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第二章
31. 夏のあと
しおりを挟む九月を迎えたファレーズヴェルト要塞は、暑さも落ち着き、そろそろ秋の気配が漂い始めてきていた。
レオンスはこの日、通信兵が受けた内容を各所に届けるため、要塞内を小走りで駆け回っていた。
要塞の空気は重い。
(……まあ、無理はないけど)
五月の下旬頃から開始された皇国拠点への進攻作戦は、一進一退を繰り返しながら約三ヵ月近く行われ、つい先日ひとまずの終了となった。——結果は、ブランノヴァ帝国が望んでいたものにはならなかった。
攻め入った拠点から皇国兵は撤退した。撤退させることに成功したのではない。正しく言うならば、皇国が拠点から撤退したのではなく、放棄しただけだ。現に、戦争は終わっていない。
皇国拠点に攻め入った第六から第九部隊は、十分の一の兵が命を失い、残りの七割は何らかの怪我を負って帰って来た。死者が十分の一で済んだとみるか、十分の一もの兵を失ったとみるか……レオンスには、わからない。
ただ、それだけの命を失ってもなお、皇国へ決定的な打撃を与えられなかった。その事実が横たわるのみだ。
「支援班レオンス・リデック、入ります。ブラッスール隊長、いますか?」
レオンスがこの日、通信があった内容を届けるために最後に訪れたのは会議室だった。
会議室の扉を開けると、第六から第九まで、四つの部隊の隊長と副隊長が会議机を囲んでいた。第六と第八の副隊長を除いて、残りはアルファの顔ぶれだ。この要塞は市井に比べてアルファの数が多く、さらに言えばアルファの中でも優れた人物が揃っている。そのため、アルファが一堂に会していると、威圧感もすさまじい。
約半年の間に随分と慣れはしたが、アルファという性の者はベータやオメガに比べたら圧倒的な存在感を放つ存在だ。実際にアルファは他者を威圧する性質を有しており、自分より力なき者にその覇気を放てば、相手を竦ませたり、怯えさせたりもできる。特にアルファの庇護を受けることが多いオメガのレオンスからしてみれば、この状況は飲まれてしまいそうなほどだった。
(う……。アルファばっかな空間は、心臓に悪いな)
自然と放たれる彼らの威圧感にレオンスは一瞬怯みそうになりながらも、机を囲む一番奥に立つ男を見つけた。
男も入室したレオンスに気づき、口を開いた。
「ここにいる。通信は届いたか?」
「はい。今、報告してもいいですか?」
机の上には様々な書類が並べられ、大きな地図も置かれている。そして、エリート八人が顔を突き合わせていたとなると、重要な話をしていたところであることはレオンスにも想像がついた。
ここで会議をしていることはあらかじめ聞いていたし、通信が来たら会議室に情報を持ってきて構わないとも言われてはいる。しかしレオンスは、念のために報告してもよいか確認をした。
その質問に、シモンは厳粛な面持ちで頷いた。
レオンスはその答えに、ふぅと一つ息をつく。気合を入れないと、場の空気に飲まれそうだった。そうして心を整えてから、先ほど届いたばかりの通信内容をその場にいる要塞の要である八人へ報告する。
「南のサブルデトワール川下流にて、開戦の報告あり。また、それに伴い第六部隊と第七部隊に移動の指令が下りました。準備完了次第、中央地域を経由して、所定の拠点へ向かうようにと連絡がありました」
「……そうか」
淀みなく伝えた内容に、シモンは思案するように目を閉じる。
他の隊長陣もシモン同様に静かに頷いたり、目を閉じたりして、それぞれ考えを巡らせているようだった。
「例の皇国拠点に関する処遇は……いや、訊くまでもないな。『放棄』で決定、だな?」
「はい。帝都のほうでも、その結論で異論無いとの議論がされた旨、連絡を受けています」
シモンの問いにレオンスは首肯した。
東の森を抜けた先にある拠点を皇国が放棄したのは、森が広がる東の地よりも、川が流れる南の地からの進攻を本格化する方針に変更したからだ、というのがシモンの見立てだった。だから、帝国軍の総指揮を執る上層部——もっと言えば皇帝その人——がいる帝都からの追加の指令を待たずして、ファレーズヴェルト要塞では皇国拠点は放棄の方向で動いていた。森を抜け、拠点へ攻め入っていた兵を撤退させ、皇国側からの追跡を断ちながら要塞まで帰還してきたのだ。
今日の通信内容から見るに、その見立ては正しかったわけだ。
また先ほどの報告で述べた、サブルデトワール川とは、ブランノヴァ帝国の南部に流れる河川幅の広い大河である。
その上流で長雨が続き、橋をかけることはおろか、川を渡るのは危険なほどに水位が増していたのは春先のこと。つまり、川の南から北へ——すなわち皇国領から帝国領へ入るには荒れ狂う巨大な川が邪魔をしていた。
そんな自然の脅威によって、ブランノヴァ帝国に対する皇国からの攻撃は、川はないが深い森もしくは山岳が続く東の国境側からか、あるいは西の海から攻め入るかが主だった。ファレーズヴェルト要塞は、東に位置している要塞の一つだが、近くにある森林の範囲や形状からか東の中では激戦とは遠い場所だった。要塞よりやや南に下った森が途切れた地域では、この瞬間も帝国と皇国は激しく衝突している。
(拠点の制圧は上手くいかないうえに、南のほうでは大規模な戦闘も開始。帝国はずっと劣勢か……。こっちまで皇国が進軍してくる、なんてこともあるんかな? そうなったら、俺も武器を持って戦うのか……? それは、嫌だな……)
レオンスは自分が武器を持って大地を進む姿を想像して、ぶるりと体を震わせた。
この要塞も、つい先日の皇国拠点への進攻を機に一気に戦地のど真ん中となるはずだったとレオンスが知ったのは、例の拠点進攻を始めてからだ。
だが蓋を開けてみれば、圧倒的な軍事力の差からか拠点へ着くまでの間で幾度と道を阻まれ、多くの負傷兵を出した。それでも歩を進めてようやく拠点に攻め入ろうというところで、皇国側があっけなく退いていったのだ。
その退いた理由は、先ほどレオンスが伝えた『サブルデトワール川下流での開戦』につきる。
春が過ぎ、上流の長雨も過ぎて水量も下がった時期を皇国は見逃さなかった。そして、深い森や山岳が広がる東の地よりも南からの進攻に移行した表れだった。
(第六部隊と第七部隊も、そっちへ行くってことだし……この要塞は手薄になるってことだよな。それって、大丈夫なのか……?)
皇国の主力が南に移ったとして、東側からの進攻が全くなくなるわけではないだろう。こちらで大規模な戦闘行為が開始される可能性が低いだけで、敵国と隣接していることには変わりない。牽制をしておかなければ、あっという間に足元を掬われてしまう。
となれば、要塞に詰める部隊が半分になるこの場も、今までどおりにはいかないということだ。ますます一人一人の任務内容の重みが増すのだろう。——レオンスたち、オメガについても。
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