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黒石八寿彦 ※犯罪行為?表現あり

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 黒石八寿彦くろいしやすひこが、自分を『特別な人間』だと思い始めたのは、7歳の頃だった。


 それは、彼の右胸に3つ並んだホクロがあったからだった。折しも、当時テレビで胸に『狼型の痣』のある青年が、ヒーローに変身して戦うアニメがやっていた。

 八寿彦は風呂上りに半裸になると、主人公と同じポーズで気合を入れたが、変身する事は無かった。


 8歳の時、八寿彦は『自分は17歳になったら、悪の組織と戦う人間に選ばれる』と信じた。
 たまたま読んだ漫画に、『17歳のヤスヒトという超能力を持つ男が、世界征服を企む軍団と戦う』話が載っていたからだ。

(あの話はきっと、未来の話に違いない。だって名前も顔も似てるじゃないか)

 八寿彦は暇さえあれば、朝顔の鉢についてた蔓用の棒を振り回し、修行を始めた。


 そしてある時、級友が上級生に苛められてる場面に出くわした。
 ヤスヒトに倣い、果敢に戦い級友を助けるべく飛び込んだが、持っていた朝顔の棒は取り上げられ、殴られ蹴られた。

 級友は逃げ出し、上級生に2対1で勝てる訳なく敗れた。
 泣きながら帰宅すると、慌てふためいた両親は学校に連絡し、上級生2名とそれぞれの親とその担任、逃げ出した級友とその親の総勢10人を校長室へ呼び出し、謝罪をさせた。

 その経験から八寿彦は、男気や善意で人助けしても報われないのだと悟った。


 八寿彦が小学校卒業を目前に控えたバレンタイン。クラスの女子はスポーツが得意だったり、顔のいい男子にだけチョコを渡し、八寿彦には何もくれなかった。

 チョコレートなんて小遣いで幾らでも買えるけど、『何個貰った!』と騒ぐ級友達にムカついたので、母親に密告した。

 PTA会長だった母親はすぐさま学校に、『貰える子と貰えない子がいるのは不公平』『そもそも学校に菓子を持ってくるのは違法だ』と苦情を訴え、臨時の父兄会を開かせた。

 そこで『バレンタインチョコの持参禁止』という独自の規則が、公立小学校なのに制定された。


 八寿彦が中学1年の時。夏休みに1人で映画を見に行こうとした。
 映画はマイナーなアニメで、比較的近場で公開しているのは1か所のみ、それも1日1回しか上映されてなかった。

 その映画館に行くためバス停に行くと、反対側のバス停にも、1人の老人が同様にバスを待っているのが見えた。

 時間潰しに持参した漫画本を読んでいると、老人が咳き込み始めた。嫌な感じの咳で、ずっとゴホゴホしている。
 さり気なく本越しに窺うと、老人は胸を押さえ、咳き込みながらうずくまっている。

(もしかすると、ヤバいのかも?)

 繁華街方面に行くバス停でもなく、平日昼間。利用者はおろか通行人も来ず、車両もほぼ通りかからない。

(何でこんな時に限って誰も通らないんだよ!)

 老人の咳は止まらない。八寿彦は本で視界を遮り気づかぬフリを続ける。

(救急車呼ばないといけない?いやいや、そんな義理ないし。恥ずかしいし、面倒じゃん!)

 八寿彦は老人の方を見ずに後ろ向きになると、そそくさとバス停から立ち去った。
 翌日の新聞をくまなくチェックしたが、『バス停で急死した老人』の記事は見つからなかった。

(ああ、良かった)

 だが、後味の悪かった八寿彦は映画を見に行く気にはなれず、翌年発売したVHSで楽しむ羽目になった。


 中学2年になってすぐの事。行った本屋から帰ろうとすると、後ろから走って来た人物にぶつかられた。
 よろめいたが持ち直した八寿彦は、それが同じ学校の制服を着ていて、尻ポケットから銀の鎖の付いた緑の財布が見える男子である事に気づいた。

(何だよ、人の後ろからぶつかっておいて)

 人物がそのまま走って角を曲がろうとすると、後ろから怒鳴り声がした。

「この野郎! 待て!!」

 男性店主は追いかけ、角を曲がったとこで捕まえたのか、喚く声がした。

「俺じゃねえよ!!」

 腕を掴まれてるのは、クラスメイトの不良の男子。店主が怒鳴る。

「お前、盗った本どこやった?!」

「だから俺じゃねえって! ダッシュしてた奴だろ? 道路渡ってったよ!!」

 ちらりと見えた彼の尻ポケットには、鎖も緑の財布も見当たら無い。完全に勘違いされている。

(うーん、あいつの無罪晴らしてもなぁ)

 八寿彦はそのまま通り過ぎた。何事も不干渉がいい。最近読み始めた漫画の主人公は、ドライでクールだった。

(あの主人公みたいに、頼まれた仕事だけやるっていうの、カッコイイな。こういう人間になりたいものだ)


 高校受験の時、電車の網棚に忘れ物の財布を見つけた。二つ折り財布で、お札が結構な枚数入ってるのが見えたが…。
 一刻も早く帰宅しゲームをしたかったので、拾わず誰にも知らせず放置した。


 高2の時。家族旅行先の公衆トイレ脇で、自殺遺体を見つけた。死体と気づき思わず叫びそうになったが、ここで自分が発見者として警察に知らせたら、折角の旅行がおじゃんだ。
 誰かが見つけて通報するだろうと判断し、見なかった事にして場を後にした。


 パティシエのマンガに影響された八寿彦は、高校卒業後に調理師の専門学校へ進んだ。
 研修で始発の電車を使う事になり、早朝に家を出た時だ。

 何となく向かいの家を見た八寿彦は、後悔した。住人であるそこの老婆が、門と玄関の間に倒れていたのだ。

(勘弁してくれよ!俺は何もしたくないのに!!)

 老婆は意識が混濁してるのか、うわ言を言っている。ふと見た新聞受けには、新聞は入っていない。

(じゃ、新聞配達の人これから来るよね?俺、無理だからちゃんと通報しといてね!)

 八寿彦は、逃げるように駅へ向かった。


 その日の研修から帰宅した八寿彦は、ある物を目にした。あの老婆の家に、喪中の案内が置いてあった。

「お向かいのお婆さん、1人暮らしだったから、倒れても誰にも見つけてもらえなかったみたい」

 ご飯を茶碗によそい、母は言った。

「やっくんもね、早く結婚して家族を作って1人暮らしは避けなきゃね?」

「結婚とか、俺まだ19なのに気が早いって」

 苦笑し茶碗を受け取った八寿彦だが、その時のご飯の味は感じられなかった。
 それは洒落にならない、後味の悪い出来事だった。


 翌年、父が自宅で睡眠中に急死した。脳卒中だった。母は嘆き悲しんだが、八寿彦は怒っていた。

(向かいの老婆の祟りかも。クソッ、あのババアめ!!)

 父はそこそこの会社の重役を勤めていたので蓄えや保険金が充分あり、特に問題なく八寿彦は専門学校を卒業する事が出来た。


 初めての職場は、もろに体育会系で先輩や上司の言う事には絶対服従だった。調理作業に携わる事は許されず、来る日も掃除と洗い物ばかり。

 愚痴ると母が職場に電話を入れた。

「うちの息子は清掃員になる為に、調理師の学校に通った訳ではありません!」

 翌日、八寿彦はそこを辞めた。


「何処の職場も、やっくんの良さを正当に評価してくれないわね!」

 ハローワークから紹介された所や、知人から紹介された職場に行ってみても、碌な仕事をさせて貰えず、母は憤慨した。

 パティシエなのに和食の盛り付けをさせられたり、予め手順の決まっているフルーツ盛りしかさせて貰えなかったり、何故かレジ打ちと接客までさせられたり。

「どうして、息子のやりたい事をさせてもらえないのですか?」

「黒石くんのお母さん、うちは客商売なので、従業員よりもお客さん優先なんですよ」

 母が幾度も上司と話し合いをするも、待遇は改善されず、終いには解雇を言い渡される始末。


 労基署に相談するが、職員には嘲笑された。

「あのねえ、世の中は下働きが必要な職場もあるの。大きい仕事任せて貰うには、小さい仕事を確実に積み重ねて、信用を得ないとダメなんだよ」

 母はその言い草に激怒し、弁護士を立ててその職員と職場を相手に『名誉棄損』や『待遇改善』の訴訟を起こそうとしたが、見かねた知人が助言した。

「いい職場が無いなら、自分で起業したらいいんだよ」

 目から鱗の発想に、母と八寿彦は喜んだ。

「それなら自分のやりたい事も出来る!」

 2人は亡父の蓄えを元手に、起業を試みた。資金を稼ぐため、八寿彦は足しにしようと下働きも我慢して働いた。


 そこで八寿彦はある出会いをした。同じ職場で働く、調理師の女性だ。

(なんて容姿も性格も美しく、手際よく美味しそうな料理を作る女性なんだ…!この人に僕の店で働いて貰いたい!)

 それは、八寿彦にとって初めての恋だった。


「大谷さん、アイス買って来たので食べませんか?」

 職場に好きな人が居るだけで、毎日の仕事を頑張れた。八寿彦は仕事の合間にアプローチを続けた。

 連絡先を聞き出して休日にメールをせっせと送り、よく好物を差し入れたり、誕生日にハンドバッグを贈った。

「黒石さん、いつも貰ってばかりで悪いから、物を贈るのはもうやめて」

「いいんですよ、お気に召さなかったなら、違う物にしますから!」


 仕事中のアプローチは職場の上司の目にも余るものがあり、注意を受けた。

 母に相談すると、こう言った。

「未来のお嫁さんの為なら、母さん頑張るから!」

 母は勤め先の本社に電話し、彼女の親族を語り住所を聞き出すと、彼女の自宅前で待ち伏せた。

 帰宅した彼女にこう言った。

「どうも初めまして、黒石八寿彦の母でございます。この度は息子の事をお願いに参りました。どうかあの子と、結婚を前提とした交際をしてくれませんか?」

 そして2人は『ストーカー規制法』に引っ掛かり、警察から厳重注意を受けた。


「あの女はその気がないのに、息子が働いて得たお金で物を沢山貢がせた!」

 母と共に弁護士を立て、訴訟を起こした時だ。母の癌が判明した。

 癌は脳に転移し、母は早い段階で意思疎通も身体の自由も利かなくなった。


 幼い頃から都合の悪い事を親任せにしていた八寿彦は、弁護士との協議も上手く行くわけなく、裁判で負けた。
 『ストーカー』の烙印を押された八寿彦は、彼女への接近禁止命令だけでなく、職をも失った。


 治療の甲斐なく、母は病死した。両親の遺産は裁判費用と治療費に9割消え、実家の維持も出来なくなり、手放す事となった。

 起業どころではなくなった。

(でもさ、考えようによっては、小さいころ好きだったマンガの主人公と同じになった訳だ。親も無く、その日暮らし。失う物も無いし、気楽じゃないか!)

 自分は何てポジティブで強いんだろう。八寿彦は、考え方を切り替える事にした。


 心機一転の引っ越し間もなく、交通事故の現場に出くわした。
 老人をはねてしまい、動かない彼を前にドライバーの中年女性はパニックを起こして、どうしていいか分からない。
 喚き声をBGMに、八寿彦はテクテク歩く。

(あーあ、可哀想に。でも、はねた人が悪いから、自分でどうにかしようね?俺も自分で自分の事、どうにかしてるからさ)


 ひったくりの現場にでくわしたが、通報も追跡もしなかった。

(ボランティアも慈善団体もさ、余裕のある人がやるもんじゃん?俺は、余裕が無いからやらないの。やらないっていうか、出来ないんだよ)


 仕事中、店内に忘れ物をした客が、血相を変えてやって来た。腕時計で息子の形見だと言う。
 閉店後の掃除中に見つけたが、知らんぷりして他のゴミと共に袋に詰めて捨てた。

(そもそも、そんな失くしたら困るもの持ち歩かなきゃいい)


 コンビニに寄った帰り、空き家から煙が上がっているのを見つけたが、足すら止めずに通り過ぎた。

(人から感謝された事ないから、感謝して欲しいとは思わない。でも、それいいじゃん。逆に感謝しないのに感謝されたいってクズも居るんだよ。俺はいい方だよ)


 仕事中の店内で、客同士の揉め事があり、暴力を振るわれた客がケガをした。
 丁度その時、男性従業員が八寿彦しか居なかったが、『気づかず急な買い出しに行った振り』をして店舗を抜け出した。

(逆恨みされたらたまんないし。何よりしんどい、面倒臭い。やらないといけない理由ってある?別にお金貰える訳でもないでしょ?)


 休日。買い物に行ったスーパーで、『4月は創業記念月間です』との告知を見つけた。


 ちょうど来月41になろうとしている八寿彦は、ふと父親が同じ年の頃はどうだったか、と回想した。
 郊外だが都内に庭付き一戸建てを買い、中学生の自分が居た。そもそも父親は六大学卒で、大手に勤めていた。
 時代も住む土地も違うが、実の親と比べてもここまでの差がある。


(世の中って不公平だよな。だから誰かに何かしてやりたいって気持ち、失せるんだよ)

 人生1度きりだし。自分さえ良ければそれでいい。他人の事なんて、どうでもいい。

 スーパーを出て八寿彦は空を見上げた。

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