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第三章 二人の冷戦編

51.リゼッタは踊る

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その後、オーギュストに誘われて数曲踊った。

ほろ酔いの男女がゆったりと踊るワルツはスローテンポで悪くない。仮面舞踏会なんて謳っているものの、中には仮面を外して赤い顔を曝け出している者も少なくない。オーギュストも私の手を取りつつ、片手で時折、下がってくる半面の仮面を鬱陶しそうに上へ押し上げていた。

「懐古主義ではないけれど、こういう形式の舞踏会を現代で開催するのも趣があって良いと思ったんだ」
「ふふ、そうですね。人の顔が見えない方が面白いです」
「残念だねぇ。僕は君の顔をもっと近くで見たいが…」

グッとオーギュストの顔が近付くと、鼻先をアルコールの臭いが突いた。口元に笑みを浮かべたまま息を止める。

「ここだけの話、ノアが婚約してくれて良かったよ。あいつは天性の人たらしみたいな性質があるだろう?」
「人たらし…?」
「女性には分からないかなぁ。周りに居る男からしたら堪ったもんじゃないよ」
「………、」
「ああいう性格を治さないと、婚約者にも随分と悲しい思いをさせると思うね。なにせ一番近くでそれを見ることになるんだから」
「……それはその通りですね」

まだまだ語りたそうなオーギュストに頭を下げて、部屋の何処かに居るであろうヴィラの姿を探した。踊りに行くと伝えた時には手を振って送り出してくれたけれど、さすがに待たせ過ぎただろうか。

こうした場所にはまったく興味のない彼女を付き合わせてしまったことを反省しつつ、ぐるりと周囲を見回していたら、後ろからまた声を掛けられた。


「僕とも一曲踊っていただけませんか?」

振り返って確認する必要はなかった。
声の主は明確だったから。

拳をギュッと握って、出来るだけ自然な声音が出るように咳払いをする。視線が泳がないように意識しつつ、声を掛けてきた人物の方へ向き直った。

「……生憎ですが、もう帰る予定なので」
「それは残念だな。最後にお願いしたかったのに」
「約束をお忘れですか?」

思わずキツく責めるような口調になった。

「覚えているよ。だからこうして手袋を用意して来た」
「……呆れました。貴方って狡い人ですね」
「そうみたいだね、申し訳ない」
「………、」
「俺はただ仮面を付けた美しい令嬢に踊りを申し込んだだけ。違うかな?」

白い手袋を着けた手が差し出される。仮面の下の赤い瞳を覗くと、心が勝手に転がって行ってしまわないか怖くなった。新しい曲が始まり、これ以上この場所で立ち止まることで変な注目を浴びるわけにもいかないので、恐る恐るその手を取る。

頭の中で、場の空気に流される己の愚かさをなじる自分の声が聞こえるようだった。この混乱が、どうか彼に伝わらないように祈りながら私は踊る。

「こうして向かい合うと、君に初めて会った時のことを思い出す」

初めて会った時。それは私が失意のどん底で行き着いた先の娼館で、客として来訪したノアと出会った時のことだ。あれからいったいどれ程の時間が経ったのだろう。あの日、白い半面の下に浮かぶ赤い瞳を見つめた時から、私はずっと彼に囚われたままだ。静かな怒りを燃やしている今だって。


「……あの時に戻れたらどうする?」
「どうって?」
「君はまた俺の手を取ってくれる?それとも…」

突き放す?と消えるような小さな声でノアは溢した。

私は何も言えなかった。ただ、悲しそうな彼の顔を暫く見つめた後、心の中に引っ掛かっていた疑問を投げ掛けるべきか悩んでいた。音楽はどんどん進んで、楽しそうに周りの男女は各々回転したり、身を近付けたりして踊っている。冷戦状態を決め込んだ自分が、こんな場所で仲良く相手と手を取り合っているのは滑稽な話だろう。

「ねえ、ノア」
「?」
「貴方は私を幸せにしてくれるの?」
「………、」
「それとも…どうしようもなく不幸にして何処にも行けないぐらい絶望させたい?」

ノア・イーゼンハイムと共に過ごす中で必要となるのは、私自身の心の強さ。そして自由奔放な彼が私のために変わってくれること。誰もが指摘する彼と生きる上での困難については、無視できないぐらい私も自覚していた。

「貴方が頭を下げたエレンは反王党派ではなく、どうやらただの詐欺師だったみたいですよ」
「……どういうこと?」
「後は自分で確認してください」

呆然とするノアの手を離した。

「私はいつも小さな幸せがほしかっただけ…貴方がそれを与えることが出来るのか知りたいです」
「リゼッタ、話がしたいんだ」
「すべて綺麗にして来て。今の貴方と話す気にはなれません」

ゆるやかに収束へ向かう音楽の中で、私はドレスの裾を摘んで頭を下げた。顔を上げることもなく、急いでその場を去る。オーギュスト・ベルナールが選んだ仮面舞踏会という形に今ばかりは感謝せざるを得ない。

流れ落ちる涙を袖で拭いながら、ヴィラを探した。
先程までノアに触れていた指先がひどく痛む。

もしも、あの時に戻れたら。
その答えは彼自身に問いたい。


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