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第6章

第90話 矛盾と壊れかけの記憶の中で

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 この世界に落ちた時、いくつもの声がした。

『愛し子。その空間は我らの加護が介入できない』
『困ったよ。どうしよう』
『──繰り返した────が君を襲ってしまう』
『もう、ソフィに会えないの!? ヤダー』
『ソフィ』
『ソフィ』
『愛し子』
『─────までの間に、大人しく────待っているんだよ』

 私のよく知っている声。
 でも、意識が遠のいて──その記憶も、私からこぼれ落ちていく。


 ***


 大空の下。大量の藁の上で私は目が覚めた。
 どうやら私は魔導具『箱庭』の中に飛び込んで気を失ってしまっていたようだ。その前の記憶が混濁しているが、少しずつ思い出してくる。

(ええっと……私は……)

 妖精王オーレ・ルゲイエが「ダイヤ王国の次期女王に相応しいのは聖女アリサだ」と言い出したのだ。

 でも聖女アリサは捕縛されているはず──?
 脳裏に痛みが走った。
 次の瞬間、私の中から何かが抜け落ちた。けれどもう痛みはない。

(なんで私、ここにいるんだっけ? ……ええっと、ああそうだ。ジェラルド兄様が逃げろといったんだっけ。新しい女王が即位するのに邪魔だからと──)

 邪魔? オーレ・ルゲイエじい様がそんなことを言うだろうか。
 そもそも聖女アリサは──、────時に……。

「っあ……!」

 痛い、痛い、痛い。激痛が走って、私はその場に身を屈めながら転がった。
 違う。
 彼女は──転移者で、聖女として──役割を、果たして──私は相応しくないと、エル様、フェイ様、アレクシス殿下の傍で断罪した。

 どこで?
 アルギュロス宮殿で。
 だれが?
 フェイ様は「婚約者としてふさわしくない」と、婚約破棄を言い渡された。
 覚えている。
 知っている。
 そう、私は──失敗した。

『ダイヤ王国女王ソフィーリア=ラウンドルフ・フランシス。貴女との婚約およびダイヤ国とスペード夜王国との同盟を白紙に戻させてもらう』
『スペード夜王国と同様、ハート皇国も契約を破棄だ!』
『クローバー魔法国も同盟解消せざるを得ないですね。ごめんね、ソフィちゃん』
『みなさん、私の言葉に立ち上がってくれて嬉しいです』

 あれ?
 なにか──変だ。
 でも何が?

 私は婚約破棄されたのを覚えている。
 胸が痛い。これが夢だったら、どんなにいいだろう。

 処刑。殺害。
 兵士たちが私たち王族を殺そうとする。ハート皇国の兵がダイヤ王国を──。
 違う。ハート皇国とは良好な関係だったのに、なんで?
 何かが──でも、アレクシス殿下は私を、殺しにくる。
 だから、逃げなきゃ。
 そう、ジェラルド兄様が、助けを用意してくれた。
 親友。
 親友、の、

 彼は──スペード夜王国の次期国王。
 セイエン様は「即位したら一緒になろう」と言ってくれた。そうすれば処刑は免れる──と。「正妃になって欲しい」と、「返事は後でいい」と、優しい言葉をかけてくれた。
 私を守ろうとしてくれる唯一の人。
 唯一の?

 艶やかな黒髪に、宝石のような紫色の瞳、目鼻立ちは整っていて、眉目秀麗で目のやり場に困ってしまう。カンフクと呼ばれる上質の絹で作られた服装がとても似合っている。額や腕の包帯は、私をこの空間に逃がすために負ったものだと言っていた。

 吸血鬼は?
 それが追手?
 アレクシス殿下?
 ハート皇国?
 ここに来る前は、アルギュロス宮殿にいた──?
 違う。何かが──可笑しい。
 でも、何が可笑しいの?
 なんで、こんなに胸が苦しいの。
 彼、セイエン様は毎日夕暮れになるとひょっこりと屋敷に顔を出す。今日で七日目だが、やはり同じ時間帯。

「ただいま、ソフィ」
「お帰りなさい、セイエン様」
「ああ、いつも出迎えてくれてありがとう」

 そう言っていつも私をきつく抱きしめる。ここにいることを実感するために肌に触れて温もりを求めた。病的ともいえる行動は──なぜか胸の奥で引っかかりを覚える。

「誰かに『お帰り』と言われるのはこんなに心地いいものだったのだな」

 この人の好きは私を見ているようで、私じゃない何かに執着している。
 向かい合わせでソファに座る。そのたびに違和感があった。もっと近くで、私を膝の上に乗せて抱きしめていた──その人は……もういない。

『ソフィ』と、甘い声で、名前を呼ばれるだけで胸が熱くなる。溢れる想いは温かくて、優しくて、安心した。
 声のトーンも、眼差しの熱量も、温もりも、触れる感覚も違う。
 誰? 
 私は誰と比べているの?
 婚約者。
 裏切られた、そう思おうとしているのに、心が悲鳴を上げる。
 違う。違う──と。
 ああ。
 頭がぐちゃぐちゃで、分からないのに、それでも、私は──。
 私はフェイ様に──会いたい。
 フェイ様に会って──。

『また、裏切られるの?』
「!?」

 どこかで聞いた声。
 声の言う通りだ。
 フェイ様の隣に聖女アリサがいるのを、私は耐えられるだろうか。フェイ様は本当に彼女を愛しているのだろうか。
 直接、聞いていない。
 そう、前にもフェイ様と聖女アリサが談笑をしている場所に居合わせて──。

「…………?」

 勘違いが──あって、あれは都合のいい夢だった?
 頭が痛い。
 割れるように痛い。痛い。痛い。
 私は──現実を受け止めきれずにいるから、頭痛が酷くなるのだろうか。ふと私は見覚えのない腕輪をしていることに気づく。銀の装飾が凝った腕輪だ。

 いつ買ったのだろうか。その腕輪をそっと撫でる。
 ダイヤ王国のアクセサリーではない。私は他国に行ったことなど一度もないから、誰かからの贈物だろうか。

『そう。それと──これでお揃いだ』
『それと恋人が腕輪を贈るというのは、この国では『束縛、傍に居たい、いつも一緒に居てほしい』と、独占欲を表すものだ』

 脳裏にフェイ様の声が響いた。
 優しい声音で、私に問いかけてくれた。
 フェイ様が留学をしていた時だろうか。いいや、だとしたらセリフに違和感が残る。城の外で売っているものではない。スペード夜王国の物だとしたら可笑しい。
 ダイヤ王国では商隊キャラバンの出入りはない。

(……なんで、私、キャラバンの知識があるの?)

 違和感。
 記憶のズレは、まるで不協和音のように少しずつ──けれど確実に私の中に違和感が芽生えていった。

 これは賭けだ。
 フェイ様は私を裏切っていない、という希望的推測が生み出した幻影かもしれない。でも私はあの人を信じたい。腕輪のヒンヤリとした感覚こそが現実だと。
 可能性があるなら、私は──真実を、掴み取って見せる。
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