天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

10.求めるものの違い

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「ん~…?」

「起きたか?」

どことなく嗅いだことのある匂いが気になって身体を動かすと、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
だるさを感じる身体を起こしてみれば、私の隣にルクトが心配そうな顔をして立っている。視界に見慣れない色があるな~と思ったら、ルクトの紺色の上着がかけてあった。


「あれ、この場所に誰かいなかった?」

「お前が昼寝を始めてから、ここに来たのはディスコーニくらいだが時間は随分前だ。どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない。上着かけてくれてありがとう。私、どれくらい寝てた?」

ルクトに上着を返した後、枕にしていたタオルを触ってみると、濡れていないからヨダレは大丈夫だったらしい。そのことにちょっと安心しながらも、一応口の周りをタオルで拭っておいた。


「2時間くらいだ。ずっと突っ伏した体勢で寝てたが、身体は痛くないか?」

「うーん。2時間突っ伏してた割には、全然痛くないや」

「部屋に連れて行こうかと思ったが、抱き上げようとしたら嫌がったからそのままにしておいた。それと、ディスコーニから伝言を預かった。ソルディナンドが、どこかの街で食事をどうかと誘っているらしい」

「キルレかぁ…。うーん、どうしよう」

ソルディナンド将軍が既婚なのにやたらと距離を縮めようとするのは、独身時代に培った自分のイケメン具合を駆使したプレイボーイの名残なのかもしれない。きっと恋愛経験は多いんだろうなぁ。


「ソルディナンドが積極的に絡んでくるだろうから、面倒くさいなら断っていいんじゃないのか?」

「面倒くさい人だけど一応見届人だし、無碍には扱えないからなぁ。まぁ、1回くらいなら良いよって返事しようかな」

「そうか、じゃあそう言っておく」

ルクトはそう言うと、扉を開けて近くに居た人に何かを伝えていた。戻ってきた彼が私の隣の椅子に座ると、居心地の悪さを感じる沈黙がおりた。




「その本、何が書いてあったんだ?」

シンと静まり返った空間に小石を投げ入れるような呟きと共に、彼は私が枕にしていた本を指差した。


「世界中の国に伝わる伝承の話かな。色んな話が書いてあったんだ」

この本には、『木に恋をして愛情を与えよ』って面白いことが書いてあった。『木に恋をする』って言葉を普通に考えれば、「何言ってるの?」って言われてしまいそうだけど、こういう感性って私は大好きだ。


そういえば。
ドナの木は愛情を欲していたけど、私はルクトに何を欲していたんだっけ?


「どうかしたのか?」

本をゆっくり撫でながら、彼と恋人として旅をしていた時のことを思い出してみると、私はルクトからの「好き」という言葉が欲しかったこと、そして、ずっと心の片隅にあったモヤモヤの存在を思い出した。


「ルクトは。ルクトは私のこと、どう思ってた?」

モヤモヤの存在を思い出すと、心の中はあっという間に掴みどころのない黒灰色の雲が覆ってしまった。その雲から逃げたくなったけど、逃げてばかりじゃ何も解決しないと思い直し、思い切って気持ちを彼にぶつけてみた。すると、心配そうな顔をしたルクトは、一気に眉を顰めて不機嫌そうな顔になった。


「どうって?」

「今までルクトが私のことをどう思っているのか分からなかったから、私が別れようって言ったら、すぐに応じてくれるものだと思ってた」

「嫌いだったらこうして一緒に旅なんてしてない。それに、昨日の夜ちゃんと好きだって言っただろ?こういう話をするなら」
「どうして今まで好きって言ってくれなかったの?」

ルクトがまだ喋っていたけど、彼の言葉を聞いたら「何度か好きだと言って欲しいと訴えたのに、どうして言ってくれなかったの?」という気持ちが一気に湧き上がって、彼の言葉を遮るように思いをぶつけてしまった。


「それは。口に出すのは抵抗があったから……。言葉にしなくても、抱いてたら伝わるもんだと思ってた。今まで俺と一緒にいて、お前は満たされてなかったのか?そんなに言葉が欲しかったのか?」

ルクトはそれで伝わるものだと思ったらしいけど、その時、私は自分で精一杯で彼の気持ちを読み取ることは出来なかった。どこかの街で会ったルクト目当ての女性傭兵は、同性から見てもみんな綺麗で、ボンキュッボーンな色気のある大人の女性ばかりだった。自分に自信がなかった私は、ルクトにどう思われているのかずっと不安だった。

それに「満たされる」ってどういうことだろうか。もし、ルクトに「好き」だと言われていたら、きっと幸せだと感じていたと思うから、「満たされる」ってことは「幸せを感じていたか」ということだろうか?
自分の中でそう仮定して彼との旅路を振り返ってみると、ファミさんと出会った時に、ストラードさんから「シェニカ様はルクトと一緒にいて幸せですか?」と問いかけられたのを思い出した。
私は、その直前にストラードさんが言った『伴侶と旅して回れるのは何とも幸せなことです』という言葉につられるように、「恋人と一緒に旅が出来るのは幸せだと思います」と答えた。でも、私とストラードさんの『幸せ』は、同じ言葉なのに中身が違うと感じた。これが『満たされてる』ってことの違いだったのかもしれない。そう考えると、なんだかしっくりきた。


「好きって言って欲しくても、それが叶えられることはなかったから。正直言ってルクトと一緒にいる時、不安を感じることが多くて、満たされてるって感じなかった気がする。ルクトは、私と一緒にいて満たされてた?」

「好きな相手と1日中一緒にいて、毎晩抱いて満たされないわけがない」

ルクトも私も、それっきり口を噤んでしまった。重々しい沈黙の中、私は彼の言葉を反芻した。

彼は私に『好き』だと言わせていたし、毎晩愛し合って満足だったらしい。でも、私は毎晩愛し合わなくてもいいから、ただ『好き』という言葉が欲しかった。お互いに好きだという気持ちを確認し合って共有出来ていたら、不安な気持ちもモヤモヤした雲も心の中に生まれなかったのだろうか。



「じゃあ、ディスコーニといる時はどうだったんだ?」

沈黙を破ったルクトの暗い声に反応して、私はゆっくり顔を上げた。すると、表情は見えないけど、彼は苦悩しているみたいに机に両肘をついて頭を抱えている。


「1週間っていう短期間だったけど、一緒に困難を乗り越えて、共犯になって。好きって、愛してますって言って貰えて嬉しかったし、胸があったかくて、とっても満たされた……と思う」

ディズとは手を繋いで、抱き締め合って、キスをした。ルクトとはそれ以上のことをしていたけど、ディズと一緒にいた時の方が『満たされていた』気がする。

こうして言葉にしながら振り返ってみれば、ルクトとは身体の繋がりだったけど、ディズとは心が繋がった気がする。
ルクトと一緒にいる時は言葉がなくて不安で寂しかったけど、彼が戦場に戻るのをやめて一緒に旅をしてくれるのは嬉しかった。ディズと一緒にいる時は、手を繋いでドキドキして、抱き締め合ってドキドキして。ユーリくんの存在もあるけど、一緒にいるとすごく楽しかった。
もしかしたら。私は心の繋がりを求めていたのかな。そう考えると、心の中を覆っていた黒灰色の雲は、どんどん薄くなっていく気がした。



「俺だって。確かに言葉にはしなかったけど、俺はディスコーニよりもずっと前からお前のこと好きだった」

「心の中は言葉にして伝えないと分からないよ」


ローズ様から強制催眠を教わった時。

「世の中には知らなくて済むのなら、知らなくていいこともあります。真実がいつも正義とは限らない、嘘が必要な時もあるのです。人に強制催眠をかけるのは禁止されてはいませんが、強制催眠をかける相手は信用できない相手にのみ使いなさい。
心の中を覗いたところで、自分の欲しい答えがあるとは限らない以上、信用できる相手、信用したい相手の心の中が知りたいのならば、強制催眠は使わずにその人の口から言わせるようにしなさい。信頼関係を崩したくないのならば、強制催眠は使うべきではない。これが強制催眠を使う白魔道士の暗黙の了解です」

と、教えられた。

彼との信頼関係が崩れるのが怖かったし、もし彼の心の中を強制催眠で覗いて、そこに自分の欲しい『好き』という言葉がなかったらどうしよう、と思うと怖かった。だから私はルクトの口から、私のことをどう思っているのか言って欲しかった。
でも、結局。私は彼に気持ちを言葉にさせることは出来なかった。



「悪かった。これからはちゃんと言うから」

「無理して好きだって言わなくていいよ。それに。ルクトはディズを受け入れるって言ったけど、私はディズと話してるだけでルクトに悪いと思ってしまうから、やっぱりこの先上手くいかないんじゃないかって思うんだ。だから」

「待ってくれ。確かに目の前で楽しそうにされてると嫉妬するし、面白くないけど、それでもお前が好きだから一緒にいたい。別れたくない。お前と別れるくらいなら、ディスコーニのことは受け入れる。だから、もう一度やり直したい。
これからはお前のことを第一に考えて行動するから、俺にチャンスを与えて欲しい。俺の願いは叶えて貰えないのか?」

「でも」
「たまたま立ち寄ったラーナで『聖なる一滴』が使われた兵士を見たとか、ここで落盤に巻き込まれるとか、色んな偶然が重なってこんな風になったと思うけど、元を正せば俺がお前にやったことが原因だって分かってる。だから、時間がかかってもディスコーニを受け入れる」

私に恋愛経験は少ないけど、彼と話している内に『ギクシャクした関係が続く恋人関係ってなんだか違う気がする』と思った。だから、「やり直すのは無理だと思うから、別れた方が良いと思うんだ」と言おうとした。
でも、ルクトは今まで見たことがないくらい必死で、私に真剣な目を向けてくる。その目からは、彼は自分のやったことを後悔して反省しているのだと、突き刺さるように伝わってきた。

言葉に窮していると、ルクトは静かに立ち上がった。


「あの時、こんなことになるなんて思ってなかったし、お前を傷付けるつもりもなかった。本当に悪かった。お前に嫌われるなんて、思ってもみなかった。もう2度としないから、やり直したい。頼む」

「ルクト……」

彼の深々と頭を下げる姿を見ると、何だか今までのルクトとは別人のような感じがする。ルクトの目に浮かんでいた罪悪感と後悔、寂しさを感じ取ると、ディズを好きになったことの罪悪感が湧き上がってくる。

ディズにもルクトにも誠実であるように、私自身が納得出来るように、ルクトと別れたほうがいいと思った。でもディズはルクトの存在を気にしてないし、ルクトはディズを受け入れると言うし、やり直したいと真剣に訴える。私だけが現状についていけなくて、取り残されているみたいだ。どうすればいいのだろう。


どうしようか困っていると、コンコンとノックの音がして扉が静かに開かれた。そこからやってきたのは、何時も通り微笑んだディズで、その後ろには何故か困惑顔のファズ様がいた。


「少しだけでも休めましたか?」

「うん、大丈夫だよ」

「これからシェニカの部屋に本を運びますが、本についてはウィニストラに持っていきますので、時間を気にせずゆっくり読んで大丈夫です」

「分かった。じゃあ、部屋に戻って本を読もうかな」

ルクトのことを考えると、頭がグチャグチャ混乱して落ち着かない。彼を避けるわけじゃないけど、少し冷静になりたくて私は部屋に戻ることにした。


「では一緒に部屋に参りましょう」

先頭に立つのはファズ様、ディズは私の隣、無表情なルクトは私の後ろ、その後ろには本を抱えたアクエル様とセナイオル様という大人数で部屋に戻り始めた。


「夕食の時間になったら呼びに来ますが、眠っても良いですからね?」

シトシト落ちる雨を映した窓を見ながら歩いているけど、誰も喋らないと私の足音だけが廊下に響く。何だか居心地が悪いな~と思っていたら、ディズが安心させる笑顔を浮かべて声をかけてくれた。


「さっきお昼寝してスッキリしたから、本を読むつもりだよ。あ、国王の尋問にも行った方がいいよね」

「無理しなくても大丈夫ですが、良いんですか?」

「うん、全然大丈夫」

ディズとそんなやり取りをしていると、あっという間に自分の部屋の前に辿り着いた。私は扉を開けると、列の一番後ろにいるセナイオル様とアクエル様に視線を向けた。


「本はテーブルの上にお願いします」

「分かりました」

重いであろう本を涼しい顔をして抱えている2人に運び込んでもらうと、扉の前に立つディズとその斜め後ろに立つルクトが視界に入った。無表情だったルクトは私の視線に気付くと、気まずそうな顔をしてゆっくりと視線を壁の方に逸らした。


「では、夕食の後に尋問を行う予定にしますね。時間になったらここに来ますが、部屋の外にはセナイオルとアクエルを置いておきますので、何かあったら彼らに声をかけて下さい」

「うん、分かった。よろしくお願いします」

私はディズとルクトに見守られるように、ゆっくりと扉を閉じた。

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