながら失ったものの大きさを痛感していると、ディスコーニが部屋に入ってきた。


「血は止まった。いま寝てる」
「そうですか。朝早かったですし、休憩もほとんどありませんでしたから。疲れていたんでしょうね」

ベッドを挟んだ反対側に立ったディスコーニは、寝顔を覗き込んで右耳にあるピアスに触れ、シェニカの右手を布団から出した。すると、指輪が見慣れないからか、訝しげな表情で確認するように触りながらゆっくりと床に跪いた。
そしてシェニカの手の甲にキスをして愛おしそうに頬ずりすると、そのまま動かなくなった。



やがて部屋の中に茜色が入ってくる時間になったが、ディスコーニは相変わらず目を閉じて、シェニカの手を頬に当てたままで動かないし、口を開かない。
何を考えているのか分からないが、シェニカは攻撃を受けたわけではなく鼻血を噴いて気絶しただけ、というのはこいつも分かったはずなのに。
心配そうな顔や行動が演技ではないと分かるが、なぜそこまで深刻そうな表情をするのか分からない。


それからも無音の状態が続き、部屋の中が随分薄暗くなってくると、動かないディスコーニをそのままにして部屋に魔力の光を灯して回った。
そしてベッドに戻ってくると、さっきまではいなかったディスコーニのリスが、シェニカの顔に一番近い布団の上で2本足で立ち上がって俺を見ていた。
リスが着ている緑の服はほつれた糸が飛び出ていたり、大小の穴がいくつも空いていて、俺がベッドまであと数歩というところで、ディスコーニの軍服の中に逃げ込んで行ったが、奴は相変わらず時が止まったままだ。
この様子だと、奴はシェニカが目を覚ますまで動くつもりはないのだろう。そしてシェニカが目を覚ました時。


シェニカは手を握るこいつに「ありがとう」と笑顔を見せ、ただの空気な俺には声をかけることもないのだろう。

奴にばかり笑顔を向けるシェニカを思い浮かべれば、そんな未来が容易に想像できる。そう思うと、思わず小さなため息が漏れ出た。






「あぁ、良かった…」

包み込むフカフカの感触と、右手を包む温かさに違和感を覚えて目を開けると、キレイな木目の天蓋が見えた。
声と一緒に視界に入ってきたディズに注目してみると、なぜか彼は私の右手を握りしめ、心配そうな顔で私を見下ろしている。


「あれ?ここどこ?」
「シェニカの部屋ですよ」
「部屋?あれ?みんなは?」

色々分からないことが多いと思いながら、ディズの手を借りてゆっくり身体を起こしてみれば、さっきまで一緒にお昼寝していた可愛い子たちの姿はなく、なぜかローブを脱いだ旅装束姿でベッドに横になっていた。
かわいこちゃん達の痕跡を探そうと胸や腕を触っていると、服からなんとなく懐かしい洗濯物の匂いを微かに感じ、右手の親指には懐かしい指輪が嵌っていることに気付いた。

周囲を見渡していると、衝立の横に立つルクトが、ピンクのローブがかかったハンガーを取って私に向かって歩いてきた。そして、私から2歩くらい離れたところで止まった彼は、ローブに派手に飛び散っている赤いシミの部分を指差した。


「興奮しすぎて鼻血を噴いて気絶した」
「えっ!ウソ!」
「ついでに、お前に懐いたリスはいないし、結婚式もやってない」

鼻血のこと、気絶したこと。膨らんでいたラブラブ新婚生活を知らぬ間に口に出してしまっていたことなど、恥ずかしいことを言われてしまい、一瞬で顔が赤くなった。
いたたまれない気持ちでベッドに腰掛け、受け取ったローブの赤いシミ部分を確認すると、たしかにそれは血のシミだ。高級品になんてことをしてしまったのかと思い、慌てて浄化の魔法をかけてシミを消した。
そして念の為自分の鼻に治療魔法をかけると、透明になっていた指輪の宝石にも治療魔法を補充した。


「シェニカが倒れた時、地面に落ちた衝撃で革袋から恋するクルミが出てしまったのですが、そこにリス達が殺到して……。シェニカの持っていたクルミは全部食べられてしまいました。
私がついていながらすみません」

「いやいや、私が悪いんだからディズが謝る必要なんかないよ。心配かけてごめんね。介抱してくれてありがとう」

革袋にはたくさんのクルミが入っていたけど、お腹を空かせた子達全員に足りたのか分からない。もしかしたら、あの場に居なかった子達もいるかもしれない。
クルミが1個でも残っていたら、この生息地に住むみんなの分の実をつける木を育てられたかもしれないのに。

集団でおねだりする姿が可愛すぎて、まさか気絶するなんて思ってもみなかった。幸せな想像をしてしまったせいで、現実のリス達の幸福を失わせてしまうなんて、自分の不甲斐なさがとても悔しい。
でも。たくさんのお嫁さん、お婿さんに来てくれたリスたち。ベビーラッシュに乗って生まれた可愛いおチビちゃんたちに囲まれた夢は、とっても幸せな余韻として残っている。


「私の持っている『恋するクルミ』をあげますので、それを育ててみてはどうですか?」
「でもディズのクルミが減っちゃうよ」
「王宮に育ててもらったクルミをいただけますし、ユーリも自分だけ食べるより、たくさんの仲間達に食べて欲しいでしょうから大丈夫ですよ」
「ありがとう…」

ディズの申し出がすごく嬉しくて、涙が視界を滲ませた。


「そろそろ夕食にしましょうか」
「うん!」
「食事は部屋に持ってきますか?食堂に行きますか?」
「じゃあ食堂で。ルクトも一緒に食べよ」

ブーツを履きながらルクトに声をかけると、無表情な彼の口元が一瞬だけ緩んだ気がした。



1階の厨房の隣にある部屋に入ると、広い食堂には4人用の円卓が4つ並べられている。
ディズの案内でその中の1つの円卓の席に座ると、すぐにエイマさんとベーダさんが湯気の上がるお皿が乗った、大きなキッチンワゴンを押してやってきた。
あっという間に円卓の上にはツヤツヤと光を反射する白いご飯、蕪やブロッコリーなどが入ったクリープスープ、アップルソース付きのラム肉ステーキ、かぼちゃとインゲンのサラダ、ほうれん草の卵とじ、レモンが添えられた黄色のマカロンといった料理が並べられた。


「わぁ~!すごく豪華ですね!ラム肉のアップルソースなんて、久しぶりに見ました!」
「喜んでいただけて光栄です。こちらはライムのシードルでございます」

ベーダさんが私のグラスにシードルを注ぐと、ライムの爽やかな香りがふんわりと漂った。
実家で食べていたラムやマトンのステーキには、よくアップルソースをかけて食べていたけど、もう随分と口にしていないから、見るのも食べるのも久しぶりでとても懐かしい。


「ファズ様達は?一緒にご飯食べないの?」
「彼らは屋敷の周辺や森の中を警備しています。交代で食事をしていますから、私達だけでいただきましょう」

もう随分長い時間顔を見ているからか、ファズ様達5人は見慣れた存在になった。
長い会話はしたことがないけど、同じ空間で一緒に食べても構わないと思えるくらい、警戒心を抱かなくなった。
今までだったら副官っていう肩書だけで近寄らなかったし、食事を一緒になんて思わなかったけど、こんなに思考が変わるなんて、トラントとの戦争が始まる前の自分には考えられなかった。


「そっか。じゃあカンパーイ!」

3人でグラスを掲げると、シードルを一口含んでみた。この場で絞ったみたいなライムの爽やかな香りと味、シュワシュワとした炭酸の爽快感が、意識と身体をシャッキリさせてくれた。


「いただきま~す!」

どの料理も美味しそうだけど、懐かしいラム肉のステーキを切り分けて食べてみた。


「あぁ、この味!とっても懐かしい……。美味しいです」
「ありがとうございます」

唐辛子を少しだけ入れた甘酸っぱさのあるリンゴソースは、ラム肉を一緒に食べると最初はお肉と甘酸っぱい味が絡み合っているけど、途中からハッとさせるような辛さが出てきて、2段階で味わえるような美味しさがある。
このソースはダーファスでは定番だけど、少し離れた街だとオレンジソースだったり、おろしタマネギソースだったりして地域で定番が違う。
今食べているこの味は実家とほとんど同じだったから、すごく美味しい上に嬉しさと懐かしさが込み上げてきて。他の料理に手を付けることなく、パクパクとお皿が空になるまで一気に食べてしまった。

サラダやスープなども食べたけど、どの料理もエイマさんとベーダさんの性格を表したような優しい味付けで、身体の中に美味しさと優しさが染み込んでいくようだった。



「ユーリくんはお腹空いてないかな?」
「ユーリ、出てきたらどうですか?」

美味しい食事を食べ終え、エイマさんが入れてくれた紅茶を飲んでいると、ユーリくんと全然会っていないことが寂しくなってきた。
ユーリくんもご飯を食べたいんじゃないかな~と思ってディズに聞いてみると、彼は少し困ったような表情をしてポーチに声をかけたのに、全然出てこない。どうしたのだろうか。


「眠ってるのかな?」
「いえ、今も起きているんです。シェニカがいない間に『恋するクルミ』を食べたので、申し訳なく思っているのかもしれません」

「そうなの?ユーリくん。怒ってないし、気にしなくていいんだよ。ユーリくんの可愛い姿が見たいな」

そう声をかけてみたけど、ディズは困った顔のままだから反応がないらしい。


「意外と律儀なところがあるので、合わせる顔がない、と思っているのかもしれません。もう少しすれば顔を出してくれるでしょう」

「そうなんだ。じゃあ、寝るまでにお顔を見れたら嬉しいな」


「ライムのシードル、美味しいね」

ふと横を見ると、ルクトはご飯を食べ終わってもライムのシードルを飲んでいる。ルクトも気に入ったのかなと思って声をかけてみると、彼は小さく頷いた。


「ルクトもオオカミリス、可愛いと思った?」
「可愛いとは思うけど。鼻血を出すほどはない」

ルクトは笑うのを噛み殺すようにそう言った直後、緩んだ口元を隠すようにグラスに口をつけた。
気絶している間、結婚式のこととか口走ってしまっていたみたいだけど、他に何か恥ずかしいことを言ったりしていないだろうか。とっても気になるけど、聞いたらもっと恥ずかしくなるから、忘れることにしたほうが良さそうだ。




「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
「ありがとうございます」

エイマさんとベーダさんに挨拶をすると、2人は嬉しそうに微笑みながらお辞儀をした。


「ユーリの服を持ってきたんです。良かったら一緒に見ませんか?きっとユーリも出てきてくれます」
「うん!見る見る!」

食堂を出てシンと静まり返った廊下を進み、ディズが自分の部屋に入るように促してくれた時、ふと頭に浮かんだことを確認しようと思って、後ろを振り返った。


「ねぇ、ルクト」

自分の部屋に入ろうとしていたルクトは、ゆっくり振り向いて不思議そうに私を見た。


「部屋まで運んでくれたのってルクト?」

私がそう言ったら、ルクトは絞り出したような小さな声で「なんで?」と呟いた。


「なんとなく、そうかなって思ったけど。違った?」

「……俺が運んだ」

そう呟いたルクトは、視線を何もない床に落としてしまった。


「階段もあったし、重くて大変だったでしょ?」

「別に、大したことない」

「それと。これ」

指輪を外してルクトに差し出すと、一瞬驚いた顔をしたけどすぐに左手の人差し指に嵌め、白い石の部分を大事そうに触れた。


「つけてくれてありがとう。ちゃんと補充しておいたから。心配かけてごめんね。色々ありがとう。おやすみ。また明日」
「おやすみ。また……明日」

ルクトはすぐに部屋の中に入ってしまったけど、その後ろ姿からはいつもと違う空気が出ていたような気がした。



「お邪魔します」

ディズの部屋は長方形の部屋で、私の部屋側には私が使わせてもらっているものと同じくらい大きなベッドが置いてあって、反対側には洗面スペースやトイレ、お風呂がある部屋と、ソファやローテーブルなどの応接セットが置いてあった。衝立がなければ私の部屋と大きく変わらない、広々とした部屋だった。


「こちらにどうぞ」

ディズはソファに座ると、ローテーブルの横に置いてあったセナイオル様達が背負っていたものと同じ鞄を開け、そこから出した小さなお洋服をテーブルの上に並べ始めた。


「わぁ!かっわいい!これ全部ユーリくんのお洋服?」
「えぇ。たくさん持ってきました」

「軍服にタキシード。白いハート柄のピンクのシャツ、黒と白のストライプ、緑と赤のチェック柄……。いっぱいあるね!
あ!それ熊になりきるお洋服!?その雪だるまも可愛い~!」

「可愛いですよね。ウィニストラには冬がないので雪も降りませんが、雪だるまの格好は可愛いと思って作りました。
ユーリ、そろそろ出てきてはどうですか?着替えた姿を見せてあげて下さい」

ディズがそう言いながら腰のポーチをテーブルの上に置くと、ユーリくんがゆっくりと出てきてソファに座る私の方を見た。いつもならお耳がピンと立っているのに、今は耳も切れ上がった目も、しょんぼりしたように見える。


「心配かけてごめんね。ユーリくんは『恋するクルミ』、食べられたかな?」
「チ……」

ユーリくんは弱々しく小さく鳴くと、テーブルの上に広げた服の下に潜り込んでしまった。


「ユーリくんのかっこいい軍服姿、見てみたいな。着替えさせてもいい?」

小さな服のお山に声をかければ、ヒョッコリと服の隙間から顔を出した。そのお耳はいつもと同じピンと立っているから、着替えてもいいよと言ってくれているようだ。
手を差し出せば、いつもと同じように乗ってくれたユーリくんを膝の上に下ろし、何故かボロボロの緑の服を脱がせ、ディズと同じ青碧色の軍服を手に取った。
背中から被せるように着せ、腹部にある小さなボタンを留めると、ユーリくんは立派な上級兵士になった。

「きゃぁぁ!軍服姿はキリッとした感じでカッコいい!階級章も似合いそう!」
「階級章、良いですね。今度作ってみましょう」

ユーリくんの軍服姿、とっても素敵……。
ギルキアの馬鹿王子に手を引っ張られた時のようなピンチの時、ユーリくんが颯爽と現れたら。
勇敢なユーリくんに恋をした私はユーリくんに感謝のキスをして、ユーリくんが私に主人を変えてくれて……。お風呂とか2人っきりの夜とかどうしよう!きゃぁぁ!!


「シェニカ。鼻血が……」
「あ!!ごめん!」

ユーリくんとイチャイチャラブラブな一時を想像していたら、鼻血がタラリと出てきていて、唇を伝って口の中に入ってしまっていた。
心配そうなディズとユーリくんに謝ると、すぐに空いた手で鼻に治療魔法をかけた。


「大丈夫ですか?」
「あ、えっと。うん、全然大丈夫だよ。ユーリくん、今度はこのクマのお洋服に着替えてもいい?」

ものすごくもったいないけど、想像力を掻き立てられるかっこよい軍服を脱がせ、ちょっと毛先がうねった茶色のモヘアのお洋服を手に取った。


「フードには切れ目が入っているので、頭に被せたらそこから耳を外に出してあげて下さい。その後は顔の下と腹部にあるボタンを留めれば終わりです」

ディズの助言を受けながら着せてみれば、目の前には小さなクマさんがいた。


「かっ……。可愛い~♪」

モヘアのフードからクマっぽくない大きなお耳が出ているけど、クマのぬいぐるみみたいな服に覆われていているから、クマになりきった小さな姿がものすごく可愛い!
立ち上がった姿なんて、『ボクは強くてかっこいいクマなんだぞ!がお~』と大きなクマへの憧れを身体全体で表現しているみたいで。愛嬌がグングン上がって可愛さを倍増させる。

ユーリくん、可愛い。かっこいい……。クマさんに憧れなくても、ユーリくんはもう強くてカッコよくて。私には王子様のような存在だよ!結婚して!!


「えへへ。ユーリくん、どんなお洋服もバッチリ似合っちゃうね!今度はどのお洋服にしようか」

可愛いクマなユーリくんもいつまでも見ていたいけど、このままだと想像が膨らみすぎてまた鼻血が出てしまいそうだ。
クマなユーリくんをチラチラ見ながらテーブルの上のお洋服を1着1着手にとって眺めていると、ディズが密着するように座り直した。


「あの指輪は、なにか特別なものなのですか?」

「元々は私がローズ様からもらった指輪なんだ。指輪の石に軽い擦り傷とか切り傷を治療する程度の治療魔法が蓄えられていて、身につけているとそれがかかっているんだ。軽い怪我だったらすぐ治るよ」

「そうだったのですか。そんな貴重品をどうしてルクトさんにあげたのですか?」

「私は自分で治療魔法をかけられるし、あんまり使うことがなかったから。ルクトの方が使う機会があるからあげたんだ」



テーブルの上に広げられたお洋服を一通り試した頃、ユーリくんは鋭い牙を剥き出しにする大きなアクビをした。


「ふふふ!ユーリくん、大きなアクビね。じゃあ、そろそろ部屋に戻ろうかな。ユーリくん、遅くまで付き合ってくれてありがとう」
「チチッ!」

ユーリくんをテーブルの上に下ろすと、彼は一目散にポーチに入った。お着替え中にアクビをすることはなかったけど、きっと眠かったんだろうなと申し訳なく思った。


「シェニカ」

広げた服を畳み終えて立ち上がり、ドアに向かって歩き出すと後ろから声がかかった。
呼び止めたディズに振り返ると、彼は心配そうな顔で私を見つめていた。


「どうしたの?」

なかなか次の言葉を言わない彼を不思議に思っていると、次の瞬間には軍服に押し付けるように抱き締められていた。


「シェニカが倒れた時、何も出来なくてすみませんでした」

「ううん。心配かけてごめんね」

「大事に至らなくて安心しました」

「気絶したのは初めてだけど、興奮すると鼻血が出ることがあって…」

ディズはギュッと少し強めに抱きしめると、大きく息を吐き出した。


「倒れた時、敵はいないし、大怪我ではないとすぐに分かったのですが。シェニカにもしものことがあったら、と考えるだけで肝が冷えました」

「鼻血じゃ死なないから大丈夫だよ」

まさか可愛い姿に興奮して気絶するとは思わなかったけど。
『倒れた時、何かに頭をぶつけて運悪く死んでしまったら、幸せな想像のまま天に召されそうだから、それはそれで幸せな最期なのかもしれない』と少し思ったけど、本気で心配してくれているディズに、そんなことを言うのは憚られた。


「シェニカが倒れた時。アステラに首を締められている姿と被ってしまって。
1人でアステラの元に行かせ、シェニカに怖い思いをさせてしまって、本当にすみませんでした」

「ううん。あれが一番最善の方法だったし、あれがあったから前に進もうって決意出来たから。ディズが謝るのも後悔する必要もないよ。私も約束も、守ってくれてありがとう」

彼の腕の力が少し抜けたのを感じて顔を上げれば、今にも泣きそうな顔があった。
そんな彼に『ごめんね』『ありがとう』という気持ちを込めて。

背伸びをして彼の唇に一瞬だけ触れるキスをした。
そして再び彼の顔を見た時は、困ったように微笑むディズがいた。


「ありがとうございます。シェニカは上手ですね」

ディズはそう言って優しいキスをすると、誘導するように腰に手を回して歩き出し、廊下に繋がるドアを開けた。
すぐ近くにある自分の部屋に入り、おやすみの挨拶をしようとドアの外にいるディズに振り向くと、彼はそっと私の右耳に手を伸ばした。


「そういえば。今朝、ピアスを外していましたね」

「つけたまま寝てたんだけど、ピアスが引っ張られるような感じがして夜中に目が覚めたんだ。寝返りの時に髪が引っかかったのかと思って。壊しちゃいけないからってピアスを外したんだ」

「そうですか。ずっと戦場にもつけていっていましたが、傷がつくことも外れることもありませんでした。頑丈に作られていますので、心配せずに付けて大丈夫ですよ。外した時は失くさないように気を付けて下さいね」

「コンパクトに入れて枕元に置いたし、失くしても分かるように私も探索の魔法をかけたから大丈夫だよ」

「安心しました。おやすみなさい。良い夢を」
「おやすみ」

名残惜しそうな顔のディズに笑顔でバイバイと手を振ると、彼は青い目を細めて微笑を浮かべた。



ーーーーおまけーーーー
①シェニカの部屋

スースーと寝息を立てるシェニカのベッドの横では、サイドテーブルに座っていたコッチェルくんがムクリと立ち上がった。
コッチェルくんは隣に座る『親愛の鈴』の前で手を振ってみたが、反応がないことに落胆したようで、小さな頭がしょんぼりと項垂れた。しかし、彼の興味はすぐにベッドで眠るシェニカに移ったらしく、テーブルから飛び降り、ベッドの足をよじ登ってシェニカの耳元にやってくると。

ランプの淡い魔力の光を受けるピアスを優しく引っ張ってみた。


「ん~……」

ガシッと掴まれたコッチェルくんは慌てたように身を捩ったが、シェニカが寝ぼけた顔で掴んだコッチェルくんを見た瞬間、ピタリと動きを止めた。


「ん?コッチェルくん……?好きすぎて掴んじゃったのかなあ。ごめんね」

シェニカはコッチェルくんを元いた場所に置くと、右耳を不思議そうに触った。


「また髪が絡まったのかなぁ。やっぱり外して寝た方が良さそう」

シェニカはピアスを外し、サイドテーブルの上にあるコンパクトに入れてベッドに横になると、すぐに眠りは深くなったようで、スースーという気持ちよさそうな寝息が再び聞こえてきた。
すると、再び立ち上がったコッチェルくんが目の前にあるコンパクトを開けようと小さな体で頑張ってみたが、1人では開けることが出来ないと分かるとしょんぼりと項垂れた。

そしてまたテーブルから飛び降りて、ベッドをよじ登って眠るシェニカを覗き込んだ。
気持ちよさそうに眠るシェニカの頬を何度か優しく撫でると、シェニカの口からはムニャムニャと言葉にならない音が出てくる。それが楽しいのか、しばらくそれを繰り返した後、弱い魔力の光が灯されたベッド近くのスタンドへ器用によじ登った。
そしてランプシェードの一番上に到達したコッチェルくんは、そこでキレのあるブレイクダンスを始めた。

短い足を限界まで開いて股割りのようにしたり、波のように手をくねらせたり。
飛び跳ねて片手片足で着地したり、下につけた頭を軸にしてコマのように身体全体を高速回転してみたり。
流れるようなムーンウォークからの、片手を振り上げる決めポーズをやってみたり。

音楽も物音もしない無音の中、藁人形とは思えない柔軟さを発揮し、ランプシェードの端から端までを舞台に踊り回ること数十分。
満足したコッチェルくんはランプシェードから絨毯の上に飛び降り、サイドテーブルに器用によじ登った。そして『親愛の鈴』の隣に座ってシェニカに顔を向けると、眠りに落ちたように微動だにしなくなった。


②ディスコーニの部屋
ディスコーニが書類を読んだり、メモを書いたりしているローテーブルの上にはぼんやりとした光が照らしているが、それ以外の場所は窓の外と同化するような真っ暗闇だ。
ベッド側のサイドテーブルに置かれたポーチの中には、フカフカのクッションの上で丸まって眠るユーリを、ピンクと黒のシャツを着た2体のコッチェルくんがジーッと見下ろしている。時折フサフサのしっぽを撫でると、しっぽがピクピクと動いたり、ゆっくりと左右に揺れたりする。
その動きが面白いのか、コッチェルくん達はユーリの眠りを邪魔しない程度に、断続的に触り続けていた。

他の8体のコッチェルくんといえば。ディスコーニの軍服のポケットの中や、屋敷周辺や森の警備や部屋で書類の処理をしているファズ達のポケットの中で、『この人達寝ないのかなぁ。外で踊りたいなぁ』とウズウズしていた。


〓〓〓あとがき〓〓〓

《コッチェルくん》

シェニカがピアスを交換した日の夜。
シェニカのコッチェルくん「あの紫のカケラ、きれいだなぁ。これがあればダンスが盛り上がると思うんだけど。額の飾りは取れなかったけど、こっちは取れるといいな~。この人、あんまり起きないから、ちょっとくらい強く引っ張っても……」グイグイ

タイミングが悪く、シェニカが起きてピアスを外すとなった。


ちなみにディスコーニのコッチェルくん達は。
「あそこにある紫と透明のカケラ。気になるけど、この人、寝てる時も敏感だから遠くで踊る分は良くても、無闇に近寄れないんだよなぁ。でもあの小さいのは抱きついてきて可愛いなぁ」

ピアスにイタズラされていないが、ユーリは可愛がられている。


制作者(お婆ちゃん)の影響を受けるコッチェルくんは、可愛いもの、小さいもの、きれいなもの。愛情をくれる人、大事にしてくれる人が大好きで、持っているだけでも効果はあるが、大事にすればするほどご利益が上がる。
また、若い頃ダンスが大好きだったお婆ちゃんの影響で、どのコッチェルくんもダンスが大好き。お婆ちゃんの土産物店では夜な夜な大量のコッチェルくんによるラインダンスやフラダンス、社交ダンス、コサックダンス、リンボーダンスなどが繰り広げられている。だが、実は動く人形だということはお婆ちゃんも知らない。

ちなみにお目々がついた『真コッチェルくん』は他のコッチェルくんよりも上位の人形で、彼らの指揮官のような役割を果たしている。好みや性格などは基本的にコッチェルくんと同じなのだが、執念深い特徴があるため、与えられた命令を果たすまでは、捨てられても持ち主のところに戻ってくる。
ソルディナンドに渡す前夜、真コッチェルくんは『諸君!我々は持ち主のために頑張らねばならぬのでア~ル!』みたいな講義をしていたらしい。

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