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氷姫救出編

取引

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 現在、俺たちはブラスディア伯爵の執務室へと戻ってきていた。

 伯爵から素材を受け取ったカノンは儀式の準備を行っているのでここにはいない。
 カノンは呪いの専門家エキスパートだ。任せても問題はないだろう。

 なので早速本題に入った。

「標のペンデュラムはありますか?」
「公爵から話は伺っています。……ライム」

 ブラスディア伯爵は側に控えていたライムさんに指示を出す。
 部屋を出たライムさんはすぐに戻ってくると一冊の本を伯爵に手渡した。
 伯爵は本のページを捲り俺たちに見えるように机の上に置いた。

「これであっていますか?」

 開かれたページには俺が以前見たものと同じ絵が書かれていた。説明を読んでいくとやはり同じものだった。
 しかし、その説明が以前読んだ本より詳細に書かれていた。正確に言うならば実験結果だ。
 伯爵が実際に使ってみたのだろう。名前のサインもある。
 そしてそのページの下部には見たくなかった記載があった。

 ――数回の使用で破損、使用不可。

 俺はその文字に指を立てた。

「……この記載は、あったけどもう無いということでしょうか?」
「……はい」

 伯爵の搾り出すような声に俺は手を握りしめた。

「私は魔導具蒐集家コレクターと呼ばれていますが、実際には研究者の側面が強いのです。標のペンデュラムは一年ほど前に入手し、研究していました。そして実際に使ったところ三回で壊れました。そして二つ目を……」
「二つ目があるのですか!?」

 俺は思わず席を立った。伯爵が驚いて目を丸くしている。

「失礼しました」

 咳払いをして椅子に腰を下ろす。
 
「……いえ。申し訳ありませんが二つ目も壊れてしまいました。そのペンデュラムは一回で」
「そうですか……」
「ですが、そもそも標のペンデュラムはそれほど珍しいものではありません。というのも時々オークションに出品されるのです。研究は終わっていたので入札はしませんでしたがその後も何度か見ています」

 伯爵は言葉を止め、一息付く。そして勇者であるサナに視線を向けると厳かに言った。

「……そこで……取引をしませんか?」

 提示される条件は大体予想がつく。サナがこちらを向いたので俺はしっかりと頷いた。
 サナが伯爵の目を見て口を開く。

「取引条件はなんでしょうか?」
「私が持つ全ての伝手を使って必ずや標のペンデュラムを入手してみせます。他にも欲しい魔導具があれば倉庫からいくらでも持っていって貰って構いません。ですからどうか……どうか娘の呪いを解いてはくれませんか?」

 伯爵が机に手をついて頭を下げる。それは取引というよりは懇願に近かった。
 
 伯爵はカノンから解呪に使う素材を聞いている。だからその素材がヒュドラだということも知っている。

 その時に俺はダメ元で迷宮に行かずにヒュドラの素材を集められる方法は無いかと聞いてみた。
 だがヒュドラの素材は滅多に市場には出回らないらしい。七本首となれば尚更だ。
 
 たとえ出回ったとしてもその希少さ故にとんでもなく高価だとか。その値段は貴族であるブラスディア伯爵でも手が出ないような金額との事だった。

 だから呪いを解くにはS級迷宮に行ってヒュドラを倒すしか無い。
 それは非常に困難な方法だ。
 
 普通の冒険者では七本首を持つヒュドラは倒せない。倒すならば大規模なパーティを作る必要がある。それこそS級を総動員しなければならないほどだ。
 そしてそれだけの人材を集めるには時間が掛かる。そんな時間はアルメリアには残されていない。

 カノンによって呪いの進行が遅延しているといってもそれには限度があるのだ。

 それを伯爵は十二分に理解している。
 だから自分が圧倒的に不利な条件を出していると伯爵は思っているはずだ。
 
 だけれど俺たちにも時間がないのは同じ。ラナのことを知らない伯爵はわかっていないがこの取引は対等な物だ。
 
 俺はなんとしても標のペンデュラムを入手しなくてはならない。

 サナと目が合った。だから俺は頷いた。他のみんなを見ても異論のある者はいない様だ。
 断る理由がないのだから当然か。

「わかりました。その取引、お受けましょう。私たちが必ずヒュドラの素材を持ち帰ります。なので標のペンデュラムをよろしくお願いします」

 サナが手を差し出すと、伯爵がその手を握った。

「……ありがとうございます!」

 伯爵の瞳には涙が浮かんでいた。
 取引成立だ。



 そして夜。
 俺は与えられた部屋で休んでいた。部屋は既に暗く、後は明日に備えて寝るだけだ。
 明日は朝一で奈落の森へ向けて出発する。物資は伯爵が準備をしてくれるとの事だったので俺たちは任せる事にした。

「よかったなレイ」
「何がだ?」

 部屋にはカナタもいる。本来はウォーデンも合わせた三人部屋なのだが、あのおっさんは夜の街へと消えていった。おそらく飲み歩いているのだろう。
 この前のことがあったから二日酔いになる程は飲まないと思うがかなり不安だ。

「標のペンデュラムを見つける目処が立って」
「まあ今ここにあるのが一番だったんだけどな」
「……でもそれだとアルメリアさんを見捨てることになるだろ?」
「……」

 隣からカナタの視線を感じる。俺は答えられなかった。

「俺は根っからの魔術師だから目的のために犠牲を出す事は許容できる。だけどサナはまだまだ一般人でアイリスなんて王女サマだ。許容しろってのは無理な話だろ? だからこれでよかったんだよ」
「……そう……だな」
「だけどなレイ。今後こういう選択はあると思うぞ。その時、お前はどうする?」
「俺は変わらねぇよ。ラナの事を最優先に考える」
「それをラナさんが望まなくてもか?」

 アルメリアを見捨てるのをラナが望むのかとカナタは言っている。
 それはわかっている。ラナの性格なら望まない事ぐらい。きっとラナならアルメリアを助けろと言うだろう。

 ……いや違うな。

 つい笑みが溢れる。
 ラナなら「アルメリアを助けて私も救えるでしょ?」とでも言うだろうか。「レイならできるよ」と。
 全てを救えるなんて思うのは傲慢だ。

 ……だけどやらないで初めから諦めるよりはマシか。

「答えは出たみたいだな」
「ああ。ありがとなカナタ」
「気にすんな」

 俺は親友に感謝しつつ眠りについた。
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