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氷姫救出編

呪い

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「……の……ろい?」

 カノンの言葉をブラスディア伯爵は掠れた声で反芻した。

「……そう。……彼女が体調を崩した日、何かなかった?」
「……特に何もなかったはずです。その日はずっと家にいました。ライム。そうだよな?」

 主人の言葉にライムさんが頷く。

「はい。お嬢様は書庫から本をお持ちになって自室で読んでいました。私が付き添っていたので確かです」
「……じゃあもっと前? ……時限式だったかもしれない」
「誰かに呪われたということですか?」

 カノンが小さく頷く。
 
「……呪いは二種類ある。……わたしたちアストランデが使う魔術と誰でも扱える儀式。……アストランデの魔術であればわたしがわかる」
「では儀式が行われたと?」
「……そう。……紙とペンを貸して」

 ライムさんが机に置いてあった紙とペンをカノンに手渡す。
 カノンは受け取るとさらさらと何かを書いていく。

「……これは強力な呪い。……すぐに手に入るような物で解呪は不可能。……だから進行を遅らせる」

 紙を書き終えると伯爵に手渡した。チラリと見えた内容は魔物の素材が羅列されていた。

「……すぐにこれを集めてきて」
「あ、ああ。ライム。屋敷の者を総動員してくれ。私もすぐに出る。……勇者様方はこちらでお待ちください。すぐに用意して参ります」

 伯爵とライムさんが慌ただしく部屋から出ていった。扉の外からは使用人たちに指示を出している声が聞こえてくる。

「カノン。素材があれば治るのか?」

 俺の言葉にカノンはコクンと頷いた。

「……これは衰弱の呪い。……対象を徐々に衰弱させる。……強力なものだと時間をかけて命を奪う」
「命を奪う……か。それでなんの素材がいるんだ?」
「……大半は大したものじゃない。……だけど一つだけ厄介な物がある」
「それは?」
「……ヒュドラの素材」

 ヒュドラ。地球ではギリシャ神話に登場する怪物でレスティナではS級迷宮の最奥に生息するクラスの魔物だ。
 本に描かれていた絵は複数の首を持つ蛇だった。その姿形は地球の神話に登場するものと変わらない。
 
 首の本数で強さが決まり、三本首でもS級に認定される強力な魔物だ。最大の九本首ともなればS級冒険者が束になっても敵わないと言われている。
 首ごとに異なる属性の魔術を扱い、ずば抜けた再生能力を持つのが特徴だ。

「カノン嬢。その素材ってのは何本首から取れるんだ?」

 話を聞いていたウォーデンがカノンに聞いた。
 
「……七」
「七……か……」

 ウォーデンが顔を顰める。

「ウォーデンは戦った事があるのか?」
「……俺が戦ったのは四本首だ。四十人で戦って半分以上が死んだ」
「それは……」

 思わず言葉に詰まった。
 聞いただけでどれほど壮絶な死闘だったのかがわかる。
 
「……ちなみに冒険者たちのランクは?」

 全員が全員、ウォーデンのように強いとは限らない。もし全員がウォーデン並みの力を持ち、それでも半数が死んだのだとしたら想像を遥かに超えた怪物だ。
 
「俺と同じS級が二十八だ。その他はSに近いAって所だな」
「ウォーデンはその中だとどのぐらい強い?」
「謙遜抜きにして俺より強かったのは一人。同じぐらいが三人ってとこか」 
「……ウォーデンから見て俺たちじゃ力不足か?」

 ウォーデンは俺の問いにしばらく考え込んだ後、質問を口にした。

「レイ。お前はあの偽剣って技、何発放てる?」
「……ちょっとまって」

 カノンが割り込んで指をパチンと鳴らした。
 すると簡易魔術が起動して結界が部屋全体に張られた。

「……サナとアイリスもお願い」
「おっけー!」
「わかりました」

 サナとアイリスも魔術を使い結界を張った。これで三重結界。やりすぎな気もするが誰が聞いているとも限らない。もしかしたら呪いをかけた人物が盗聴している可能性もある。念には念を入れてだろう。

「すまん。助かる」

 ウォーデンが礼を言った。俺は質問に答える。
 
「答えはいくらでも、だ。ただ黒刀じゃないと偽剣を放ったら壊れるってのは覚えといてくれ」
「わかった。カナタはどうだ? 偽剣と同等の攻撃はできるか?」
「できるけどいくらでもは無理だな。二回だ」
「それなら四本首は倒せると思う。だけど正直七本首はわからない」
「……たぶん倒せる」

 カノンが横から口を挟んだ。

「カノン。その根拠は?」
「……ヒュドラは最果てにもいる。……わたしはアストランデ十人で六本首を倒した事がある。……もちろん私たちよりレイのが強い」
「……おいおい嘘だろ。アストランデってのはそんなに強いのか?」

 カノンが誇らしげに胸を張った。いつも通りあまり表情は動いていないが喜んでいるのはわかる。

「じゃあ七本首もいけそうか。それ以上が出てきたら様子を見てから判断しよう。……ここから近い迷宮でヒュドラが出るのは……」

 頭に地図を思い浮かべる。
 たしかここから西に行ったところに蛇型の魔物が多数出現する迷宮があったはずだ。

「たしか『奈落の森』か」
「そうですね。一番近いのは『奈落の森』だと思います」

 奈落の森はS級迷宮だ。
 ヒュドラが居てもおかしくはない。

「じゃあそこに行くで決まりだね!」
「いや。それは伯爵との交渉次第だ」

 サナが不思議そうに首を傾げている。

 ……問題は、奈落の森が他国にあるって事なんだよな。

 奈落の森はシルエスタ王国に存在する。当然グランゼル王国からはだいぶ距離がある。ラナがわざわざ連れてこられたとは考えにくい。
 それに迷宮の名前にある通り迷宮内は緑豊かな森なのだ。
 夢で見たラナのいる遺跡には木なんてなかった。
 だからハズレである可能性が極めて高い。

 あくまで俺たちの目的はラナだ。それが魔王討伐に繋がる。
 決して呪いに侵された少女を救うことではない。そこを間違えてはならない。

 わざわざ無駄足を踏んでいる時間はないのだ。
 しかし、はたして俺の仲間たちはそれを許すか。

 ……酷な選択をする必要があるかもな。

 ラナにそれほど時間がないのは俺の予想でしかない。サナやアイリスなら目の前にいる死にそうな少女を放っては置けないだろう。
 だけど俺は会ったばかりの少女よりラナの方が大切だ。万が一があるのなら俺はラナを優先する。

 ……たとえ悪役になったとしても。

 俺はサナの疑問にあえて答えない様にした。叶うならそうならない事を願うばかりだ。
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