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横田七海1 ※NTR表現あり
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羽井七海の1番古い記憶は、1冊の絵本だった。
題名は忘れたが美しい挿絵の本で、主人公の少女は最後に白いウエディングドレス姿になっていた。
差し詰め、シンデレラか白雪姫だろう。
七海が本物の花嫁を見たのは、幼稚園の頃の叔母の結婚式だった。普段化粧をあまりしない叔母が、お姫様の様に綺麗になっていて、感動した。
それ以来、『大きくなったら何になりたい?』と訊かれると、迷わず『お嫁さん!』と答えるようになっていた。
純白のウエディングドレスには、とてつもない魔力があったのだ。
成長した七海に、次なる『花嫁』熱が巡ってきたのは、高校生の時。
「恭子が学校辞めるってマジ?」
七海が聞き返すと、友人は携帯電話を弄りつつ答えた。
「何かねぇ、妊娠したらしいよ」
高校を辞めた友人は、社会人の彼氏と入籍し出産。子供が生後6か月の時に、家族3人で揃いの純白衣裳を着て、結婚写真を撮った。
(結婚可能年齢になってすぐの結婚なんて、羨ましい!)
高2の時、ナンパで知り合った大学生と交際を始めた。イケメンで、七海に『愛してる』『将来結婚したいね』と、何度も言ってくれた。
プリクラにも同じメッセージを書いたし、デートを重ねキスもしてペアリングを付けたけど、『学校の単位がヤバい』との理由で、振られた。
(彼女より単位を選ぶのね…)
元カレを見返すためには、どうしたらいいだろう?
ダイエット、メイク、ボディタッチ、駆け引き、服装…。女子高生は制服を着てる内はモテモテだけど、卒業してからは今一つと聞いた。
(男にモテる仕事に就こう!)
そこで七海は看護師を志した。そして。
看護学校に入学して、3か月後。同級生の男子:将人と交際が始まった。
将人は元カレに比べ地味だが、クールそうに見えて根は優しく、実習などで忙しい最中も、時間を見つけては逢瀬を重ねてくれた。
実習が辛いと、時に涙すると支えてくれて、試験勉強は励ましあって取り組んだ。
(支えあい、励ましあうなんて、夫婦みたい。これはきっと結婚、あるかも)
3年間の課程を修了した2人は、無事に看護師となった。だが。
「看護師になったからには、無医村に行って人の命を救う手伝いをしたい」
僻地医療に目覚めた将人は、七海を置いて行った。
(そんなの籍入れてからでも遅くないでしょうに!)
本格的な仕事が始まると、忙殺される日が続いた。
(出会いも無いし、このままでは高齢独身の先輩みたいになってしまう…!)
一念発起して、合コンに参加すると、『看護師』という肩書だけでモテモテだった。
(所詮、男は制服に弱いのね。ちょろいもんだ)
幾度目かの合コンで亘と出会った。1つ年下の亘は、甘え上手で人懐っこく、お洒落でちょっと童顔な流行りのアイドルを彷彿させた。
自分には手が届かない、と思った七海だが、亘の方から口説かれ交際が始まった。
周囲から『随分とイイ男捕まえたね!』『羨ましい』と言われ、七海はまんざらでもなかった。
一緒に居るだけで楽しく、仕事の疲れも悩みも吹っ飛んだ。
(相性も良く、周囲からも羨ましがられる…。この人と結婚するのもいいな)
あれから…。
「そう言えば、3階の病棟ナース、デキ婚なんですって」
夜勤中に後輩が口を尖らせた。
「あー、同期だっけ?」
「何かまだ25なのに、行き遅れた気分っすよ~」
後輩はジト目で言った。
「先輩彼氏居るからいいじゃないっすか。自分相手すら居ないし~」
「大丈夫よ、まだ若いんだし。じゃあ巡回行ってきまーす」
あれから6年。亘とは惰性で続いていた。プロポーズは勿論なく、今となっては異性としてのドキドキすらも感じない。
別れて他の彼氏を探すのも考えたが、七海は既に29歳になっていた。
(ここで亘と別れても、次の彼氏が出来なかったら、一生独身かも…)
僅かでも結婚の可能性があるなら、その可能性を捨てたくない。七海は『沼』に陥っていた。
勿論ここに至るまで、七海は何もしてなかった訳では無い。
結婚情報誌を亘の目に付く所に置いたり(上に上着を置かれた)、デート時には屋外ウエディングの見える店に行ったり(携帯のゲームをタイミングよく始められた)、携帯の待ち受け画面を生まれたばかりの甥や姪に設定したり(ノーリアクション)、血の滲む努力を人一倍やっていた。
親から結婚を急かされ、先行き不安で喧嘩して、亘と険悪になった事も沢山ある。
そしてとうとう先日、最後通告を受けた。
「俺は俺なりに考えてるの! それが嫌なら、もう次の喧嘩で終わりにしようや」
それから、七海は亘の機嫌を損ねないよう、窺う毎日が続いている。最近ではそれをいい事に、亘はキャバクラへ堂々と行くようになっていた。
『俺と結婚したいなら、耐えろ』
無言の圧に耐える、こんな日々が果たして幸せな結婚に繋がるのか?さっきまで読んでいた雑誌の、結婚相談所の広告が頭をよぎる。
(結婚相談所、今は使いたくない。あそこは手遅れになってから行くものだ。でも…?)
病棟巡回から戻ってすぐ、救急搬送の患者が到着した。
「42歳男性、自宅で転倒し、頭部打撲、一時意識消失。糖尿病の持病ありです」
患者は既に意識が回復していたが、念のため頭部CTを行う。
「…あれ?あの患者さん」
検査室に向かう患者を見た、当直医が目を丸くする。
「お知り合いですか?」
「医師会の集会で行った、マークホワイトの支配人だ」
ホテルマークホワイトは、県内でも5本指に入る老舗旅館の新館だ。
親会社である老舗旅館が山沿いの温泉地に立地しているのに対し、新館は再開発で海浜リゾート化された区画に3年前、『リゾートホテル』として建てられた。
地中海風デザインの洒落た外観で宿泊は勿論、前述の県医師会などの企業・団体の集会や『小綺麗さの必要な』イベント(婚活パーティーや芸能人のディナーショーなど)に使われる、最近有名なホテルである。
「あら、玉の輿チャンス?」
七海が軽口を叩くと、後輩は首を振った。
「奥さん、救急車に乗ってましたやん…」
患者:横田慎平は、2年前から糖尿病を患っていた。自宅での転倒は低血糖症状によるもので、転倒の際に頭部を打ち軽い打撲を負った。
頭の怪我は大した事なかったが、糖尿病の管理指導も兼ねて、数日入院する事になった。
「団体旅行の繁忙期でね。注射のタイミングとか、うっかり逃しちゃって…」
バツが悪そうに慎平がそう言うと、妻も口を尖らせた。
「注射のタイミングに合わせて、抜けられるようにしてるのに、どうしても自分で接客しようとするんですよ」
持病の管理指導には、同じ病の患者を受け持った経験のある七海が、担当看護師として就く事になった。
「あれ? このぬいぐるみ…」
慎平のベッドの脇には、とあるゲームのキャラクターのぬいぐるみが置かれていた。
妻が口を添える。
「この人、ゲームが好きで、そのキャラクターのやつ。いい年の大人なのにね」
七海は笑った。
「私もこのゲームのキャラクター好きなんですよ。『暗黒楽団』の『ダット』ですよね?」
「看護師さん、詳しいんですね!」
七海の言葉に、慎平は喜んだ。
共通の趣味があるからか、慎平と七海は入院中によく話した。ゲームの裏技、生い立ち、身の上話にまで及んだ。
「奥さんとは高校生時代からの付き合いでね。ずっと付き合って、大学を出てすぐに結婚したんだ」
「いいですね、純愛って感じで」
「ただ1つ問題があるとしたら、子供の事かな。10年以上治療してるのに、授かれなくてね。俺も病気しちゃったし…。
だから、子供連れのお客さん見ると、どうしても自分で接客したくなっちゃって」
「そうだったんですね…」
その時の慎平は、とても悲しそうな顔をしていた。
退院前日、2人はゲーム内専用の連絡先を交換した。その時点の七海は、慎平に特別な感情は無かった。
慎平とは、それからたまにゲームでチャットをやりとりするようになった。年齢の離れたゲーム友達、という感じだった。
時に、ゲームよりチャットに夢中になる事も多かった。
『奥さんからゲーム禁止令が出て、隠れてこっそりプレイしてる』
『あはは!小学生みたいW』
そんなさなか、ある出来事が起こった。
「櫛田さんが、来月結婚する事になりました」
朝のミーティングで、後輩の結婚報告を受けた。妊娠中でもあるという。
「何よ、相手居ないって言ってたくせに!」
七海が笑って言うと、後輩は照れ笑いした。
「いやほんと、あの時は居なかったんですけど、学生時代の同級生と再会しましてね…。
何があるか分からないっすね、人生」
仕事が終わり、帰宅した七海は猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。
(もう、無理。一刻も早く何とかしたい!!)
その夜、七海はゲームを起動すると、慎平にメッセージを送った。
『来月、ゲーム友達の子とオフ会するんですけど、一緒にいかがですか?暗楽って学生プレイヤーが多いから、横田さんみたいな大人プレイヤーのお話、みんな聞きたがってるんです』
『えー、俺みたいなおじさんの話、需要無くない?』
仕事の傍らにしては、慎平からの返信は早かった。と言うより、慎平がゲームを越えて七海に好意を持っている事に、七海は気づいていたのだ。
チャットでの身の上話は、顔が見えないからか、かなり踏み込んだ話をする事が多かった。
『不妊治療ってさ、男も女も辛いものがあるんだよね。色気もムードも無しで、医者から何日までに何回致して下さいって指示されるんだよ』
『奥さんは本心どう思ってるか分からないけど、俺は種馬にされてる気がして、嫌だ』
『でも、俺の両親は孫への期待が強いの。治療いつまで続くんだろう?これまでの人生の半分近くかけて成果無いなんて、俺の人生に意味あるのか?なんて思うんだよね』
通常の精神状態なら、一回り上の男からこんな話をされたら、医療関係者である七海でも『キモがって』慎平を避けただろう。
だが七海は、考えられないほど『結婚』に病んでいた。
オフ会に慎平は二つ返事で参加した。
実際のゲーム友達数名(地元の男友達、勤務先の同期検査技師など七海の顔見知り)と共に、ゲーム談議に花を咲かせた。
「いやあ、こんなにいっぱいゲームの話出来たの、何年ぶりかな~」
慎平はとても楽しそうに笑っていた。七海は眠そうに目を細めた。
「あー、ヤバい。呑み過ぎたわ~」
フラフラと立ち上がると、トイレに行くふりをした。時間を潰し、頃合いを見て席に戻ると、慎平は壁にもたれていた。
ゲーム友達が七海を呼び止める。
「吞み過ぎちゃったかな、横田さんウトウトしかかってるし」
「楽しかったからね、仕方ないよ。タクシーで家に送るから」
七海はそう提案すると、ゲーム友達に手伝ってもらい、慎平をタクシーに乗せた。
同乗した七海は運転手に行き先を告げると、慎平の口に少量のブドウ糖を含ませた。
七海は慎平の飲み物に、持病の薬と飲み合わせると低血糖を起こす薬を混入させていた。
(予約したホテルの部屋までもつように調整しないと…)
こうして七海は朦朧状態の慎平をホテルの部屋に運び、一夜を明かした。
男女の関係は持ってないが、一糸も纏わぬ姿で2人が寝ているのに気づいた慎平は、思惑通り『一線を越えた』と思ったらしい。
「本当に、何と言っていいやら…。ごめん、こんな事に」
「謝らないで下さい。私、とても嬉しかったんです。…あなたと、こうなれて」
七海は慎平の背中にそっと抱き着いた。
「…でも、私の事はもう忘れて下さい。私も、忘れますから」
(敢えて距離を置く。『忘れろ』と言う。そして…)
連絡を絶ち約1か月。七海は、慎平のホテルで開催されるイベントに参加した。
(偶然を装って再会して…)
こちらから動く間もなく慎平の方から、七海の前に現れた。七海は他の人間に聞こえないよう、慎平に言った。
「…ごめんなさい。自分から言ったくせに、どうしても会いたくなって」
(自分からにじり寄る。こんな子供騙しみたいな事で…)
夜、ゲームを起動させると、1件のメッセージ。
『僕は、君の事を一人の男として、真剣に愛している』
(年上でも恋愛経験が少なければ、すぐ釣れる。男って、そもそも単純な生き物だから)
2度目の逢瀬で、身体を許した。
嫌悪感は無かった。慎平は40代にしては若々しく悪くない顔立ちだったし、性的な魅力もある。
亘とは『レス状態』だったから、欲の処理も欲しかったのだ。
「妻に離婚を切り出した。好きな人が居るって」
「え」
思ったより早かった。慎平は七海を堅く抱きしめた。
「残りの人生、君と一緒に過ごしたいんだ」
最初は応じなかった妻だが、2か月後に七海の妊娠が判明すると、あっさり離婚に踏み切った。
膠着状態だった亘には、慎平の事を明かさぬまま『好きな人が出来たから、別れて欲しい』とメールすると、『それでは、お幸せに』と簡素な返信があり、それきりだった。
『結婚』にうるさかった両親には、『略奪』の事は伏せて『結婚歴のある人』と言い慎平を紹介した。
慎平の両親は七海の妊娠を喜んでくれた。世間体や元妻への配慮で、親族を招いた一般的な挙式をする事だけ許可しなかった。
そこで、七海は慎平と新婚旅行も兼ねて、沖縄で2人だけの結婚式を行なった。
(親族や友達を沢山呼んで、皆に見せつける往年の『披露宴』もいいけど、最近は『写真だけ』とか『2人だけ』の簡素スタイルも多いし。…夢が、やっと叶ったわ)
七海は純白のドレスに身を包み、微笑んで結婚写真に納まった。
題名は忘れたが美しい挿絵の本で、主人公の少女は最後に白いウエディングドレス姿になっていた。
差し詰め、シンデレラか白雪姫だろう。
七海が本物の花嫁を見たのは、幼稚園の頃の叔母の結婚式だった。普段化粧をあまりしない叔母が、お姫様の様に綺麗になっていて、感動した。
それ以来、『大きくなったら何になりたい?』と訊かれると、迷わず『お嫁さん!』と答えるようになっていた。
純白のウエディングドレスには、とてつもない魔力があったのだ。
成長した七海に、次なる『花嫁』熱が巡ってきたのは、高校生の時。
「恭子が学校辞めるってマジ?」
七海が聞き返すと、友人は携帯電話を弄りつつ答えた。
「何かねぇ、妊娠したらしいよ」
高校を辞めた友人は、社会人の彼氏と入籍し出産。子供が生後6か月の時に、家族3人で揃いの純白衣裳を着て、結婚写真を撮った。
(結婚可能年齢になってすぐの結婚なんて、羨ましい!)
高2の時、ナンパで知り合った大学生と交際を始めた。イケメンで、七海に『愛してる』『将来結婚したいね』と、何度も言ってくれた。
プリクラにも同じメッセージを書いたし、デートを重ねキスもしてペアリングを付けたけど、『学校の単位がヤバい』との理由で、振られた。
(彼女より単位を選ぶのね…)
元カレを見返すためには、どうしたらいいだろう?
ダイエット、メイク、ボディタッチ、駆け引き、服装…。女子高生は制服を着てる内はモテモテだけど、卒業してからは今一つと聞いた。
(男にモテる仕事に就こう!)
そこで七海は看護師を志した。そして。
看護学校に入学して、3か月後。同級生の男子:将人と交際が始まった。
将人は元カレに比べ地味だが、クールそうに見えて根は優しく、実習などで忙しい最中も、時間を見つけては逢瀬を重ねてくれた。
実習が辛いと、時に涙すると支えてくれて、試験勉強は励ましあって取り組んだ。
(支えあい、励ましあうなんて、夫婦みたい。これはきっと結婚、あるかも)
3年間の課程を修了した2人は、無事に看護師となった。だが。
「看護師になったからには、無医村に行って人の命を救う手伝いをしたい」
僻地医療に目覚めた将人は、七海を置いて行った。
(そんなの籍入れてからでも遅くないでしょうに!)
本格的な仕事が始まると、忙殺される日が続いた。
(出会いも無いし、このままでは高齢独身の先輩みたいになってしまう…!)
一念発起して、合コンに参加すると、『看護師』という肩書だけでモテモテだった。
(所詮、男は制服に弱いのね。ちょろいもんだ)
幾度目かの合コンで亘と出会った。1つ年下の亘は、甘え上手で人懐っこく、お洒落でちょっと童顔な流行りのアイドルを彷彿させた。
自分には手が届かない、と思った七海だが、亘の方から口説かれ交際が始まった。
周囲から『随分とイイ男捕まえたね!』『羨ましい』と言われ、七海はまんざらでもなかった。
一緒に居るだけで楽しく、仕事の疲れも悩みも吹っ飛んだ。
(相性も良く、周囲からも羨ましがられる…。この人と結婚するのもいいな)
あれから…。
「そう言えば、3階の病棟ナース、デキ婚なんですって」
夜勤中に後輩が口を尖らせた。
「あー、同期だっけ?」
「何かまだ25なのに、行き遅れた気分っすよ~」
後輩はジト目で言った。
「先輩彼氏居るからいいじゃないっすか。自分相手すら居ないし~」
「大丈夫よ、まだ若いんだし。じゃあ巡回行ってきまーす」
あれから6年。亘とは惰性で続いていた。プロポーズは勿論なく、今となっては異性としてのドキドキすらも感じない。
別れて他の彼氏を探すのも考えたが、七海は既に29歳になっていた。
(ここで亘と別れても、次の彼氏が出来なかったら、一生独身かも…)
僅かでも結婚の可能性があるなら、その可能性を捨てたくない。七海は『沼』に陥っていた。
勿論ここに至るまで、七海は何もしてなかった訳では無い。
結婚情報誌を亘の目に付く所に置いたり(上に上着を置かれた)、デート時には屋外ウエディングの見える店に行ったり(携帯のゲームをタイミングよく始められた)、携帯の待ち受け画面を生まれたばかりの甥や姪に設定したり(ノーリアクション)、血の滲む努力を人一倍やっていた。
親から結婚を急かされ、先行き不安で喧嘩して、亘と険悪になった事も沢山ある。
そしてとうとう先日、最後通告を受けた。
「俺は俺なりに考えてるの! それが嫌なら、もう次の喧嘩で終わりにしようや」
それから、七海は亘の機嫌を損ねないよう、窺う毎日が続いている。最近ではそれをいい事に、亘はキャバクラへ堂々と行くようになっていた。
『俺と結婚したいなら、耐えろ』
無言の圧に耐える、こんな日々が果たして幸せな結婚に繋がるのか?さっきまで読んでいた雑誌の、結婚相談所の広告が頭をよぎる。
(結婚相談所、今は使いたくない。あそこは手遅れになってから行くものだ。でも…?)
病棟巡回から戻ってすぐ、救急搬送の患者が到着した。
「42歳男性、自宅で転倒し、頭部打撲、一時意識消失。糖尿病の持病ありです」
患者は既に意識が回復していたが、念のため頭部CTを行う。
「…あれ?あの患者さん」
検査室に向かう患者を見た、当直医が目を丸くする。
「お知り合いですか?」
「医師会の集会で行った、マークホワイトの支配人だ」
ホテルマークホワイトは、県内でも5本指に入る老舗旅館の新館だ。
親会社である老舗旅館が山沿いの温泉地に立地しているのに対し、新館は再開発で海浜リゾート化された区画に3年前、『リゾートホテル』として建てられた。
地中海風デザインの洒落た外観で宿泊は勿論、前述の県医師会などの企業・団体の集会や『小綺麗さの必要な』イベント(婚活パーティーや芸能人のディナーショーなど)に使われる、最近有名なホテルである。
「あら、玉の輿チャンス?」
七海が軽口を叩くと、後輩は首を振った。
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「団体旅行の繁忙期でね。注射のタイミングとか、うっかり逃しちゃって…」
バツが悪そうに慎平がそう言うと、妻も口を尖らせた。
「注射のタイミングに合わせて、抜けられるようにしてるのに、どうしても自分で接客しようとするんですよ」
持病の管理指導には、同じ病の患者を受け持った経験のある七海が、担当看護師として就く事になった。
「あれ? このぬいぐるみ…」
慎平のベッドの脇には、とあるゲームのキャラクターのぬいぐるみが置かれていた。
妻が口を添える。
「この人、ゲームが好きで、そのキャラクターのやつ。いい年の大人なのにね」
七海は笑った。
「私もこのゲームのキャラクター好きなんですよ。『暗黒楽団』の『ダット』ですよね?」
「看護師さん、詳しいんですね!」
七海の言葉に、慎平は喜んだ。
共通の趣味があるからか、慎平と七海は入院中によく話した。ゲームの裏技、生い立ち、身の上話にまで及んだ。
「奥さんとは高校生時代からの付き合いでね。ずっと付き合って、大学を出てすぐに結婚したんだ」
「いいですね、純愛って感じで」
「ただ1つ問題があるとしたら、子供の事かな。10年以上治療してるのに、授かれなくてね。俺も病気しちゃったし…。
だから、子供連れのお客さん見ると、どうしても自分で接客したくなっちゃって」
「そうだったんですね…」
その時の慎平は、とても悲しそうな顔をしていた。
退院前日、2人はゲーム内専用の連絡先を交換した。その時点の七海は、慎平に特別な感情は無かった。
慎平とは、それからたまにゲームでチャットをやりとりするようになった。年齢の離れたゲーム友達、という感じだった。
時に、ゲームよりチャットに夢中になる事も多かった。
『奥さんからゲーム禁止令が出て、隠れてこっそりプレイしてる』
『あはは!小学生みたいW』
そんなさなか、ある出来事が起こった。
「櫛田さんが、来月結婚する事になりました」
朝のミーティングで、後輩の結婚報告を受けた。妊娠中でもあるという。
「何よ、相手居ないって言ってたくせに!」
七海が笑って言うと、後輩は照れ笑いした。
「いやほんと、あの時は居なかったんですけど、学生時代の同級生と再会しましてね…。
何があるか分からないっすね、人生」
仕事が終わり、帰宅した七海は猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。
(もう、無理。一刻も早く何とかしたい!!)
その夜、七海はゲームを起動すると、慎平にメッセージを送った。
『来月、ゲーム友達の子とオフ会するんですけど、一緒にいかがですか?暗楽って学生プレイヤーが多いから、横田さんみたいな大人プレイヤーのお話、みんな聞きたがってるんです』
『えー、俺みたいなおじさんの話、需要無くない?』
仕事の傍らにしては、慎平からの返信は早かった。と言うより、慎平がゲームを越えて七海に好意を持っている事に、七海は気づいていたのだ。
チャットでの身の上話は、顔が見えないからか、かなり踏み込んだ話をする事が多かった。
『不妊治療ってさ、男も女も辛いものがあるんだよね。色気もムードも無しで、医者から何日までに何回致して下さいって指示されるんだよ』
『奥さんは本心どう思ってるか分からないけど、俺は種馬にされてる気がして、嫌だ』
『でも、俺の両親は孫への期待が強いの。治療いつまで続くんだろう?これまでの人生の半分近くかけて成果無いなんて、俺の人生に意味あるのか?なんて思うんだよね』
通常の精神状態なら、一回り上の男からこんな話をされたら、医療関係者である七海でも『キモがって』慎平を避けただろう。
だが七海は、考えられないほど『結婚』に病んでいた。
オフ会に慎平は二つ返事で参加した。
実際のゲーム友達数名(地元の男友達、勤務先の同期検査技師など七海の顔見知り)と共に、ゲーム談議に花を咲かせた。
「いやあ、こんなにいっぱいゲームの話出来たの、何年ぶりかな~」
慎平はとても楽しそうに笑っていた。七海は眠そうに目を細めた。
「あー、ヤバい。呑み過ぎたわ~」
フラフラと立ち上がると、トイレに行くふりをした。時間を潰し、頃合いを見て席に戻ると、慎平は壁にもたれていた。
ゲーム友達が七海を呼び止める。
「吞み過ぎちゃったかな、横田さんウトウトしかかってるし」
「楽しかったからね、仕方ないよ。タクシーで家に送るから」
七海はそう提案すると、ゲーム友達に手伝ってもらい、慎平をタクシーに乗せた。
同乗した七海は運転手に行き先を告げると、慎平の口に少量のブドウ糖を含ませた。
七海は慎平の飲み物に、持病の薬と飲み合わせると低血糖を起こす薬を混入させていた。
(予約したホテルの部屋までもつように調整しないと…)
こうして七海は朦朧状態の慎平をホテルの部屋に運び、一夜を明かした。
男女の関係は持ってないが、一糸も纏わぬ姿で2人が寝ているのに気づいた慎平は、思惑通り『一線を越えた』と思ったらしい。
「本当に、何と言っていいやら…。ごめん、こんな事に」
「謝らないで下さい。私、とても嬉しかったんです。…あなたと、こうなれて」
七海は慎平の背中にそっと抱き着いた。
「…でも、私の事はもう忘れて下さい。私も、忘れますから」
(敢えて距離を置く。『忘れろ』と言う。そして…)
連絡を絶ち約1か月。七海は、慎平のホテルで開催されるイベントに参加した。
(偶然を装って再会して…)
こちらから動く間もなく慎平の方から、七海の前に現れた。七海は他の人間に聞こえないよう、慎平に言った。
「…ごめんなさい。自分から言ったくせに、どうしても会いたくなって」
(自分からにじり寄る。こんな子供騙しみたいな事で…)
夜、ゲームを起動させると、1件のメッセージ。
『僕は、君の事を一人の男として、真剣に愛している』
(年上でも恋愛経験が少なければ、すぐ釣れる。男って、そもそも単純な生き物だから)
2度目の逢瀬で、身体を許した。
嫌悪感は無かった。慎平は40代にしては若々しく悪くない顔立ちだったし、性的な魅力もある。
亘とは『レス状態』だったから、欲の処理も欲しかったのだ。
「妻に離婚を切り出した。好きな人が居るって」
「え」
思ったより早かった。慎平は七海を堅く抱きしめた。
「残りの人生、君と一緒に過ごしたいんだ」
最初は応じなかった妻だが、2か月後に七海の妊娠が判明すると、あっさり離婚に踏み切った。
膠着状態だった亘には、慎平の事を明かさぬまま『好きな人が出来たから、別れて欲しい』とメールすると、『それでは、お幸せに』と簡素な返信があり、それきりだった。
『結婚』にうるさかった両親には、『略奪』の事は伏せて『結婚歴のある人』と言い慎平を紹介した。
慎平の両親は七海の妊娠を喜んでくれた。世間体や元妻への配慮で、親族を招いた一般的な挙式をする事だけ許可しなかった。
そこで、七海は慎平と新婚旅行も兼ねて、沖縄で2人だけの結婚式を行なった。
(親族や友達を沢山呼んで、皆に見せつける往年の『披露宴』もいいけど、最近は『写真だけ』とか『2人だけ』の簡素スタイルも多いし。…夢が、やっと叶ったわ)
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父の転勤で宮下家はある田舎へ引っ越すことになった。見知らぬ土地で不安に思う中、町民は皆家族を快く出迎えた。常に心配してくれ、時には家を訪ねてくれる。通常より安く手に入った一軒家、いつも笑顔で対応してくれる町民たち、父の正志は幸運なくじを引き当てたと思った。
しかし、家では奇妙なことが起こり始める。後々考えてみれば、それは引っ越し初日から始まっていた。
親切なのに、絶対家の中には入ってこない町民たち。その間で定期的に回されている謎の巾着袋。何が原因なのか、それは思いもよらない場所から見つかった。
我ガ奇ナル日常譚 〜夢とリアルと日々ホラー〜
羽瀬川璃紗
ホラー
不可解以上心霊体験未満の、ちょっと不思議な出来事のお話。
オカルト好きな家族に囲まれ育った、作者のホラーエッセイ。
実話のため一部フィクション、登場人物・団体名は全て仮名です。
霊的な夢ネタ多し。時系列バラバラです。注意事項はタイトル欄に併記。
…自己責任で、お読みください。
25年3月限定で毎週金曜22時更新予定。
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糠味噌の唄
猫枕
ホラー
昭和60年の春、小6の町子は学校が終わって帰宅した。
家には誰もいない。
お腹を空かせた町子は台所を漁るが、おやつも何もない。
あるのは余った冷やご飯だけ。
ぬか漬けでもオカズに食べようかと流し台の下から糠床の入った壺をヨイコラショと取り出して。
かき回すと妙な物体が手に当たる。
引っ張り出すとそれは人間の手首から先だった。
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