上 下
11 / 251

11:いきなり自身の左胸に

しおりを挟む
私は……一度死んでいる。
そしてこの『戦う公爵令嬢』という乙女ゲーの世界に転生できた。でもここでアズレークに暗殺され、また転生できる保障はない。

元々覚醒した時点で、断罪は済んでいて、詰み終わった状態で人生がスタートした。

悪役令嬢からの、偽の聖女かつ廃太子計画の遂行者。
私の人生、一体どうなっているの!?
正直、私の意志に関係なく、いろいろなことが進んでいる気がする。

これはもう大いなる意志の力が、そうなることを私に求めているとしか思えない。

断罪回避のチャンスすらなく、ここまできた。
この世界は、なぜか私に冷たい。
こうなったらこの後の運命も、受け入れるしかないのでは?

魔力を送りこむとか、私に魔法を使えるようにさせるとか、荒唐無稽なことを、アズレークは言っているが……。誰かに魔力を与えることができるなら、みんな魔法を使えるようになるはずだ。でもあの目は、冗談を言っているとは思えない。本気だ。

アズレークは、通常ではできないような特殊なことを、できる人間なのかもしれない。そんなアズレークを相手に、私ができることなんて、ないのではないか? 前世の記憶があるだけの元公爵家令嬢で、現在はただの修道女だ。今できることは……スノーと自分の命を守るぐらいしかない。

「……分かりました。取引に応じます」

「……そうか。それは……良かった」

アズレークは先程から一転、心底ホッとした表情に変わっている。

さっき、射抜くような目で見られた時は、初めてアズレークを怖いと思った。

でも今のこの安堵しきった表情を見ると……。

どうしても悪人には思えない。

「スノー、紅茶、とても美味しかった。悪いが、片づけを頼んでもいいか?」

「勿論です、アズレークさま」

スノーはテキパキと片づけを始めた。するとアズレークは、窓際に置かれたカウチソファへ移動することを提案した。私は頷き、アズレークの後に続く。

修道院の裏の森で出会った時は、マントをつけていたが、今は黒いシャツにジレベストという姿だ。

その後ろ姿を見るだけでも、引き締まった体をしており、背筋も鍛えられていると分かる。身長も高いし、サラリと揺れる黒髪も実に美しい。

もし王道の騎士の姿をしていたら、多くの令嬢がアズレークの姿を見て、ため息をつきそうだ。

なぜ刺客などやっているのか……。

「そこに座って」

不意に振り向き声をかけられ、思わず体がビクッと震えてしまう。

「……そんなに怯えるな。取引は成立している。暗殺するつもりはない」

別に暗殺を恐れて震えた訳ではないのに、この気遣い。

重ねて思ってしまう。
暗殺を生業とする刺客には見えないと。

「さて。取引が成立したから、先ほど見せることができなかった道具を開示しよう」

アズレークが自身の腰に手をやった。
そこには帯刀していれば剣があるだろうが、今、アズレークは丸腰。

だが。
……!
彼の手にはいつの間にか短剣が現れている。

「これはスティレットという剣で、刺突(しとつ)専用のものだ。魔法を使い、この短剣(スティレット)で王太子の心臓を穿つ」

そう言いながら、鞘から剣を抜くと……。
刺突専用というだけあり、刃がない。
その代わり切っ先は限りなく鋭利。そして全長は20センチほど。

「これで心臓を穿てば、確実に相手は死ぬと思いますが。用途としてはミセリコルデ(慈悲の剣)に近いですよね?」

「パトリシア、君は……ただの公爵令嬢だったとは思えないな。その通りだ。普通にこれを心臓に穿てば、命は奪われる。でも魔法と併用すれば、そうはならない」

そう言った瞬間、アズレークはいきなり自身の左胸に、短剣を突き立てた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令嬢は家族に支えられて運命と生きる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:65

処理中です...