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第二章 王都
蒼玉の雫
しおりを挟む馬車は王都の中心部にある豪奢な建物の前で止まった。
時刻は夕刻。
空がピンクとオレンジ色に染まり、三つの白い月が浮かぶ。
レオニダスのエスコートで馬車を降り、その建物の入り口に向かった。周囲の人々の視線が痛い。
今日の私の髪は黒そのもの。染めていない。
テレーサさんがもう隠す必要はないと言ってくれたけれど、普段のお出かけの時はやっぱり鍔の大きい帽子を選んでいて、どうしてもそんなに目立たないようにしてしまう。
今日は大丈夫かな、レオニダスに迷惑が掛からないかな。
「カレン、気にするな」
レオニダスがそんな私に気が付いたのか、そっと顔を寄せて耳元で囁くように話す。
「でも、」
「そのままのカレンが美しいんだ」
レオニダスは私の手を取ると、私の瞳を覗き込んだままそっと指先にキスを落とす。
「今日は演奏を聴きながら食事が出来る店を選んだ」
そう言うとレオニダスはエスコートしていた手を離し、私の腰をぐいっと引き寄せた。
なななんですか急に!?
エスコート初心者で慣れない私はどうしたらいいのか分からずワタワタしていると、レオニダスが真っ直ぐ前を向いた。その視線を追うと、店の入り口で入店を並んで待っている人たちの中にボーデン卿の姿が。
緊張する私の腰を支えながら、レオニダスはゆったりとした口調で話す。
「いくら金を操る力があるとは言え、貴族の上下関係は王都において絶対的なものだ。あの男の爵位では高位貴族が来る場合後回しの対応となる。こちらから声さえ掛けなければ絡まれるような事はないから、安心しろ。……だが、態々今日この日を狙って来たのか……偶然なのか」
後者ではないだろうな、と呟き、レオニダスは店の入り口で待つオーナーらしき人に頷いて見せた。
オーナーらしき人は前に出て恭しく礼を取る。
「ザイラスブルク公、本日はようこそおいで下さいました」
「世話になる」
「この上ない名誉でございます。お席をご用意いたしました、こちらへ……」
私たちの周囲にはザイラスブルクの護衛騎士達がいて、囲まれるように入店する。他のお客さんはみんな外で並んで待っていて、当然視線はこちらに向く訳で。
私の容姿の珍しさが相まってとにかく目立っていた。
ボーデン卿の強い視線を感じたけど、レオニダスは一切視線を向けない。高位貴族であるレオニダスに話しかける人などいないのだ。
そう考えると、あの演奏会で会った元妖精さんのメンタル凄い。
あの子はどうしてるのかな。また絡まれたら面倒だなぁ…言葉分かっちゃうし。
つらつら考え事をしていると、店内のチェックを終えた護衛騎士達が少し離れた場所にそれぞれ控えた。みんな知っている人達なのに、私相手にプロフェッショナルな対応……私一人で気恥ずかしさを抱えていて、それがまた恥ずかしい。
テレーサさんから私の置かれている状況を聞いて以来、護衛騎士が私に付く事もなんとか受け入れられた。
エーリクやレオニダスに付くのは前から分かっていたし、立場のある人達だから当然と思っていたんだけど、自分がその対象になるのは抵抗があって。
でも今の私は非力で、何かに巻き込まれてしまったらみんなに迷惑が掛かるから。
それに、きっと、多分。レオニダスが悲しむから。
だから私は私の身を守る事が今出来る最善の策なんだと思えた。
私に戸籍が与えられて、この世界にちゃんと存在する人間になって、貴方の側にいられるのなら。
私は私の出来ることをする。そう決めた。
店内は広く落ち着いた艶のある木目で統一され、真っ白なテーブルクロスが活けられた様々な種類の花を効果的に見せている。
店奥の中央にはこじんまりとしたステージとその上にはピアノ。
ステージは吹抜けになっていて白いオーガンジーのようなカーテンが垂れ下がり、ゆったりと風に揺れている。
私たちはステージ横の螺旋階段から二階席に通された。二階席は貸切になっていて私たちだけ。護衛騎士達は視界に入らない場所にいるみたい。
レオニダスにエスコートされて席に着く。
エスコートってまだ慣れない。
レオニダスにされると余計に恥ずかしくてドキドキしてしまう。顔が火照っているのが恥ずかしくて、両手で頰を抑えた。
「どうした?」
レオニダスが蕩けるような眼差しで向かいの席からこちらを見ている。
ううっ、恥ずかしい。
「か、顔が熱くて……」
「熱い?」
「だって、あの……レオニダスさまにこうして二人で会うのも、久し振りだし……なんだか、恥ずかしくて……。あ、あの」
そうだ、恥ずかしがっている場合ではなかった。
「レオニダスさま、ドレスとこの、アクセサリー、ありがとうございます」
さっき馬車の中で話せたら良かったんだけど、レオニダスにぎゅうぎゅうに抱き締められて思いっきり匂いを嗅がれて何度も何度もキスをして、いっぱいいっぱいの私はお礼を言う暇がなかった……。
「とてもよく似合っている。綺麗だ」
優しく目を細め手を伸ばし、私の耳に触れ頬を優しく撫で、するりと唇を撫でる。
もう口紅なんて付いてないと思いマス……・
「先を越されて不甲斐ないがな」
そう言って、私の手首に触れる。
そこにはエーリクが贈ってくれたブレスレット。
同じ金色のチェーンだし、ドレス姿を損なう事はないから大丈夫とテレーサさんが言ってくれたので、今日も着けている。
「ドレスもアクセサリーも、全て他の人間に先を越されてしまった」
なんならカレンの手料理もピアノも、と、ちょっといじけるように言うレオニダスが可愛い。
クスクス笑っていると給仕の方が来てくれたので飲み物を頼む。
「でも……私を初めて拾ったのはレオニダスさまです」
「拾った」
クツクツとレオニダスは笑う。
「そう、それに……言葉を教えてくれたのもレオニダスさまが初めて」
「そうか?」
「そうですよ、大丈夫って」
私が勝手に繰り返し言ってただけなんだけど。
「初めて覚えた名前もレオニダスさまだし、あ、お茶を淹れてくれたのもレオニダスさまが初めてです」
ははっとレオニダスが笑う。
「それに……私の名前も」
レオニダスが優しい眼差しでこちらを見つめる。
「私の名前を呼んだのも、レオニダスさまが初めて」
そして今も。
この世界で名前を呼ぶのは、私を拾ったあなただけ。
レオニダスの手が伸びて来て、私の指を絡め取る。
「名前はどういう登録にしたんだ?」
「ナガセ・カレン・バーデンシュタイン」
キュッとレオニダスの指を握る。真っ直ぐレオニダスを見つめて。
「カレンって呼ぶのは、レオニダスさまだけですから」
途端にレオニダスが眉間に皺を寄せて目許を赤くしながら唸った。
「カレン……今そんなに可愛いことを言うな」
テーブルが邪魔だとか言いながら、もう片方の手で口許を覆った。
そんなレオニダスがおかしくてクスクス笑っていると、やがて静かに音楽が始まった。
* * *
前回の演奏会の後、レストランでたくさん話したけれどやっぱり正しく伝わっていなかったり、お互い理解できていなかったり。
答え合わせをするように沢山話をして、沢山お互いのことを語り合って、沢山笑った。
時間はあっという間に過ぎて、でも全然足りない。
王城で辺境の報告を受けたり報告したり、今回一緒に来ている第一部隊と騎士団の合同訓練を指揮したり、と忙しく立ち回っているらしいレオニダスは、私がテレーサさんのお屋敷に移ってからピアノと歌を聴けなくなって調子が出ないと零した。
私もテレーサさんのお屋敷のピアノがまだ調律が終わっていなくて、弾けない日々がもどかしいと話したら、お店が終わってからステージ上のピアノを弾かせてもらえることになった。
食事も終わり、お客さんもいなくなった頃。
外はすっかり暗くなり、店内はしっとりとした照明で落ち着いた雰囲気。お店の人に許可を貰ってステージに上がり、鍵盤蓋を上げる。
レオニダスはステージ前の特等席。離れた入り口やあちこちに騎士さんたちの姿も見える。
「何か聴きたい曲はありますか?」
鍵盤を鳴らし聞いてみると、カレンの歌、と言う返事が返って来た。
じゃあ、あの曲にしよう。
前の世界でよくお客さんからリクエストを貰った曲。
静かな大人の曲で私も好きだった。
愛するあなたに贈る曲。
私を取り巻く全てに感謝を込めて。
歌詞の意味は伝わらなくても、どんな歌かは伝わると思う。
愛しいあなたに向けた歌。
――弾き終えて息を吐くとレオニダスがステージに上がって来て私の手を取り立たせた。
向かい合って見つめたまま、私の手を離さない。
「……、レオ……?」
レオニダスは私の両手を少し持ち上げ、腰を折り、まるで祈るように私の指先に唇を寄せた。その伏せた睫毛が造る陰影、黄金が揺らめく深い碧の瞳の美しさに目を奪われる。
レオニダスはゆっくり目を瞑り、そして徐に私の前に跪いた。
「ナガセ・カレン・バーデンシュタイン嬢」
私の手の甲に額を寄せ、祈るように、懇願するように。
「私、レオニダス・フォン・バルテンシュタッド=ザイラスブルクに、どうか貴女と、この先の未来を共に歩む名誉を与えて頂けないだろうか」
顔を上げ、そっと手の甲にキスをする。
「カレン……、貴女を愛している」
レオニダスがこちらを見上げる。
「俺と結婚して欲しい」
深い碧の瞳に金色が揺らめいた。
私は今、どんな顔をしているんだろう。
「……はい……」
思ったより小さな声で、しかも震えてしまった。
途端に、レオニダスが下からガバッと私の腰を持ち上げ立ち上がり、ぎゅうぎゅうと抱き締めた。
「ひゃあっ!」
思わず変な声を上げてレオニダスの首にしがみつく。抱き上げた私の胸に顔を埋めて唸り声を上げているレオニダス。
なんだか大きな犬みたいに思えて、頭をよしよしと優しく撫でる。濃いブラウンの髪から覗く耳が真っ赤に染まってる。
じわじわと体の内側に擽ぐったさと嬉しさと、愛しさと幸せが広がっていって、ぎゅうっとレオニダスの頭を抱き締めた。
「ふふ、ね、レオニダスさま」
恥ずかしくて、レオニダスの髪に顔を埋める。
レオニダスの顔がこちらを向く気配がして顔を上げると、顔を赤らめ深い青の瞳に黄金色が揺らめいていた。
ふふ、可愛い。
レオニダスの頬にそっと手を添えて唇に触れるだけのキスを贈る。
強くて優しくて可愛い貴方に。
「レオニダス・フォン・バルテンシュタッド=ザイラスブルク様、私が必ず、貴方を幸せにします」
私がそう言うと、レオニダスは瞳を瞠いて顔を赤く染め、すぐにくしゃくしゃの笑顔になった。
――遠くで騎士さんたちの歓声や拍手、口笛が聞こえた。
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