騎士団長の象さん事情

鈴木かなえ

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 フレデリックがなにやら礼をしてくれるという休日の朝、ニナはそわそわと家の中を歩き回っていた。

「ねぇ、本当におかしなところない?やっぱり、あっちのスカートの方がいいかな」
「大丈夫よ。よく似合ってるわ」
「髪はこれでいいと思う?やっぱりいつも通りに纏めようかしら」
「それじゃあつまらないわよ。たまに違う髪型にすると、新鮮な感じがしていいのよ」
「新鮮って、団長相手にそんなの狙ってどうするのよ」
「団長様だからよ。いいから、少し落ち着きなさい」

 ニナは鏡の前で改めて自分の姿を確かめた。
 白いブラウスにライムグリーンのスカートで、いつもは邪魔にならないように三つ編みにして後ろに垂らしているだけの髪は、今日は母の手でハーフアップにされている。

 ニナの服は、どれも古着屋で買ってきたものだ。
 手先が器用な母は、それにボタンを付け替えたり刺繍を施したりして、少しでも可愛く見えるようにと手を加えてくれるので、安っぽく見えることはないはずだ。

(事務官の制服を着ないで団長にお会いするのは、いつ以来かしら……というか、本当に迎えに来てくれるのかしら。やっぱりなにかの間違いだったのでは)

 迎えに行くから家で待っているようにと昨日フレデリックに言われたのだが、不安になってきたニナの思考は明後日の方向に飛んでいく。
 それを引き戻したのは、玄関の扉をノックする音だった。

 慌てて扉を開くと、そこに立っていたのは私服姿のフレデリックだった。

「おはよう、リンドール」
「お、おはようございます……」

 柔らかな笑みを見せるフレデリックの額に青みがかった銀色の前髪がかかっている。
 服装だけでなく髪型も休日仕様のその姿に、ニナはどぎまぎしてしまった。

「まあ、団長様!お久しぶりでございます!」
「お久しぶりです、リンドール夫人。お体の調子はいかがですか」
「おかげさまで、すっかりよくなりましたわ」
「お元気そうでなによりです。今日は、リンドールを一日お借りします。夕方には送ってきますのでご安心ください」
「えぇえぇ、お願いしますわね。さ、ニナ、行ってらっしゃい!」
「行ってきます……」

 まだ心の準備ができていないというのに、ニナは笑顔の母に玄関から追い出されてしまった。

(お母さんのあんな笑顔、久しぶりに見たわ……)

「あー、リンドール」
「はい、団長」

 名を呼ばれて、ニナはフレデリックの顔を見上げた。

「ええと、その……そういう服装も……かっ……可愛い、な」
「えっ……かっ……」

 え!?可愛い!?
 と言いたかったのに、驚きすぎて言えなかった。
 珈琲を美味しいと褒めてくれるのにもやっと慣れたところなのに、こんなことを言われてもどうしていいのかわからない。

 瞬時に真っ赤になったニナに、フレデリックは肘を差し出した。

(これは……まさか、エスコート!?)
 
 そんな馬鹿な、と思いながら再びフレデリックを見上げると、彼の顔も赤くなっていた。

(団長が……照れてる!?)

 もう四年も側で働いているのに、こんなフレデリックを見るのは初めてで、ニナはキュンとしてしまった。

(年上の男性が可愛く見えるなんて、私って変態なのかしら)

 そっとフレデリックの腕に手を置くと、藍色の瞳が細められた。
 これで正解だったと胸を撫でおろしたニナだったが、男性にエスコートされるなんて初めてのことだと気がつき、また赤くなった。

「では……行こうか」
「は、はいっ!」

 こうして揃って赤い顔をした二人はぎこちなく歩き出した。


 ニナを連れて街中に向かったフレデリックは、迷わず一軒の店の扉を開いた。

「団長、ここは……?」
「質屋だ」

 ニナにだってそこが質屋だということはわかっていたのだが、なんで質屋に連れてこられたのかがさっぱりわからなかった。

「頼んでいたものを出してくれ」
「はい、少々お待ちくださいね」

 しかも、なにやら事前に頼んでいたらしい。

 首を傾げるニナの前に、店主は次々と装飾品などを並べていった。

「四年前、おまえが事務官になった直前くらいの時期に質に入れられたものの中で、あまり値が張らないものをできるだけ集めてもらった」

 それって、つまり……ニナははっとして、またフレデリックを見上げた。

「この中に、もしかしたらおまえがあの時手放したものがあるかもしれない。よく見てみてくれ」

 ニナは目を皿のようにして、端から順に見て行った。
 そして、それはすぐに見つかった。

「あ!これ……!」

 それは、雫型のアメジストがついたペンダントだった。
 手に取ってアメジストがはめ込まれた台座の裏を見て見ると、そこには見覚えのある小さな傷がある。

「これ、祖母の形見で……母が大事にしていたんです」

 このペンダントを身に着ける度に、いつかニナが結婚する時に譲るつもりだと母は言っていた。
 これを手放す時は特に辛かったのをよく覚えている。

「そうか。では店主、これをもらおう」
「ありがとうございます。お包みしますか?」
「いや、このままつけていく。それでいいな、リンドール」
「はい。でも、あの……」

 値札もついていないので、ニナにはこれがいくらで売られているのか見当もつかない。
 貴族であるフレデリックからしたら『あまり値が張らない』ものなのだろうが、平民のニナからしたらそんなことはとても言えないような金額だということはわかる。

「これは礼だ。何も言わずに受け取ってほしい」
「はい……ありがとうございます」

 一瞬迷ったが、ここはフレデリックの好意を素直に受け取ることにした。
 彼の気遣いと、思い出深いペンダントが戻ってきたことが嬉しくて、ニナの橙色の瞳に涙が滲んだ。
 
「ほら、つけてあげるから後を向いて」

 フレデリックに背中を向けると、彼はさっとニナの首にペンダントをつけてくれた。
 その際、項に指が触れて、ニナはまた真っ赤になってしまった。

「団長、ありがとうございます。本当に、本当に嬉しいです。母も喜びます」
「大切なものが見つかってよかった。よく似合っているよ」

 ニナを見つめる藍色の瞳には、どこまでも優しい光がある。 

(嬉しい……けど、団長が必要以上に甘いような……?)
 
 ここで、ニナはエルネストとハワードが言っていたことを思い出した。

(団長……まさか、本当に私のことが好きなのかしら)

 そんなわけない、と今まで頭の隅に追いやっていたその仮説が、もし正しいのだとしたら、ここ最近の団長の不可解な言動の説明がつくのではないだろうか。

(でも、仮にそうだとしても、私なんかじゃよくて愛人くらいにしかなれないだろうし……)

 ニナを愛人として囲いながら、正妻の待つ家へと帰るフレデリックを想像してみた。

(いくら団長でも、それは嫌だわ)

 質屋から出て、再びフレデリックはニナをエスコートして歩き出した。

「そろそろ昼食時だ。なにか食べたいものはあるか?」

 言われてみれば、とニナはそこで初めて空腹を感じた。
 空腹ではあるが、なんだか胸も頭もいっぱいいっぱいで、ニナは食べたいものが思いつかない。

「そうですね……団長は、なにが食べたいですか?」
「俺はなんでも食べられるよ。特に希望がないのなら、俺が選んでいいか?」

 ニナが頷くと、フレデリックはレストランがいくつも軒を並べる区画へと向かった。
 てっきり貴族様御用達みたいな、ニナでは気後れするようなレストランにでも連れて行かれるのかと思ったが、フレデリックが選んだのは温かみのある佇まいの食堂だった。

 あまり外食する機会のないニナが戸惑っていると、フレデリックはその日のオススメからいくつか注文してくれた。

「この店は、魚料理が美味いということで有名なんだ」
「そうなんですね!楽しみです」

 しばらくして運ばれてきた魚介類をつかった料理は、フレデリックの言った通りとても美味しかった。
 野菜のソースがかけられた白身魚のソテーが絶品で、思わず頬を緩めたニナにフレデリックは目を細めた。

「ここは、夜は料理だけでなく酒も出すんだ」
「そうなんでしょうね」

 店の奥に酒樽がいくつもあるのが見えるので、ニナにもそれは予想がつくことだった。

「俺がまだ騎士団に入ったばかりのころ、調子に乗ってヘマをしてしまってな。落ち込んでるところをリンドール先輩が連れてきてくれたのが、この店だった」

 若いころは誰だって失敗するものだ。問題は、それを次に活かせるかどうかだ。もう十分落ち込んだだろうから、美味いものを食べて酒も飲んで、明日からまた頑張れ!とニナの父は若いフレデリックに発破をかけたのだそうだ。

「いかにも父が言いそうなことですね」

 ニナは父がかつてフレデリックを助けたということは聞いていたが、その内容までは知らなかった。

「あれがなかったら、俺は騎士団長にはなれなかっただろうな。下手したら、騎士を辞めていたかもしれない」
「そんな……団長が騎士じゃないなんて、想像もつかないです」
「俺もそう思うよ。俺みたいに、先輩のおかげで騎士を続けられたってやつはたくさんいる。派手に魔物を狩るような、わかりやすい功績はなかったにしても、先輩はそうやって騎士団を支える立派な騎士だった」

 フレデリックの話からは、生前の父の温かな人柄が偲ばれて、ニナの瞳にまた涙が滲んだ。

 国内屈指の剣士であり騎士団長でもあるフレデリックから、騎士としての父を認めてもらえるのはとても嬉しいことだった。
 
「ありがとうございます……団長にそう言っていただいて、父もきっと喜んでいると思います」

 俯いたニナの頬に、チョコレート色の髪がかかった。
 フレデリックの無骨な指がそれを掬いあげ、自然な仕草でニナの耳にかけた。

 驚いて顔を上げたニナの目に、今までで一番甘い笑みをうかべたフレデリックの端正な顔が飛び込んできた。
 いつもの厳つい騎士団長の顔とのあまりのギャップに、ニナの思考はほぼ停止状態になった。

「リンドール……ニナ。今度、一緒に先輩の墓参りに行こうな」

(団長と一緒に!?なんで!?しかも、行くことはもう団長の中で決定してるっぽい!?っていうか、なんでニナって言い直したの!?)

「は……はい……」

(愛人になれって言われたらはっきり断れるのに……団長はどういうつもりなのかしら)

 ニナは戸惑いつつも、とりあえず赤い顔で頷くしかなかった。
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