騎士団長の象さん事情

鈴木かなえ

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「もう一か所、連れて行きたいところがあるんだ」

 食堂を出ると、そう言ってフレデリックはニナの手を引いた。

 だが、いくらも行かないうちに、

「あ!団長!」

 という声に足を止められてしまった。

 息を切らして現れたのは、今年第三騎士団に入ったばかりの新人騎士だった。

 その様子から、騎士団長を見かけたから声をかけたのではなく、はっきりと目的をもってフレデリックを探していたのが明らかだった。

「非番のところを、申し訳ありません!」
「いい。なにがあった」
「ゴーグの山岳地帯に、サラマンダーの群れが出現しました!」

 息をのんだニナの喉がひゅっと音をたて、フレデリックは騎士団長の厳しい顔になった。

「現在、魔術師団と合同で出立の準備を進めています!」
「わかった。報告ご苦労。すぐに向かう」
「はっ!」

 新人騎士は、敬礼をしてまた走り去っていった。

「ニナ。すまないが」
「わかっています。行きましょう!私もお手伝いしますから!」
「ありがとう。では、こちらへ」

 フレデリックはニナを連れてそこから一番近い騎士団の詰所に向かい、騎士団長権限で馬を借りた。

「団長、私、乗馬はできないのですが」
「大丈夫だ」

 ニナは軽々と抱え上げられ、フレデリックが跨る鞍の前に横乗りの形で乗せられた。

「ほら、俺にしっかりつかまって」
「は、はい!」

(近すぎる!でも、今は恥ずかしがっている場合じゃないわ!)

 ニナは思い切ってフレデリックの逞しい体に腕を回してぎゅっとしがみつき、フレデリックはそんなニナのチョコレート色の髪をするりと撫でてから、馬の腹を蹴って駆けだした。



 
 緊急事態ではあるが、もちろんこういったことにも常に備えてある。
 その日のうちに第三・第四騎士団と魔術師団は遠征の準備を整え、ゴーグへと発った。

 出立前、きっちりと騎士団長の武装で身を固めたフレデリックはニナの前に立った。

「ニナ。戻ってきたら、今日の埋め合わせをさせてくれ」
「はい、団長。御武運をお祈りしております」
「……フレディ、と呼んでくれないか」

  ニナはぎょっとしたが、今は押し問答をする時間はない。

「……フレディ、様」
「様もいらない。敬語もなしで、さっきのをもう一度」

(なんなの!?こんな時に、団長はなにを言ってるの!?)

「……フレディ、無事に帰ってきてね……?」

 これでいいのだろうか、と上目遣いで見上げたニナに、フレデリックは破顔した。

「ああ、できるだけ早く帰ってくる。待っててくれ」

 その場に立ちつくすニナを残し、フレデリックはゴーグに向けて遠征隊を率いて出立した。




 ゴーグの山岳地帯まで、急いでも片道三日。
 サラマンダーの群れの規模にもよるが、フレデリックたちが戻ってくるまでに少なくとも十日はかかるだろう。
 ハワードはフレデリックの補佐のために随行していて、エルネストも魔術師団の一員なので、ニナだけがお留守番だ。

 出立前のフレデリックとのことは、今は考えないことにした。
 なにをどう考えたって、彼がどんなつもりだったかなんてニナにわかるわけがないのだ。
 だったら、彼が帰還してからゆっくり問い質した方が建設的だ。

 だが、どれだけ意識を逸らそうとしても、ふいにフレデリックの甘さを含んだ笑顔が脳裏に蘇ってしまう。
 ニナ、と呼んだ優しい声が、馬に二人で乗ったときに感じた温かさが、同時に思い出されてしまって、その度に一人で赤くなった頬を抑えてオロオロする、というのを何度も繰り返した。

 第三騎士団のほとんどが遠征に向かっているが、それでも日々の事務仕事がなくなるわけではない。
 ニナは静かな執務室で、たまに挙動不審になりながらも一人ひっそりと日常業務を続けていた。

 そんな静寂が突如として破られたのは、フレデリックたちが出立した五日後のことだった。

 ノックもせずに執務室の扉が突然開かれ、書類整理に集中していたニナは飛び上がって驚いた。

「ふぅん、本当に女が事務官やってるのね」

 入ってきたのは、二十歳前後くらいの可愛らしい女の子だった。
 完璧な化粧を施し豪華なドレスに身を包み、丁寧に結い上げられた髪はきれいな金色。
 どこからどう見ても貴族のご令嬢だ。

「どなたですか!?ここは、第三騎士団長の執務室です!勝手に入室なさっては困ります!」

 令嬢は可愛らしい顔に険のある笑みをはりつけ、じろりとニナを睨んだ。

「地味な女ねぇ。フレディったら、こんな平民のどこがいいのかしら」

 ニナは自分が侮辱されたことより、令嬢がフレデリックを愛称で呼んだことの方に衝撃を受けた。

「団長は……現在、遠征に行っておられます。いつお戻りになるかわかりません」
「そんなこと知ってるわ」

 令嬢はニナを鼻で笑った。

「あなた、わたくしが誰かご存じ?」

 貴族のことはほとんど知らないニナは、首を横に振った。

「わたくしは、イリーナ・ディオン。ディオン侯爵家の次女よ」

 誇らしげに言われても、ディオン侯爵家が貴族の中でどれくらいの位置付けなのかニナにはよくわからない。

「はぁ。貴族のご令嬢なのですね。それで、第三騎士団長に、どのようなご用件が?」

 令嬢は、豊満な胸を逸らしてニナを思い切り見下した。

「婚約者の職場を尋ねるのに、用件など必要ありませんわ」

 ニナは目を剥いた。

「こ、婚約者!?」

「そうよ。フレディが遠征から帰ってきたら、正式に婚約発表することになっているの」

 鈍器で頭を殴られたような気がした。
 立っていられず、ニナは机に手をついて体を支えた。

「だからね。平民とはいえ、独身の女がフレディの近くにいるというのは外聞がよくないのよ」
「そんな……団長は、公私混同なさるような方ではありません!それに」

 疚しいことなどなにもない、と言おうとして、そうでもないことに思い当たった。

(象さんのことはしかたないことだったとしても、フレディって呼ぶように言われたのは……婚約者からしたら、そんな女が団長の近くにいるのは嫌でしょうね)

 言い淀んだニナに、令嬢はなにかを感じ取ったらしく、苛立った顔になった。

「とにかく!あなたにはここを辞めてもらうわ。あなたの存在はフレディにとって邪魔でしかないのよ。さあ、今すぐここから出て行きなさい!」

 繊細なレースがあしらわれた扇子で執務室の扉を指す令嬢だが、貴族からの命令だとしてもこれには従うわけにはいかない。

「ま、待ってください!それはできません!」
「なによ?平民ごときが、わたくしに逆らうの!?」
「私は平民ですが、今は第三騎士団の事務官なのです!」
「だからなによ!」

 ここは貴族のご令嬢相手にも引くわけにはいかない。
 平民地味女のニナにだって、第三騎士団専属事務官としての矜持があるのだ。

 柳眉を逆立てる令嬢に、ニナは足が震えそうになるのを堪えて立ち向かった。

「ここにある書類の束が見えないのですか!?これは、今日中に私が処理しないといけないものです。騎士団の外の部署に関係する書類もたくさんあるのです。もしこの処理が滞ったら、団長だけでなく騎士団全体に迷惑がかかることになります!団長の評価が悪くなってもいいのですか!?」

 令嬢は不服そうな表情ながら口をつぐんだ。
 
「それに、辞めるのなら、きちんと引継ぎをしなくてはいけません。私の次に事務官になった方が即戦力になるくらいでなければ、やはり団長が困ることになりますよ。団長は今、魔物討伐の最前線で戦っておられます。今私が辞めてしまったら、団長は帰還してすぐに、休む暇もなく事務仕事に追われることになります。そんなの、あんまりではありませんか……」

 フレデリックもハワードも、くたくたに疲れて帰ってくるはずだ。
 大変な任務をこなした後、また別の仕事の山に迎えられるなんて、そんな悲劇あるだろうか。

 令嬢はぎろりとニナを睨みつけた。

「……わかったわよ。わたくしだって、フレディに困ってほしくはないわ。でも、それなら、あなたはどうするの?いつまでここにしがみつくつもり?」
「できるだけ早く、辞めますけど……遠征隊が帰還するまでに、まだ日数があります。その間に、引継ぎの準備をして……随行しているもう一人の事務官が戻ってきたら、その時に、辞表を提出します……」

 令嬢はニナを睨んだまま満足気に笑った。

「その言葉、忘れるんじゃないわよ。もし違えたら、あなたとあなたの家族がどうなるか……」

 家族を引き合いに出され、ニナは顔色を変えた。
 貴族だったらお金もたくさん持っているだろうし、裏組織との伝手があってもおかしくない。
 実際にそのような案件が騎士団により取り締まりを受けていることをニナは知っている。

「家族は関係ないではありませんか!今言ったことは、必ず実行します!」
「もちろん、あなたがそうするなら、なにもしないわ。わたくしだって、血生臭いことはしたくありませんもの」

 ここにいるのは扇子で口元を隠しながら上品に笑う可愛らしい令嬢のはずなのに、ニナには凶悪な魔物のように見えた。

(貴族のご令嬢って、こんなものなの!?団長は、本当にこんな人と結婚するつもりなの!?)

 騎士団の中にはフレデリックのように貴族の騎士も多数在籍している。
 その人たちの考え方や態度が平民と大きく異なると感じたことは今までなかった。
 平民出身の騎士たちと肩を並べて訓練をするし、食堂では同じテーブルで同じ食事をするし、家の権力振りかざす人などいないから、てっきりそういうものだと思っていた。

(多分、騎士団の中はそうだってだけで、他のところでは違うのね。このご令嬢みたいな貴族はたくさんいるんだわ……)

 この令嬢にとって、平民であるニナと家族など虫けら同然なのだろう。
 だから、きっとなんの痛痒を感じることなく、簡単に踏みにじるだろう……

「話が早くて助かったわ。いくらフレディの職場とはいえ、騎士団なんて野蛮な場所、わたくしには相応しくありませんもの。じゃ、せいぜいお仕事頑張ってね」
 
 令嬢は去って行き、後には花の香水の匂いだけが残された。

「団長……」

 婚約者がいるのに、なんで私にまで愛称で呼んでほしいなんて言ったのだろう。
 ずっと『リンドール』だったのに、なんで突然『ニナ』と呼ぶようになったのだろう。
 あの甘い笑顔はなんだったのだろう。
 そこに特別な意味があるなんて期待してしまったニナが愚かだったのか。

 それとも、やっぱり私を愛人として囲うつもりなのだろうか。
 あの令嬢にバレたら、きっとニナも家族も殺されてしまうに違いないのに。

 四年前、フレデリックはニナを助けてくれた。
 それからずっと側で働いてきた。
 剣を振るうその姿は凛々しく、騎士団長としての威厳に満ちていて、そんなフレデリックの元で働き、信頼されているということが誇らしかった。
 無骨ながらも優しくて、優秀なのにたまに抜けたところもあって、騎士団の中でたった一人の女性であるニナを気遣ってくれるフレデリックのことを、ニナも心から信頼していた。

 いや、それ以上の感情が、ニナの中には確かに芽生えていた。
  
 胸の痛みに耐えられず、ニナはその場で蹲った。
 橙色の瞳から溢れた涙がぽつぽつと冷たい床を濡らしていく。 

 団長が私を好きだなんて仮説は、間違いだった。

 でも、私が団長を好きだという仮説は正しかった。

(自分のことなのに、終わりを突きつけられるまで自覚できなかったなんて……私って、本当にポンコツなんだわ)

 静かな執務室に、ニナの押し殺した嗚咽だけが響いていた。

 ニナが助けを求められる人は、誰もいなかった。
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