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氷姫救出編

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 落ちて、落ちて、落ちていく。暗闇の中をただひたすらに。
 結論から言うと大穴の中には何もなかった。魔物の気配も、生物の痕跡すらない。
 ここは本当にただの穴だ。ただただ深いだけの大穴。だがその深さが異常なのだ。

 ……どこまで続いているんだ?

 落下を始めてから既に数十分経っている。
 いきなり地面に衝突しないように時折、羽ばたいて勢いを殺しているが速度はかなり出ている。
 それでも眼下に広がる光景は黒一色。暗闇が広がるばかりだ。
 この迷宮がどれだけ深いかは未知数だが、既に深層に達している可能性は極めて高い。

 ……もしかしたら最終到達地点よりも深いかもな。

 そんなことを考えながら降下を続けていると、唐突にが変わった。
 重く、まとわりつく様な空気に息が詰まりそうになる。

 俺は翼を大きく羽ばたかせて急制動を掛け、暗闇の底を睨みつける。

 ……いるな。

 下から息も詰まるような気配がする。何がいるのかはわからないが十中八九、魔物だろう。
 先程戦った枯れ木のような異質さはない。

 ……姿だけでも確認するか?

 カナタに言った通り危険なら逃げればいいだけだ。
 
 だが俺はその考えを振り払った。

「万全を期すべきだな」

 俺は自分の実力に自信を持っている。それだけの修練を積んできた。決して怠けたり、努力を怠ったことも無い。できる事は全てやってきた。
 実際、先ほど戦った枯れ木のようなバケモノでもなければ余裕を持って戦える。
 
 だがそれは過信をしていい理由にはならない。
 戦いに絶対はない。些細なミスで命を失うことも往々にしてあるものだ。万が一、億が一にでも俺が死ねばラナの救出が大幅に遅れる。
 それだけは絶対に避けなければならない。
 
 加えて相手がヒュドラだった場合、一人だと時間がかかりすぎる。
 俺は斬ることしかできない。
 カナタの様に雷を放てたり、ウォーデンの様に火を出したりはできない。
 つまり俺にはヒュドラの再生を止める手立てがない。
 心臓を壊すのも手だがあの小さい心臓を的確に穿つのは至難の業だ。できたとしてもやはり時間がかかる。
 
 みんなで倒した方が早かった、では本末転倒だ。

「……戻るか」

 翼を大きくはためかせる。巨大な翼はそれだけで大きな揚力を生み出す。一つ羽ばたきをするたびに身体を押し上げられていく。目指すはみんなが待つ入り口だ。



「長かったな。おかえり」
「……おかえり」

 穴の上へと戻ると、見張りをしていたカナタとカノンが出迎えてくれた。他の面々は地面に座り身体を休めている。
 俺を見て立ちあがろうとしたので手で制しておいた。耳を傾けてくれるだけでいいし、ほんの少しでも回復に集中した方が良い。
 
「ただいまカナタ、カノン。異常は?」
「特にだな。魔物はおろか、生き物の気配すらない。そっちは?」
「おそらくこの穴は深層まで繋がっている。道中に魔物の姿はなし。だけど底に強そうな奴がいる」
「……強そう。レイが言うんだから相当か。姿は見たか?」

 俺は首を横に振る。
 
「気配を感じた段階で引き返した」
「賢明だな。どのぐらい強そうだ?」
「あのヒュドラよりは遥かに強いだろうな。だけどさっきの枯れ木ほどじゃない」
「なら行けるか……」
「ああ。問題ないと思う。だけどこの下り坂といい誘い込まれている気がしてならない。用心だけはしておこう」
「だな。レイは少し休むか?」
「いやいい。ほとんど落ちていただけだから疲労はない。みんながいいなら直ぐにでも出発しよう」
「了解」
「……わかった」

 俺の言葉でみんなが立ち上がり、下り坂を進み始めた。



 坂を下る事、数時間。到達した地点まで戻ってきた。そして同じように漂う空気が変わる。

「これか。レイの言った通りかなり強そうだな」
「そうですね。……息が詰まります」

 各々の表情が引き締まり、己の得物を握りしめる。
 
「ここから先は俺も見てない。警戒しつつ進もう。先頭は俺が行く。殿はカナタ。頼めるか?」
「任せろ」

 さらに大穴を下る。進む毎に空気が重くなっていくのを感じる。
 そこから先も長かった。単純に深いのもあったが、警戒しつつ進んだ為、速度が落ちたのもある。
 約一時間後、大穴の底に辿り着いた。

「扉?」

 そこには扉があった。とても巨大な両開きの石扉が壁に嵌め込まれている。
 夢で見たあの場所と似ている。
 だが別の場所だ。あの場所には上に続く坂なんて無かった。あれば俺は脱出を図っている。
 そもそも扉の中にいるモノが違う。

 ……扉越しでこの重圧か。

 それだけで扉の先にいる魔物が正真正銘の怪物だとわかる。

 ……願わくばヒュドラだといいんだけどな。

 歩を進めて、扉の前に立つ。
 枯れ木の様な異質さな気配ではない。しかしこの重圧だ。勝るとも劣らない強さは持っているだろう。

「……レイ」

 カノンがコートの裾を引いた。

「……もしもこの中にいるのがヒュドラだったら七本目、無属性の首は回収できる様にして。……眼球と牙が必要」
「……わかった。カナタ。ウォーデン。ヒュドラだったら俺が初撃でできるだけ多くの首を落とす。だから再生できない様に傷口を焼いてくれ」
「わかった」
「おう。任せな」
「サナは二人の魔術の後、すぐに追撃を。俺もすぐ加勢に向かう」
「まっかせて~!」
「アイリスとカノンは後方から支援と援護を頼む」
「わかりました!」
「……わかった」
「ヒュドラじゃ無かった場合は臨機応変にだ」

 大きく息を吐き出し、言葉を紡ぐ。

「……第五封印解除」

 闇を収束させ冥刀と鞘を作り出す。

「カナタ。ウォーデン。魔術の準備を。サナとアイリスはファイブカウントで扉を開けてくれ。んでわずかな隙間でも開けたらすぐに下がれ」
「わかった」
「わかりました!」

 サナとアイリスが左右に分かれ、扉の前に立った。
 カナタとウォーデンも巨大な魔術式を記述し、後は魔力を流すだけの状態で待機させている。
 カノンも鴉を十匹召喚し、傍にはシルが控えている。

「準備は?」
「オーケーだ」
「いくよ。五――」

 俺は大きく息を吐くと抜刀の構えを取る。目を閉じ息を吸い、止める。
 目を開き扉を見る。
 見据える先は扉の向こう側にいるであろう魔物だ。

「二、一……!」

 重厚な扉が音を立てて開いていく。
 初めから全力だ。さっきヒュドラ戦のような愚は犯さない。
 そしてソイツが見えた瞬間、俺は刀を振るった。

「第六偽剣――」
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