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第3章 好意。

6 誤解。

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『シャルロット様』

『メナート、敬称は不要だ、どうしたんだ』

 惹かれてはいけない、そう思えば思う程、自覚すればする程に目が離せなくなってしまう。
 それは禁足地とされる水源でも、神の領域とされる神域だとしても、懸想すら禁じられた相手でも。

 それらに触れてはならない。
 時に語る事を禁じられても、人は関心を抱いてしまう。

 それが例えどんなに乾いていても。
 己が身があまりにも汚れていると知っているなら、知っていればいる程、美しい水場の使用は避けるべき。

 鳥ならば何も考えずに水浴びをし、その水で渇きを癒すだろう。
 でも私は鳥では無い、だから水場を汚すとなれば近寄るべきでは無い、その水場は絶対に避けるべき。

 しかも、その水場に嫌悪されていたなら。
 水場が濁ってしまうなら、その水場から離れるべき。

 なのに。

『私は、知るべきだとは思いませんか、どうしてアナタに嫌悪されていたのか』

『いや、元は誤解だと言ったろう、幼稚で稚拙な思い違いが発端だ』
『シリル様が敢えて気付かないフリをしていた、とは思わないんですか、シャルロット嬢』

 シリル様は以前の私の意向を汲み、敢えて誤解を解かなかった。

 だとすれば、それは誰の為なのか。
 最も利が多い解答は何か。

『私と君の為だろうな、まさに水と油、混ざり合う必要も無いと判断しての事だろう』
『それが今でも継続し続けているんです、私の記憶が無くなった状態でも、どうやら以前の私の意向が尊重されている』

『だとして、何が問題なんだろうか』

『私は、記憶を失いたかったのでしょうか』

 将来について考えろと与えられた時間の中、どうしても私は小骨が何処かに刺さっているかの様な居心地の悪さを感じ、何をすべきなのか考える事に集中が出来なかった。
 そして直ぐに将来について考える事を止め、自身の問題について目を向け、1つの疑問に辿り着いた。

 以前の私を最も良く知るシリル様が、積極的に記憶を取り戻させようとしない。
 その理由は何なのか。

 その答えはとても簡単に思い付いてしまった。
 法と秩序さえ守っていれば、彼は身近な者に対し十分に思い遣りを示してくれるらしい。

 ならコレは、私の意向を尊重しての事。

 けれど、それは以前の私。
 今の私は知りたい、どうして嫌悪されていたのか、どうして記憶を失いたかったのか。

『それも、私が言った通り、生まれ変わって出直せと言ったからだよ』

 自嘲を含んだ冗談交じりの物言いに、棘は微塵も感じられない。

 彼女から嫌悪を向けられた事は1度も無い。
 今の今でも、ずっと。

 それこそ嫌悪を向けるべき筈のクラルティ嬢にすらも、嫌悪を向けなかった彼女が。
 私を長年にわたり嫌悪していた彼女が。

『またアナタに嫌悪されても構いません、教えてくれませんか』

 大して関わりが無い、それなのに嫌悪されていた。
 だからこそ、少し粘れば教えてくれるだろう、と。

『嫌悪する事は愉快な事では無い、出来るなら私は避けたい』

『では、誤解が解けた後、私達は和解していたのでしょうか』

 そうした嫌悪は、物事や事件が切っ掛けになっていただけなのかも知れない、と考えていた。

 けれど私はいつも居た場所、アーチュウと暮らす家に戻り尋ねて回った。
 誰か友人は居たのか、シャルロット嬢と交流が有ったのか。

 友人は居たが浅く薄い繋がり、シャルロット嬢に至っては私からその名前を初めて聞いた、と。
 同じ近衛の筈が、繋がりが有っても良い筈が。

『和解とは、どう言った事なんだろうか』

『仮にも旧友、幼馴染と言っても差し支えない時間を過ごし、関わる者も重複している。なのにココまで関わりが無いのは』
『それも私の誤解から避けていただけだ、そしてシリル様の配慮に過ぎない、ただそれだけだよ』

『ですが』
『本当に君が気にする必要は何も無い。君が良い人間だったかどうか、そうした事は知らないが、恨みを買わずベルナルド様も気を許してらっしゃる。それで十分だとは思わないか』

『十分かと聞かれたら不十分です、どうしてアナタに嫌われていたのか』
『もしかすれば、君がこのまま成長すれば、私が嫌悪する事は無いかも知れない。仮に、どうなろうとも君が近衛にはならない時点で、関わりは大して無くなる筈。君が気にする理由は無い筈だ、嫌悪すれど私は君の邪魔をした事は無い、そこは心配しないで欲しい』



 体は大人、だからこそメナートは精神的にも落ち着いている。
 そう聞いていたんだが。

 苦痛に顔を歪め、蹲ると。

『メナート』
『凄く嫌です、避けられるのは凄く、傷付きます』

『だが』
『私が良いって言ってるのに、どうして教えてくれないんですか、どうして離れようとするんですか』

 良い年の大人が、蹲り駄々を捏ね、愚図っている。
 あの飄々としたメナートが真剣に怒り、憤りを露わにしている。

『それは、君の記憶の欠けを問題視していないからであって』
『私には問題なんです』

『どう、問題なんだろうか』

 目に涙を浮かべた顔を上げたかと思うと、何かを思い付いた様な表情となり、直ぐに目を逸らした。

『また、嫌われる様な事をしたくないからです』

 どうして昔の私は、メナートを同じ子供なのだと思えなかったんだろうか。
 目の前の彼は幼くも感情に揺さぶられ、憤ったかと思えば恥ずかしそうに話し、自らの考えに困惑している。

 どうして、彼が大人びている等と。
 それは明らかな勘違いだった、本来なら大人がすべき行為を経験しただけの彼を、大人だと思い込んでいたに過ぎない。

 生きた年数はたった1年程度の差だけ、だと言うのに彼を大人扱いしていた。
 全ては、彼が未成年なら忌避すべき行為を経験した事が発端。

 彼には、その道しか明るく照らされていなかった。

『断言は難しいが、法と秩序を重んじてくれたなら、私は君を嫌悪する事は無い筈だ』

 私も幼い頃、出来るなら関わる者全てと穏便な人間関係を築ければ、と思っていた。

 嫌われる事を恐れ、誰からの相談すらも受けていた。
 己の睡眠時間を削る程に。

 だが、それらの行為は間違いだ、と。

『ですけど』

『例え、どうなろうとも君に害が及ぶ事は』
『それでも、なら、どうして誰も思い出させようとしないんですか。誤解で思い違い、それらが片付いたのなら、思い出しても問題は無い筈。なのに、そんなに私は酷い事をしてしまったんですか』

『いや、ただ私には受け入れられなかっただけだ。他の者も、それこそシリル様は理解してらっしゃった、私に理解されずとも君に』
『それが嫌で、不快だから知りたいんです。立場や状況が変わっても、私は私、少しでも何か間違えれば嫌悪されてしまうかも知れない。それが、凄く嫌なんです』

『だとしても、君は君だ、しかもベルナルド様は』
『アーチュウに知られては嫌悪されるかも知れない様な事を、私はしていたんですよね』

『いや、それは』
『記憶が無いとは言えど、既に私は行ってしまっている、既に何かをしてしまった後。だから教えてくれないんですね、過去は変えられない、今は嫌悪が同情心を上回っているに過ぎないだけで』

『それは無い、確かに前のお前とは不仲で、だからこそ同情心は非常に薄いが。今の君に嫌悪は無い、同情より、寧ろ私は悔いている』

『アナタが悔いる様な事は』
『お前とは大して年の差は無い、なのにも関わらず私は君を大人だと思っていた、そしてお前も大人の様に振る舞っていた。童の時は童の如く、こうして成人を迎え今の君を見て、あの時の君も子供だったのだと思い知らされた。当時の君にとって、その道しか先が見えなかったのだろう、なら寧ろ私は手を差し伸べるべきだった』

『私は、そんなに大それた事を』
『いや、神聖であり行われて然るべき事だ、記憶が無いのなら行われなかったと同義で私は構わないと思う。私の事は気にせず、君が思う通りに生きてくれ。例え以前と同じでも、シリル様なら』

『アナタと、アナタの話をしてるんです、どうして、そんなに以前の私はダメですか』

 不安を和らげる事を言っている筈が。
 どうして彼はこんなにも不安げなのだろう。

『君は、何が不安なんだ?』

『アナタに、嫌われる事が』
『今は嫌ってはいないのだし、それこそ嫌われたとしても、どうしてそんなに嫌がるんだ、私に嫌悪される事の何が不安なんだ?』



 真っ直ぐで、純粋で。
 綺麗で。

 そんな人に嫌われるだなんて、本当に、どうして。

 あぁ、だからだ。
 離れたままで居るべきだから、きっと、シリル様もそう判断しての事。

 記憶の事も、何もかも、彼女が理由。
 なら私は、本当に思い出さない方が良いんだろうか。

 それで私は許されるんだろうか。

『私は、忘れて生きて、許されるんでしょうか』
『勿論、シリル様も、私も許す』

 こんなに優しく綺麗に微笑む人に、どうして私は嫌われる様な事をしてしまったんだろう。
 どうして、離れるべきだと思ったのだろう。

 どうして、私は好きにならなかったんだろう。
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