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第二章

43. それは突然に

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 ゴミを捨てに行ったアメデを見送ってから、レオンスは畜舎を出て、柵に囲われている運動場で草を食む山羊や豚を見ながら、糞や抜け落ちた毛を畜産用フォークで集めていた。
 なかなかに力仕事なので、額に汗が浮かぶ。

「はぁ……なんか、体が熱い……」

 この頃は、秋晴れも続き、陽射しも落ち着いている。大陸の北西にある帝国は短い夏が終わり、秋はとっくに深まっていた。涼しい風がレオンスの頬を撫でるが、やけに心臓の音が近くに聞こえる。
 おかしいなと思った頃には、ぶわっと汗が滲み出て、手がびっしょりと濡れていた。柄をしっかり握り直そうとしたところで、アメデがゴミ捨て場から帰ってきた。

 フォークを握り締めたまま、ぼーっと突っ立っているように見てたレオンスに、アメデは「どうしたの?」と声をかけた。

「……ごめん、なんだか急に気持ち悪くて」
「顔色が悪いね。もしかして、朝から体調が悪かった?」
「いや……朝は何ともなかった。けど、さっきから体が熱っぽいし、動悸がして……」

 あれこれ考えながら作業をしていたからだろうか。
 アメデと掃除をしていたときには感じなかったが、急激に体調が悪くなってきた。熱いと思っていた体は、今度はやけに寒気を覚え始める。

「薬の副作用かな。ヒートを起こしてる感じはないけど」
「どうだろう……。あの薬は、飲み慣れてるはずなんだけどな」

 今朝飲んだのは、要塞ぐるみで秘密裏に仕入れている市販の抑制剤だ。それを三日前から服用することを軍医に許された。
 幸いにして、入手した市販薬はレオンスが徴兵される前に飲んでいたものと同じものだ。飲み慣れている薬なので、副作用とは考えにくい。
 それに体がやけに熱くて寒いが、フェロモンが過剰に出ているようではないので、アメデの言うようにヒートではないだろう。

 ひとまず少し休もうというアメデの提案に従って、運動場の端によって柵に手をかけた。柵を越えたところに、いくつか休憩用の椅子が置いてあるのだ。そこへ向かうつもりだったのだが……。

「う……ぉえっ……」

 込み上げてきた吐き気を止めようにも遅かった。
 レオンスは身を屈め、胃の内容物を吐き出してしまった。

「わわっ、レオンスっ? 大丈夫っ⁉︎」

 嘔吐と同時に膝の力が抜けてしまって、レオンスはその場に崩れ落ちるようにして蹲った。先ほどから続く動悸で胸も苦しい。
 柵に手を掛けて、なんとか倒れないように体を支えた。けれど、いつ倒れてしまってもおかしくないほどに突然、体が言うことを聞かない。

「おーい、大丈夫か? どうした?」
「急に体調が悪くなったみたいで。ちょっとレオンスを見ててもらえますか? 僕、お水持ってくるんで!」

 少し離れた場所で、同じく畜舎の作業をしていた支援班の一人——バジルが駆け寄ってきた。
 バジルは崩れ落ちそうなレオンスに気づいて、体を寄り掛からせるようにしてレオンスを支えた。申し訳ないと思いながらも、手にも足にも力が入らなかったレオンスはバジルに支えられながら、再び襲いくる吐き気に顔を顰める。

 数秒後、帰ってきたアメデが水の入ったコップを差し出してくれた。

「これで口濯いで。そこは僕たちが掃除するから気にしないで。ちょっと横になる?」
「ありがと……大丈夫、ちょっと目を閉じれば、きっと……」

 そう言って、レオンスはバジルの肩を借りて、なんとか柵外にある椅子まで移動した。
 目を閉じると回っていた世界が消えて、少しだけ楽になる。瞼によって閉ざされた暗闇ですらも、ぐるぐると回っていたが、視界がないだけ幾分マシだった。
 簡易な椅子には背もたれがない。力なく項垂れる体をアメデとバジルが支えてくれていた。

「風邪かな……。それかやっぱり副作用かも……。レオンス、抑制剤を再開して今日は何日目?」
「三日目だけど…………うぷ……っ」

 先ほど吐いたのにもかかわらず、気持ち悪さが抜けない。
 質問に答えた最中にも吐き気がぶり返してきて、再び地面に吐いた。吐くものがないから、口から出るのは胃液だけだ。口の中が酸っぱくなって、余計に気持ちが悪い。
 バジルがすかさず背中をさすってくれて、少しだけ気持ち悪さが落ち着いてくる。吐き終わり、えずき終えると、アメデが水差しから汲んだ水を渡してくれたので、少しだけ口に含んで濯いだ。

 そうこうしていると、近くで作業をしていた他の支援班員も近づいてきて「大丈夫か?」と声をかけてくれる。けれどレオンスはそれに答える気力がなくて、ぐったりとしていた。
 
「レオンスが体調悪いって?」
「俺、救護室に運ぼうか? それか、先生呼んでくる?」
 
 レオンスはそれに気にかける余裕もない。代わりにアメデが対応してくれていた。

「そうだね。救護室に運んだほうがいいかも。突然具合が悪くなった理由が僕たちにはわからないし、このままじゃつらそうだから。クロード先生に診てもらったほうがいいと思う。レオンス、そうしよう?」
「でも……」

 支援班の兵士たちと、てきぱきと話を進めるアメデからの問いに、レオンスは難色を示した。もし副作用だとして、また抑制剤の使用を止められたら……という思いがあったのだ。

「でも、じゃないよ。僕もついていくから、ね?」

 レオンスが渋っている間に、アメデは救護室へ運ぼうかと声をかけてくれた大柄な兵士——ロワイエに目配せをした。するとロワイエは「ちょっと我慢な」と声をかけて、レオンスを軽々と横抱きにしてしまう。

(また副作用だったら、どうしよう……。先生にまた止められるかもしれない……でも、体が言うこと聞かない……)

 このままでは救護室へ運ばれてしまうという焦燥感とは裏腹に、レオンスはすっかりと体を預けてしまうほかなかった。気持ち悪さが体中を巡っていた。

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