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最終章 深淵
白い闇3
しおりを挟む大きく息を吐き出す。
呼吸が落ち着き頭の中がクリアになった。手にした剣に視線を落とすと、それはやはり間違いなく父の剣。
「一人でこんなのに立ち向かったのか、貴方は」
ふっ、と知らずに笑みが漏れた。
兵士達は歓声を上げることはないが、互いの肩を叩き健闘を讃えている。気が付けばいつの間にか夜が明け、辺りに陽の光が差していた。
「やっぱり、ジークムント様のだったね」
アルベルトが近付き剣を見つめた。
「ああ。……取り返せたな」
母がいなくなる直前まで書いていた日記に、父が死ぬ直前まで使用していた剣。手元に戻って来たのには何か意味があるのだろうか。
その意味は、今は分からなくとも後から分かるのだろう。
グルルルルッ
その時、足元に控えていたオッテが急に立ち上がり森に向かって唸り出した。
「全員警戒。第二小隊、浄化の周囲に散って」
アルベルトが素早く指示を出し兵士達が動き出す。その場の全員がオッテの見つめる森を注視した。
「奴だ」
ザザザザッ
木々が揺れ葉擦れの音を大きく立てて、黒い塊が森から頭上を飛び越え深淵の淵に降り立った。ゆらりと立ち上がるその姿は王国軍の軍服を着た背の高い男。
あちこちに怪我を負い血を流しているが気にした様子はなく、こちらをぼんやりと見つめるその目は白く濁っている。
「剣を」
手にしていた父の剣はアルベルトに渡し、予備の剣を兵士から受け取る。オッテがずっと男に唸り続けている。
そう、この男はもう人ではない。
「閣下!!」
後方からクラウス達の隊が追い付いた。
「お待ち下さい、私が!」
「クラウス、あれはもう魔物だ」
「…っ、分かっています、ですがっ」
クラウスは男に叫んだ。
「大人しく捕まれ、アラン! 命を落とすな! ディアーナを一人にしてどうする!!」
クラウスの言葉に男はピクリと反応した。
「アラン!!」
もう一度男の名を呼ぶと、男はゆるゆると首を振り口元を歪ませた。
「ディアーナ…おれ、の、でぃあ……」
「そうだ! お前の帰りを待ってるだろう!」
「ディアーナはシンダ!!」
男は叫ぶと懐から茶色の瓶を取り出した。
「まだあるのか」
アルベルトがチッと舌打ちをして部下に視線で指示を出す。ジリジリと男を兵士達が取り囲む。
男はブルブルと身体を震わせ怒りを露わにしていたが、やがて大きく呼吸をして、ひたり、とクラウスを見据えた。
「クラウス隊長」
アランと呼ばれた男は凛とした声でクラウスの名を呼び、真っ直ぐクラウスを見つめると白く濁った瞳からひとつ、涙を零した。
「……すみません」
そう言うと手にした瓶の蓋を開け一息に飲み干し、踵を返して深淵へ向けて走り出した。
「不味い、止めろ!!」
アルベルトが叫ぶ。
瞬足のギフトを持つ兵士がすぐに追いかけるが、アランは一気に加速し地面を蹴り上げ高く空を飛び――
――深淵の闇へ、堕ちていった。
「くそっ!!」
深淵の淵まで行き覗き込んだがもう男の姿は見えない。
アルベルトが盛大に悪態をつく。
「アルベルト、何か見えるか」
「ダメだ、深淵の中は何も見えないんだよ」
他の視力の兵士達も深淵を覗くが、やはり何も見えないようだ。
「飲んだのはベアンハートの言っていた副産物だろう」
「あんなもの飲んで深淵に飛び込むなんて、何が起こるか……」
その時、地面に着いていた手にビリビリと振動を感じた。
「なんだ?」
他の兵士達も振動を感じ警戒を強める。振動はどんどん大きくなりやがて大地を揺らす。
「……不味い」
アルベルトが深淵を覗きながら呟いた。
「どうした」
「数が…凄い数だ」
離れた場所で覗いている兵士達も同様に慌て出す。
やがて視力のギフトではない者でも闇から気配だけが感じ取られるようになった。
「クラウス! 指示を出せ! 全員退避!! 防壁の中へ戻れ!!!!」
クラウスが声に指示を出し、その場の兵士全員を退避させる。未だ深淵を覗いているアルベルトを無理矢理立たせた。
「レオニダス、まただ」
アルベルトの瞳は過去を見ている。
「同じだ、あの時と」
「アルベルト!!」
胸ぐらを掴み怒鳴りつける。
「防壁に戻り領民に知らせろ!!」
アルベルトの焦点がゆるゆると戻る。
その時、まるで爆発が起こったように深淵から白い塊が空高く立ち昇り空を覆い尽くした。突風が起こり構えていなければ身体が吹き飛ばされそうだった。
まるで白い粘性の塊のようなそれは内側で強い風と雪が吹き荒れている。身体を傾けたアルベルトの軍服を引っ張り上げ怒鳴った。
「スタンピードだ!!」
お互いの声が届かないほど砦は声の発する警報が響き渡っている。
防壁の各所に声と耳を配置し領地に向け緊急事態を報せ、各小隊に避難を誘導するよう指示を出した。
「アルベルト」
防壁の天端で深淵の森を監視するアルベルトの元に行くと、アルベルトは森ではなく領地の方へ目を向けている。
「何をしている」
「レオニダス、ナガセの元に行かないと」
ドッ と、心臓が鳴った。
「何かあったか」
「違う、でもこの状況は良くないよ」
ギリッと爪を噛み街から目を離さない。
「レオニダスも分かってるでしょ…あの時と一緒だよ」
「アルベルト」
「一緒だ……あの白い塊、あれはラケル様を飲み込んだ塊だ」
「……ナガセは今どこだ」
「オーウェン殿の店を出た。ザイラスブルクの護衛と馬で邸に戻ってる」
「それなら後はヨアキムが避難場所へ誘導するから心配ない。アルベルト、森の監視に戻れ」
「ダメ」
「アルベルト!」
「レオ、僕はもう目を離さないって決めたんだよ。ナガセをラケル様みたいな目には合わせない。僕は絶対にナガセを守る」
「いい加減にしろ! だったら森を監視しろ! 俺たちが守るべきものは他にもあるんだぞ!!」
「取り返しがつかなくなったらどうするんだよ!!」
アルベルトが胸倉を掴む。その手は震えている。
「あの時だってそうだ。僕が目を離さなければあんな事にはならなかった! ラケル様と一緒にいるように言われたのに…!!」
「母は自分の意思で出て行ったんだ、お前のせいではない」
「でも僕は見ているべきだった。ギフトなんて、大切なものを守れなければ意味がない!!」
「そのギフトを使わなければもっと意味がないぞアルベルト。多くの者が命を落とす事もある」
「……ラケル様が助かるなら…それでも良かった…」
「閣下!!」
視力の兵士が声と共に駆けて来た。
「予備の武器の準備が整いました! 各隊、全門から出発可能です!」
「各隊そのまま待機、耳に声を拾うよう指示を出せ。魔物の数は」
「増えていますが、この吹雪で思うように動けないようです!」
「なるほど、奴等にとってもこの吹雪は厄介なもの……吹雪での戦闘はこちらに分があるな」
「……レオニダス、この吹雪は普通の吹雪じゃないよ」
「どう違う」
「この中では視力のギフトは使えない。見えないんだ」
「他のギフトは」
「多分、耳も声もダメだと思う……吸われるんだよ、全て」
アルベルトは俯いていた顔をゆるゆると上げ、深淵の森に視線を移す。深淵から湧き上がった白い塊は吹雪となり、じわじわと防壁に向かって広がって来た。周囲の気温が下がり、雪が舞い散り始めている。
あの吹雪の塊の中に、数千もの魔物が紛れている。
「まるで、白い闇だ」
アルベルトから、白い息が吐き出された。
「各隊に指示、各隊隊列を崩さず最低限の距離を保て。決して広がるな。行動範囲は防壁周辺、深追いは無用。いいか、一匹たりとも防壁を越えさせるな」
「はっ!!」
駆けて行く兵士を見送りアルベルトに向き合う。
「アルベルト」
「分かってる」
アルベルトはもう一度領地の方へ視線を向けるとじっと街を見下ろし、目を瞑った。
「ごめん……大丈夫、僕も行くよ」
顔を上げ、ギラギラと紫眼が見返して来た。
「行くぞ」
「了解」
――カレン。
今すぐ無事を確かめたい気持ちを無理矢理抑えつける。
どうか、待っていてくれ
必ず戻るから
無意識にカレンから貰ったおりがみが入っている胸のポケットを握り締める。
白い闇は、目の前まで迫って来ていた。
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