43 / 110
第二章
42. 再開
しおりを挟むようやくクロードの許可が出て、レオンスが市販薬の服用を開始したのは十一月に入った頃だった。
要塞に詰めていた四つの部隊のうち、二つの部隊はサブルデトワール川下流での開戦にあわせて要塞を出立した。
現在、このファレーズヴェルト要塞で帝国を護るのは第八と第九部隊の二つ。そのため、市販薬を使っているオメガは第八部隊の一人と、第九部隊のレオンスを含む三人の計四名。要塞を出た第六と第七のオメガたちがその後、市販薬へ切り替えられているかは定かではない。
市販薬が入手できたのは、レオンスが抑制剤無しで発情した日から十日ほど前——九月も下旬に差し掛かった時期だ。
入手してからすぐに、アメデとオーレリー、そして第八部隊に所属するオメガの兵士には市販薬が渡され、新薬は秘密裏に破棄されることになった。だが、レオンスは新薬の服用で体のうちに溜まった薬を完全に抜かないことには市販薬であっても危険だと軍医から禁じられた。そのため、九月のはじめに倒れてから今までの約二ヵ月間を抑制剤を一切服用しないで過ごした。
その結果というべきか、レオンスは先日の発情期でシモンと体を重ねてしまった。
(あれは、完全な事故だし……そもそも俺が悪いんだし。だから、俺が落ち込むことじゃない。てか、俺が落ち込むなんて、烏滸がましいだろ……)
抑制剤を飲まずに迎えた発情期。
その二日目に、レオンスは隔離部屋となっていた鉄の扉を開けてしまったことを、うっすらとだが覚えている。
どうにも耐えられぬ本能に突き動かされ、あられもない姿で部屋を抜け出してしまった。
アメデが制止する声が聞こえた気がするが、そのほとんどを本能に支配された体は止まることなく廊下を進んだ。扉を開けたとき、ふわりと香ったシモンのフェロモンに完全にあてられていた。
深緑の森にいるような匂い。
それが鼻孔をくすぐって、彼を追い求めていた。
あとから聞けば、シモンがそこにいたのは偶然だった。抑制剤を使わずに発情期を迎える部下に何か必要なことはあるか、困ったことは起きていないかと、アメデに聴き取りをしに来てくれていたのだ。それはほんの数分で終わるはずだった。
その僅かな時間に悲劇が起きた。
いくら扉で閉ざされているとはいえ、不用意に近づいた自分に非があると、シモンは頭を下げてくれた。しかし不用意と言うのであれば、扉を開けた自分にこそ非があるとレオンスは思っていた。
はっきりと訊ねたわけではないが、望まぬ相手との性交はシモンでも嫌だろう。レオンスに引き込まれ、フェロモンにあてられて抱かざるを得なくなった彼に同情の念すら抱けど、糾弾するなど烏滸がましい。
しかし結局、どちらも自分に非があると言い続け、互いに謝罪を譲らない状況となった。終わりのない問答は、これは不幸な事故だったと互いに言い包め、さらにそれぞれの願いを一つ叶えるという些か子供じみた解決法をとったことで、ひとまずの解決をした。
良かった点でいえば、シモンがレオンスのうなじに噛み付かなかったことだ。
発情中のオメガのうなじや喉元をアルファが噛むことで番が成立する。ヒートのせいで前後不覚に陥っていたレオンスだが、首にある保護チョーカーを外すことはなかった。また、シモンはレオンスのフェロモンにあてられながらも無けなしの理性を働かせてくれたの、手酷い扱いは決してしなかった。
また発情期中の性交ということで妊娠の恐れもあったが、避妊薬に関しては軍医も認めてくれて服用ができた。宿るかわからないとはいえ命を否定するのは気が引けたが、さすがにこれ以上シモンや要塞の面々に迷惑をかけるわけにはいかないと思っていたので、避妊薬を飲めたのは有り難かった。
だから、シモンとはただ、熱を交わしただけだ。
(……シモン隊長、たぶんめちゃくちゃ上手かったけど)
記憶は朧げではあるが、レオンスを抱くシモンの手つきや仕草、その行動を途切れ途切れながらも覚えている。なにより体は正直で、抱かれたあとの気怠さの中には、たしかに行為に対する充足感があった。
漏れ出る嬌声は抑えられなかったし、発情期が収まる頃にも後孔が長時間咥えた雄を求めているのがわかったほどだ。
「——って、レオンス聞いてる?」
「え、あ、ああ。ごめん、ぼーっとしてた。何か言ったか?」
ふと我に返る。
今はアメデと畜舎の掃除中だ。ひと月も前のヒート事故について、あれこれ思い出している場合ではない。
「僕、あっちのゴミを捨ててくるね。ここの片付け、お願いしていい?」
「うん、任せてくれ。そっちこそ、ゴミ捨てよろしく」
今日の畜舎での作業は、オーレリーが抜けている穴を埋めるために行っているものだ。オーレリーは、昨日から発情期に入っている。
新薬の服用を中止して市販薬に切り替えたため、発情期に入ったオーレリーは個室から出ることが叶わない。
先日のレオンスとは違って抑制剤は飲んでいるため、理性が完全に飛ぶこともないだろうから個室から不用意に出ることもないはずだ。それに、昨日今日と彼のパートナーであるアドルフが非番を取っているので、そもそも発情期中のオーレリーを外に出すことはないだろう。熱に浮かされる体を適切に対処することもできる。
明日はアドルフも任務があるようだが、要塞内での対応を主とするらしく、オーレリーに何かあっても対応しやすい環境だ。それに三日目ともなれば、発情も随分と落ち着きはする。少し長めの休憩時間を得ることができるらしいので、そこでオーレリーを相手してやれば、そんなに苦しい発情期にもならないだろう。
(抑制剤は変わったけど、オーレリーは今のところ問題ないようで、ほっとしたな)
見聞きする限りではあるが、市販薬に切り替えたオーレリーに今のところ大きな問題は起きていない。発情期間中に動けぬオーレリーの代わりに、こうしてレオンスとアメデが駆り出されてはいるが、他の支援班員も分担してくれているので作業にも問題となるほどの支障は出ていなかった。
オーレリーとしても、支援班としても、このまま無事に彼の発情期を終えることができるだろう。
(新薬なんて使わなくても良かった……なんていうのは、まだ早いのかな? でも、あれが無くても俺たちはやっていける。それがわかったんだから、シモン隊長に提案した甲斐があったよな)
安全性が疑わしい新薬を使わずとも、市販の抑制剤があればオメガが兵役することは可能であるいう状況をどう捉えるべきかは悩ましいところだ。今まで有り得ないとされてきたオメガ男性の兵役が図らずとも、創意工夫をすれば実現できたという証になってしまったからだ。しかも、それは戦闘が激化していない地域であることと、シモンをはじめとした隊長陣の卓越した指揮と判断によるものだ。他の地で——それこそ、最前線の地で同じような働きを課せられたとして、耐えられるかは定かではない。
ただ、あの薬に頼らなくても、極端に足手まといになっていないという事実は、少なくともオメガのレオンスたちにとって精神的負担がかなり軽減されたのは事実だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
100
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる