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《第一章》あなたが好きです
第八話
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パーティー用のドレスや小物とともに東がやってきたのは診断の三日後だった。ミーティングルームの片隅に置かれてあったマネキンを見てすぐ、遼子は絶句する。
マネキンは、殺風景な部屋にはおよそ似つかわしくない華やかな格好をしていた。深い群青色のロングドレスは首から胸元までレースで覆われているという凝ったデザインでストレートラインのものだった。繊細な意匠が施されたデコルテには、小粒ではあるものの質の良さを感じさせる照りを放った真珠のネックレスが掛けられている。綺麗としか言いようがないが派手に感じる装いを前に立ち尽くしていたら、一緒に見に来た深雪の声が耳に入ってきた。
「遼子先生のドレス、すっごい素敵。絶対に似合いますよ」
自信満々といった声で我に返った。遼子は大きく見開いた目を隣にいる深雪に向ける。
「みっ、深雪さんっ。無理よ、絶対無理、似合わないわよ、こんな……」
派手なドレスと言いかけたところで、いつの間にかすぐ側にいた東に言葉を遮られた。
「自信を持ってこのドレスをお勧めします、麻生さま」
得意顔の彼女と目があったとたん、どうしてなのかなにも言えなくなった。遼子は戸惑う。
「派手に見えますが、それはこの部屋の照明のせいでより鮮やかになったからです。パーティー会場では暖かい色味の照明を使っているはずですから落ち着いた色合いに見えますよ」
オフィスフロアで多用される照明は昼白色のものだ。書類が見やすい明るい光で色味はほとんど感じない。しかし宴会場ではオレンジや黄みがかった暖かいものを使っているし、そこなら今感じている派手さは抑えられるだろう。しかし、気になるところはそれだけではない。
「でも、デザインが……」
単刀直入に言えば腕を出さなければならないのがいやだった。太っているほうではないけれどスタイルがいいわけではない。気になる二の腕やウエスト・ヒップなどはできるだけ隠したいのが本音だ。ドレスのデザインはタイトなものではないからウエストやヒップはカバーできるけれど、ノースリーブだから二の腕は隠せないのだ。それをはっきり言えばいいのにできなくて悶々としていたら、なにかに気づいたのか東が顔をパッと明るくさせた。
「こちらのストールを合わせればどうでしょうか」
布とともに向けられたまなざしは、有無を言わせぬ力を持っていた。
「これは落ち感があるストールですから肩に掛けていただくとボディラインをすっきりとさせてくれます。それにもう一つメリットがあります。この抑えた色味がドレスのお色を和らげてくれますのでぐっと落ち着きのある装いになるはずです。あと、それから――」
東が続きを話そうとしたら、ドアをノックする音がした。彼女はすぐさま戸口へ振り返る。
「はい。どうぞ!」
大きな声だった。そう広くない部屋に東の声が響き渡る。
「お邪魔しますよ、東さん」
ぼう然となっていたら、今度は別所の声がした。そちらへ目を走らせると、ドアを開いたばかりであろう彼が部屋に入ろうとしていた。
「別所さまのスーツもご用意しておりました。チェックお願いします」
目線を東に戻したところ彼女は大急ぎで別所のもとへ向かう。遠ざかる背中を眺めていると、別所に続いて彼の秘書・岡田が部屋に入ってくるのが見えた。
岡田はフロアに入るなりうかがうような目線をどこかに向けた。たどってみたところ彼の視線は、自分のために用意されたベージュ色のワンピースドレスを眺めている深雪にたどり着く。
深雪と岡田はどんな関係なのだろう。偶然聞いてしまった言い合いを振り返ると恋人同士のように思えるが、深雪は彼のことを同い年の同期のひとりだとしか言っていない。それにあきれた顔で「どうしようもない男」だの「女たらし」だのと言っているし、岡田にいい印象を持てないのだろう。そんな男と彼女が付き合っている可能性は極めて低い。頭の中で岡田と深雪の関係を探りつつ二人を交互に眺めていたら、あることに気がついた。東からスーツを見せてもらっている別所の背後にいる岡田が、深雪に目線を送り続けているのだ。かたや深雪はというと、岡田のことなどまったく気にもせず作りに並べられているバッグを手に取っている。その様子が、あえて岡田に背を向けているように見えるのは気のせいだろうか。まるで痴話げんかのようだったやりとりを振り返りつつ、微妙な雰囲気を漂わす二人をこっそり眺めていたら、
「遼子先生」
別所の声が聞こえてきた。
「ひっ!!」
驚いて声が出た。遼子は体を固くさせる。
「すっ、すみません。急に話しかけてしまって……」
別所は心苦しそうな顔で近づいてきた。
「いっ、いえいえ。ぼーっとしていたわたしが悪いんです」
慌てて謝ったものの彼は申しわけなさそうな顔をし続けている。気分を変えようとして遼子は話を振った。
「べ、別所さん。チェックは終わったんですか?」
「ええ、今は岡田が相談していますよ、ほら」
指を差されたほうを見たら、岡田が東と話している。
「結局あいつもスーツのコーディネートを頼むようです。なにせ深雪くんをエスコートするから気合いが入るんでしょう」
「え?」
なぜ深雪をエスコートするから気合いが入るのか。それがわからず遼子はきょとんとした。すると、
「あいつは深雪くんのことが好きなんですよ、入社したときからね」
衝撃的な言葉が耳に入ったとたん、なぜ岡田が深雪に窺うようなまなざしを送り続けているのかなんとなくわかった気がした。
マネキンは、殺風景な部屋にはおよそ似つかわしくない華やかな格好をしていた。深い群青色のロングドレスは首から胸元までレースで覆われているという凝ったデザインでストレートラインのものだった。繊細な意匠が施されたデコルテには、小粒ではあるものの質の良さを感じさせる照りを放った真珠のネックレスが掛けられている。綺麗としか言いようがないが派手に感じる装いを前に立ち尽くしていたら、一緒に見に来た深雪の声が耳に入ってきた。
「遼子先生のドレス、すっごい素敵。絶対に似合いますよ」
自信満々といった声で我に返った。遼子は大きく見開いた目を隣にいる深雪に向ける。
「みっ、深雪さんっ。無理よ、絶対無理、似合わないわよ、こんな……」
派手なドレスと言いかけたところで、いつの間にかすぐ側にいた東に言葉を遮られた。
「自信を持ってこのドレスをお勧めします、麻生さま」
得意顔の彼女と目があったとたん、どうしてなのかなにも言えなくなった。遼子は戸惑う。
「派手に見えますが、それはこの部屋の照明のせいでより鮮やかになったからです。パーティー会場では暖かい色味の照明を使っているはずですから落ち着いた色合いに見えますよ」
オフィスフロアで多用される照明は昼白色のものだ。書類が見やすい明るい光で色味はほとんど感じない。しかし宴会場ではオレンジや黄みがかった暖かいものを使っているし、そこなら今感じている派手さは抑えられるだろう。しかし、気になるところはそれだけではない。
「でも、デザインが……」
単刀直入に言えば腕を出さなければならないのがいやだった。太っているほうではないけれどスタイルがいいわけではない。気になる二の腕やウエスト・ヒップなどはできるだけ隠したいのが本音だ。ドレスのデザインはタイトなものではないからウエストやヒップはカバーできるけれど、ノースリーブだから二の腕は隠せないのだ。それをはっきり言えばいいのにできなくて悶々としていたら、なにかに気づいたのか東が顔をパッと明るくさせた。
「こちらのストールを合わせればどうでしょうか」
布とともに向けられたまなざしは、有無を言わせぬ力を持っていた。
「これは落ち感があるストールですから肩に掛けていただくとボディラインをすっきりとさせてくれます。それにもう一つメリットがあります。この抑えた色味がドレスのお色を和らげてくれますのでぐっと落ち着きのある装いになるはずです。あと、それから――」
東が続きを話そうとしたら、ドアをノックする音がした。彼女はすぐさま戸口へ振り返る。
「はい。どうぞ!」
大きな声だった。そう広くない部屋に東の声が響き渡る。
「お邪魔しますよ、東さん」
ぼう然となっていたら、今度は別所の声がした。そちらへ目を走らせると、ドアを開いたばかりであろう彼が部屋に入ろうとしていた。
「別所さまのスーツもご用意しておりました。チェックお願いします」
目線を東に戻したところ彼女は大急ぎで別所のもとへ向かう。遠ざかる背中を眺めていると、別所に続いて彼の秘書・岡田が部屋に入ってくるのが見えた。
岡田はフロアに入るなりうかがうような目線をどこかに向けた。たどってみたところ彼の視線は、自分のために用意されたベージュ色のワンピースドレスを眺めている深雪にたどり着く。
深雪と岡田はどんな関係なのだろう。偶然聞いてしまった言い合いを振り返ると恋人同士のように思えるが、深雪は彼のことを同い年の同期のひとりだとしか言っていない。それにあきれた顔で「どうしようもない男」だの「女たらし」だのと言っているし、岡田にいい印象を持てないのだろう。そんな男と彼女が付き合っている可能性は極めて低い。頭の中で岡田と深雪の関係を探りつつ二人を交互に眺めていたら、あることに気がついた。東からスーツを見せてもらっている別所の背後にいる岡田が、深雪に目線を送り続けているのだ。かたや深雪はというと、岡田のことなどまったく気にもせず作りに並べられているバッグを手に取っている。その様子が、あえて岡田に背を向けているように見えるのは気のせいだろうか。まるで痴話げんかのようだったやりとりを振り返りつつ、微妙な雰囲気を漂わす二人をこっそり眺めていたら、
「遼子先生」
別所の声が聞こえてきた。
「ひっ!!」
驚いて声が出た。遼子は体を固くさせる。
「すっ、すみません。急に話しかけてしまって……」
別所は心苦しそうな顔で近づいてきた。
「いっ、いえいえ。ぼーっとしていたわたしが悪いんです」
慌てて謝ったものの彼は申しわけなさそうな顔をし続けている。気分を変えようとして遼子は話を振った。
「べ、別所さん。チェックは終わったんですか?」
「ええ、今は岡田が相談していますよ、ほら」
指を差されたほうを見たら、岡田が東と話している。
「結局あいつもスーツのコーディネートを頼むようです。なにせ深雪くんをエスコートするから気合いが入るんでしょう」
「え?」
なぜ深雪をエスコートするから気合いが入るのか。それがわからず遼子はきょとんとした。すると、
「あいつは深雪くんのことが好きなんですよ、入社したときからね」
衝撃的な言葉が耳に入ったとたん、なぜ岡田が深雪に窺うようなまなざしを送り続けているのかなんとなくわかった気がした。
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