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日は昇る

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 灯り取りの窓から差し込む朝日で、茶々は目が覚めた。 
「おう、お目覚めか?」 
 茶々の隣で寝転んでいた秀吉が、茶々の目を覗き込み、額を撫でた。 
 秀吉は夜着を着、金色の羽織もすでに着込んでいる。 
 ハッとした茶々が、ガバリと体を起こして、「アッ」と布団を巻き付けた。 
 美しい天女像のような裸体が、秀吉の目の前で布に包まれる。 
 その一瞬の美しさに息を呑んだとは気取らせもせず、顔を真っ赤にしてうつ向いている茶々に、起き上がった秀吉が夜着を渡した。 
 茶々の髪を撫で、穏やかに微笑むと秀吉は女に背を向けた。 

 さらさらと茶々が身を整える音を、秀吉は背中で聞いている。 
 茶々がゆっくりと座る気配を感じ、秀吉は茶々の方へと向き直った。 
三日みかの餅じゃ。そなたも食べよ」 
 枕元の三方さんぽうの上には、柔らかそうな小振りのかい餅が椿の葉に乗せられて、五つ並んでいた。 
 秀吉はポンポンと二つ、続けざまに口に入れ、モグモグと口を動かす。
 
 口を動かしながら、もう一つつまみ、茶々の口許へと持っていった。 
 戸惑っている茶々に、秀吉がニカリと笑ってうなづく。 
 茶々が小さな口をそっと開くと、秀吉が幼子に食べさせるように、女にかい餅を食べさせた。 

 柔らかな餅に、香ばしいごまみそが包まれている。茶々のどこか眠そうだった目がぱちっと開いた。 
 茶々に乙女らしい笑顔が広がるのを見て、茶々の口が残したかい餅を秀吉は自分の口に入れた。 
 はっとした顔をする茶々に、秀吉は笑顔を返す。 
 頬を染めた茶々が、コクリと喉を動かした。 

「おいしゅうございます。」 
「そうか。」 
「はい。はじめて食しました。」 
「じゃろうの。」 
 秀吉が、椿の葉に乗ったかい餅を一つ、茶々に渡した。 
「食べよ。」 
 そういうと、残っていた一つを自分で手に取る。 
 茶々が姫君らしく、ゆっくりと味わいながら食べていると、早々に食べ終わった秀吉がベタつく指をねぶった。
 
「おねのお得意じゃ。」 
 一瞬、何を言われたのかわからなかった茶々であるが、秀吉の視線に、今、口にしているこの美味しいかい餅のことなのを理解する。 
 口を動かすことも忘れて、目を見開いた茶々に秀吉が続けた。 
「おねは水屋仕事が好きでの。したが今は毎日できぬゆえ、このようなときは張り切りおる。」 
 ふふふと秀吉が笑う。その笑みに、茶々は固い顔をしたままであった。 
「…もしや…」 
 かい餅をやっと飲み込み、茶々がそう呟いた。 
「あぁ。おねが運んできたようじゃ。」 
 茶々の言葉を察し、秀吉があとを継ぐ。その言葉に、茶々は呆然とした。 
 (殿下との姿を見られた? 着物を着ていないのも知られたのか?) 
 茶々の心がしぼんでいくのを秀吉は見て取る。口許をきゅっと引き締め、男は女に向き直った。 

「茶々、おねはそなたが儂の特別な女子とわかったはずじゃ。」 
「特別な女子?」 
「そうじゃ。ただ枕を交わすだけの女子ではないことを。」 
 秀吉は、優しく茶々に語りかける。 
「三日の餅は、誰かにやらせよと言うても、おねが持ってくるのじゃ。」 
 カリカリと頭をかく秀吉に、茶々はまた目を見開いた。 

「おかしいか。まぁ、大名の姫であれば、考えが及ばぬであろうの。したが、それがおねなのじゃ。子ができなかったゆえの、皆の世話をするのが嬉しゅうてしかたがないのじゃ。」 
 秀吉は一度言葉を切り、茶々の手をとった。 
「しかしの、此度こたびは誰かにやらせると思うておった。昔、そなたの母御のお市様を儂が慕うておったのを存じておるしの。それゆえ、来ぬと思うておったが……」 
 若い茶々だが、おねが秀吉の女たちの値踏みもしているのだと悟った。 

「今朝はおねの気もいくらか乱れておろう。そなたと儂の姿を見て、そなたが儂にとって特別な女子と察したはずじゃ。」 
 秀吉は、茶々をそっと抱き寄せる。 
「茶々、そなたが特別な女子であるように、おねも特別な女子じゃ。竜子も…誰か一人だけでは、儂は成り立たぬ。弱い男なのじゃ。」 
「茶々の元へ通うてくださいますか?」 
 黙って聞いていた茶々が、乱れず、責めず、淡々と尋ねた。 
「通うとも。儂の子を生んでくれ。」 
戦場いくさばへお連れくださいまするか?」 
「ああ。連れて行く。」 
「茶々の居場所は殿下のもとにございまする。」 
「わかっておる。」 
 秀吉が茶々を抱き締めた。 
「茶々の居場所は、儂のもとじゃ。戦場でもどこへでもついてくるがよいぞ。」 
「ならば、こらえられまする。」 

 おねが秀吉にとって、なによりも特別な女なのが茶々にはわかっていた。 
 おねに成り代われないのも、よくわかっていた。 
 ならば、自分にしかできないことで秀吉の一の人になるしかない。 
 それが、子を生む・・・・というのに、茶々は身の底から溢れる幸せを感じた。 

「殿下、今一度お約束くださいませ。『茶々を天下一の女子にする』と。」 
「約すとも。そなたを天下一の女子にする。」 
 茶々が秀吉から離れ、身を起こした。 
「ならば、わたくしも天下人の妻として、北政所まんどころ様のもと、殿下をお支えいたしまする。殿下、幾久しゅうお願い申し上げます。」 
 ピタリと手をつき、大名の姉姫らしく茶々は深々と頭を下げた。 
 その健気な美しさに、秀吉は思わず茶々の手を取り、口づけた。 
「幾久しく。」 
 秀吉は生真面目な顔を作ったあと、人懐っこい笑みを見せた。茶々がつられて笑ったのを見て、パンパンと手を叩く。 
 ふすまがスルリと開き、侍女が召し物を捧げて入ってきた。 
「着飾って帰るがよい。そなたが儂の妻となった証しに。」 
 秀吉はうなづくと、スイと立ち上がった 
「では。」 
 そういうと、秀吉はすたすたと歩いていく。その姿に茶々の胸がキュイと痛んだ。 
 その想いを察したのか、秀吉は部屋を出る前に、一度振り返り、茶々にまた人懐っこい笑顔を見せた。 
 茶々も精一杯微笑み返す。 
 秀吉は、うんうんと頷き、部屋から去っていった。と同時に、 
「姫様、まず湯あみをなされませ。」 
 と大野局の声がした。その声に頬を少し赤らめながら、茶々は湯殿ゆどのへと向かう。 
 枕を交わした残り香を洗い流し、身を整えた頃には、すっかり太陽が昇っていた。 

◇◆

 そうやって自室へ戻り、朝餉を前にし、江に気遣われても、茶々の体の中は秀吉で溢れている。 
 目隠しをした昨日の夜を思い出すだけで、じんわりと体が火照る。 
 (父を、母を、討った仇ではなかったか…) 
 茶々は幼い頃、浅井の父から渡された懐剣を取り出した。 
 スッと鞘から出すと、研ぎ澄まされた刃が鈍い光を放ち、己の顔を写し出す。 
 その刃に映る顔は、忘れもしない父の泣き顔であり、母の泣き顔であった。 
「父上、母上…お許しくださりませ。」 
 茶々はポツリと呟く。そして、もう引き返せないのなら…、それならば…と茶々は思う。 
 『浅井の血に天下をとらせるがよい』 
 秀吉の言葉が、茶々の頭をめぐる。 

 (母上、母上なら解ってくださいますね。父上を愛された母上ならば……) 
 茶々は、「織田のために」と嫁いだ母が父に惹かれたことを母自身から聞かされていた。 
 ははは、終生、兄・信長に文を送ったのを後悔していた。 
 だからこそ、「柴田殿へ嫁ぐ」と母に言われたときに反抗した。父を忘れてほしくなかった。なにより、子どもたちのために母の心を殺してほしくなかった。 
 (したが…)と茶々は思う。 
 (母上も居場所を見つけたのやも知れぬ。柴田の義父上ちちうえのもとに…) 
 刃に映る顔が、うつむいて頷いたように見えた。茶々はゆっくりと鞘に刃を納めた。 


*****
【かい餅】柔らかめに炊いた餅米を潰し、まとめたもの。おはぎの米の状態。ここでは中に甘塩っぱい味噌ダレを包んでいる。
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