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日は昇る
肆
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三夜、茶々のもとに通った秀吉であったが、今日は朝餉からおねのもとで過ごしていた。
秀次や家臣とのやり取りの時も、おねがそばにいた。おねは政に口を出すではなく、ただ、秀吉と皆がうまく語り合えるように、そばでゆったりと聞き、時々助け船のような相づちで家臣たちからうまく話を引き出した。
難しそうな話になる前に、おねは黙って立ち上がり、微笑んで部屋をあとにする。
それはまるで、なにか不可思議な術でおねが次の話を知っているかのようであった。
しかし、おねは、秀吉のほんのわずかな気配の違いを感じ取っていたのである。
秀吉にしてみれば、同志…いや、我が身の半身とも言うべき伴侶。それがおねであった。
大阪城の寝室には、大きな天葢付きのベッドが設えてあった。首をコキコキと鳴らしながら入ってきた秀吉が、大きなベッドに腰を掛ける。おねがベッドの上に正座をして、秀吉の肩をもんだ。
「北条も頑固じゃのぅ…」
「また、戦でございますか?」
「お館さまのお志じゃ。」
秀吉が気持ち良さそうに目をつぶって、一人ごちた。その一言に、信長の後を継いだ秀吉の覚悟、戦をもってしても戦のない世にするのが自分の務めだという覚悟が含まれているのを、おねはよく解っていた。
「さようでございましたね。したが、ご無理はなさいますな。」
「まぁ、まだ先じゃ。」
「そうなさりませ。」
おねはそういうと、秀吉の体から手を離した。
「さぁ、おやすみなさいませ。」
ぐるりと首を回した秀吉が、おねの言葉に横になる。おねが大きな布団を秀吉にかけた。
「では、おやすみなされませ。」
おねも同じ布団をかぶりながら、横たわった。
わずかな風に天葢の布がゆらりと揺れる。
「今朝のかい餅はうまかったぞ。」
「茶々殿のお口に合うたでしょうか。」
「ああ、うまいと言うておった。」
「よかった。」
夫婦は天を向いたまま、ただ言葉を交わした。
秀吉の手が、ヒヤリとしたおねの手を握る。
「冷たいの。」
「もう、婆でございますもの。」
おねがやんわりと笑った。
「なら、儂は爺か。」
「さようでございますね。」
「なんじゃと?」
夫婦は顔を見合わせて、ふふと笑う。
「おね。」
秀吉がおねの腕をぐいと引っ張った。
「もうおやすみなされませ。」
おねが子供を寝かすようにやさしく伝える。
「お~ね~。」
秀吉が枕をはずし、おねへと擦りよった。
「おまえさまを待っておる人はぎょーさんおりゃーすよ。」
夫の低い鼻にチョンと指を当て、おねは懐かしいふるさとの言葉で茶化す。
「意地悪ゆうでにゃーがや。」
秀吉は構わず、妻に頬を擦り寄せた。
「意地悪もなにも、わたくしはもう姥桜でございます。」
「お~ね~。そなたがよいのじゃ。」
「恥ずかしゅうございまする。茶々殿のように美しゅうにゃーですもの。」
おねが少女のように目を伏せて恥じらう。
「さようなこと気にするでにゃー。そなたを温めるのは、儂の役目でにゃーか。ん?」
秀吉がおねの額に自分の額をコツリと付き合わせ、軽く口づけた。おねが幸せそうに微笑み、二人が「ふふふ」と同時に笑う。
「したが、気の無駄遣いをなさいまするな。」
おねが今まで幾度か閨の中で繰り返してきた言葉を改めて伝える。
その言葉の裏に、秀吉は「私はもう子が望めませぬ」という女の悲しみを読み取る。
「わかっておる。」
秀吉はおねのために微笑み、長年連れ添う妻を抱き締めた。
「冷えておるではにゃーか。長く待っておったのではないか?寝ておればよいのに。」
おねのひんやりとした体を包んだまま、秀吉は妻の背中をさする。
「おまえさまがここにお戻りになる日でございましたもの。」
おねの可愛らしい言葉に、秀吉は妻の白髪まじりの頭を愛しそうに愛しそうに撫でた。
「すまぬ、おね。」
「よいのです。おまえさまは守るものが増えるほど強うなられるお方。」
「おね…」
秀吉は、愛と感謝を込めて、妻に口づけた。その唇が、いくらか皺だった首筋にも這う。
「なりませぬ、おまえさま。」
吐息をあげそうになったおねが、秀吉の頬をペチンと叩いた。
「おね~。」
「お疲れなのですから、おやすみなさいませ。」
おねがにっこり微笑んだ。
「い・や・じゃ。」
逃げられれば追いかけたくなるのが秀吉である。あっという間に帯をほどき、布団に潜り込むと、おねの柔らかな胸の膨らみに口づけた。
「おやめくだされ……」
「や・め・ぬ。」
いつにも増して執拗に膨らみを愛撫する夫に、女の吐息をあげながらも、茶々と秀吉の閨を空想してしまう。
(子も生めぬというのに、感じてしまうのか…難儀なものじゃ…茶々殿は、どのように感じたのであろうか…)
「おまえさま、もうおやめくださりませ。」
おねがいたって冷静に声をかけた。
秀吉が、夜具から顔をひょこりと出す。
「おね…」
「気を無駄に遣うては、赤子ができませぬぞ。茶々殿に向けなされ。」
おねは子供に言い聞かせるように、柔らかに穏やかに微笑む。
「そなたがおらねば、赤子は生まれぬ。」
秀吉が生真面目な顔でおねを見つめた。
「おまえさま…」
秀吉の頬に手を当て、おねが瞳を潤ませた。
秀吉の手は、夜具の中のおねの脇腹を触っていた。
武骨な指はツルツルした肌を感じている。
秀吉も、おねも、そこの皮膚がひきつり、醜く盛り上がっているのは見なくてもわかっていた。
秀次や家臣とのやり取りの時も、おねがそばにいた。おねは政に口を出すではなく、ただ、秀吉と皆がうまく語り合えるように、そばでゆったりと聞き、時々助け船のような相づちで家臣たちからうまく話を引き出した。
難しそうな話になる前に、おねは黙って立ち上がり、微笑んで部屋をあとにする。
それはまるで、なにか不可思議な術でおねが次の話を知っているかのようであった。
しかし、おねは、秀吉のほんのわずかな気配の違いを感じ取っていたのである。
秀吉にしてみれば、同志…いや、我が身の半身とも言うべき伴侶。それがおねであった。
大阪城の寝室には、大きな天葢付きのベッドが設えてあった。首をコキコキと鳴らしながら入ってきた秀吉が、大きなベッドに腰を掛ける。おねがベッドの上に正座をして、秀吉の肩をもんだ。
「北条も頑固じゃのぅ…」
「また、戦でございますか?」
「お館さまのお志じゃ。」
秀吉が気持ち良さそうに目をつぶって、一人ごちた。その一言に、信長の後を継いだ秀吉の覚悟、戦をもってしても戦のない世にするのが自分の務めだという覚悟が含まれているのを、おねはよく解っていた。
「さようでございましたね。したが、ご無理はなさいますな。」
「まぁ、まだ先じゃ。」
「そうなさりませ。」
おねはそういうと、秀吉の体から手を離した。
「さぁ、おやすみなさいませ。」
ぐるりと首を回した秀吉が、おねの言葉に横になる。おねが大きな布団を秀吉にかけた。
「では、おやすみなされませ。」
おねも同じ布団をかぶりながら、横たわった。
わずかな風に天葢の布がゆらりと揺れる。
「今朝のかい餅はうまかったぞ。」
「茶々殿のお口に合うたでしょうか。」
「ああ、うまいと言うておった。」
「よかった。」
夫婦は天を向いたまま、ただ言葉を交わした。
秀吉の手が、ヒヤリとしたおねの手を握る。
「冷たいの。」
「もう、婆でございますもの。」
おねがやんわりと笑った。
「なら、儂は爺か。」
「さようでございますね。」
「なんじゃと?」
夫婦は顔を見合わせて、ふふと笑う。
「おね。」
秀吉がおねの腕をぐいと引っ張った。
「もうおやすみなされませ。」
おねが子供を寝かすようにやさしく伝える。
「お~ね~。」
秀吉が枕をはずし、おねへと擦りよった。
「おまえさまを待っておる人はぎょーさんおりゃーすよ。」
夫の低い鼻にチョンと指を当て、おねは懐かしいふるさとの言葉で茶化す。
「意地悪ゆうでにゃーがや。」
秀吉は構わず、妻に頬を擦り寄せた。
「意地悪もなにも、わたくしはもう姥桜でございます。」
「お~ね~。そなたがよいのじゃ。」
「恥ずかしゅうございまする。茶々殿のように美しゅうにゃーですもの。」
おねが少女のように目を伏せて恥じらう。
「さようなこと気にするでにゃー。そなたを温めるのは、儂の役目でにゃーか。ん?」
秀吉がおねの額に自分の額をコツリと付き合わせ、軽く口づけた。おねが幸せそうに微笑み、二人が「ふふふ」と同時に笑う。
「したが、気の無駄遣いをなさいまするな。」
おねが今まで幾度か閨の中で繰り返してきた言葉を改めて伝える。
その言葉の裏に、秀吉は「私はもう子が望めませぬ」という女の悲しみを読み取る。
「わかっておる。」
秀吉はおねのために微笑み、長年連れ添う妻を抱き締めた。
「冷えておるではにゃーか。長く待っておったのではないか?寝ておればよいのに。」
おねのひんやりとした体を包んだまま、秀吉は妻の背中をさする。
「おまえさまがここにお戻りになる日でございましたもの。」
おねの可愛らしい言葉に、秀吉は妻の白髪まじりの頭を愛しそうに愛しそうに撫でた。
「すまぬ、おね。」
「よいのです。おまえさまは守るものが増えるほど強うなられるお方。」
「おね…」
秀吉は、愛と感謝を込めて、妻に口づけた。その唇が、いくらか皺だった首筋にも這う。
「なりませぬ、おまえさま。」
吐息をあげそうになったおねが、秀吉の頬をペチンと叩いた。
「おね~。」
「お疲れなのですから、おやすみなさいませ。」
おねがにっこり微笑んだ。
「い・や・じゃ。」
逃げられれば追いかけたくなるのが秀吉である。あっという間に帯をほどき、布団に潜り込むと、おねの柔らかな胸の膨らみに口づけた。
「おやめくだされ……」
「や・め・ぬ。」
いつにも増して執拗に膨らみを愛撫する夫に、女の吐息をあげながらも、茶々と秀吉の閨を空想してしまう。
(子も生めぬというのに、感じてしまうのか…難儀なものじゃ…茶々殿は、どのように感じたのであろうか…)
「おまえさま、もうおやめくださりませ。」
おねがいたって冷静に声をかけた。
秀吉が、夜具から顔をひょこりと出す。
「おね…」
「気を無駄に遣うては、赤子ができませぬぞ。茶々殿に向けなされ。」
おねは子供に言い聞かせるように、柔らかに穏やかに微笑む。
「そなたがおらねば、赤子は生まれぬ。」
秀吉が生真面目な顔でおねを見つめた。
「おまえさま…」
秀吉の頬に手を当て、おねが瞳を潤ませた。
秀吉の手は、夜具の中のおねの脇腹を触っていた。
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