魔王国の宰相

佐伯アルト

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Ⅱ 魔王国の改革

4節 宰相のお仕事 其の一 ②

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 エイジは元はサラリーマン。デスクワークに慣れているから、判別は速い自信がある。しかし、能力があるとはいえ、まだ魔族語に慣れていない。そんなアドバンテージとハンデが同居する彼が、目を見張るほどの速度で捌いている者がいる。恐らく同じ仕事をしていたならば彼と同速、或いはそれ以上の作業スピードだ。

「す、すごいなシルヴァ……」
「お褒めに預かり光栄です。貴方様のお役に立てることこそ、我が悦び」
「……そうか」

 寧ろ少し怖いくらいだ。辞令かもしれなけれども、その忠誠心はどこから来るのか。そして、自分の立場が脅かされはしまいかと。

__負けてられねえな。ミスしない程度の最高速度で捌いてやる!__

 エイジは半ば一方的にシルヴァに競争を仕掛けたわけだが、そのお陰か数をこなしていくうちに目が慣れ、作業速度は自分でも分かる程に向上していく。やればやるほど速くなり、どんどん集中していく。そんな時__

「宰相殿ォ‼︎」

 突然扉が開け放たれ、悪魔族らしき者が姿を現す。当然__

「どわぁ⁉︎ びっくりしたぁ……ノックぐらいしたまえ君!」
「す、すみませ__ひぃ⁉︎」

 彼が突然変な声を上げるものだから、ギョッとしたエイジが周りを見てみると、凄まじい絶対零度の殺気を放つ者が隣に。

「次にこの方の作業を妨げるようなことがあれば、頭をぶち抜きますよ」
「さ、流石にそこまでしなくていい……あくまで注意喚起に留めておいて」
「承知しました。作業に戻ります」

__この秘書、やっぱヤバいわ__

 抜身のナイフが如き冷ややかさと鋭さが恐ろしい。

「じゃあ……この増えた紙はどけておいて。今日増えた分は明日やる。さっきみたく紙は増えるかもしれないが、とりあえず今は無視。とても終わる量じゃないんでね」

__さて、オレも整理しつつ、少し分かりやすくなった情報に目を通して、色々覚えていきますかね__

 集中し過ぎるのも毒だし、自分自身が急いだってあまり意味はない。もうお手本を見せたし、部下たちはそれを覚えたので、人数分作業が進む。自分一人が急いだところで、全体の効率に与える影響は微々たるもの。何より、整理に集中していては何があったか覚えることはできない。

 自分がすべきことは、部下たちと全く同じ仕事をするのではなく、纏められ分かり易くなった資料に目を通し、内容を覚えて、それをどのように役立てるか考えることだ。そのように思い直したエイジは、一旦整理の手を止めて、報告書に目を通すようになる。

「……へえ、こんなんが」

 先日の調査結果や、論文などを読んでは、ブツブツと呟いたり、唸ったりしている。時折、不審そうな視線を向けられることはあるが、それにさえ気づかない様子で没頭している。

「……っと、集中しすぎた」

 数十分経ったところで、漸く集中が途切れたのか、紙の束を置く。

「ん~、椅子にこんだけ長時間座ってたのは久しぶりだなぁ」

 実に一ヶ月ぶりだ。職場ではより劣悪な環境で長時間仕事をしていたのに、それよりも疲れを感じてしまったようで、驚いた。立って、伸びをしたり体を捻ったり……したところで、何かに気づいたようだ。

「そういえば……さあて、ちゃんとやってる? というか、できてる?」

 自分のことばっかりで、部下達に意識を向けることを忘れていた。立って序でに、部屋の見回りを始める。

 まずはシルヴァの様子を見て、文句のつけようがない満点だと感心。した、が。少し気になる点も。

「シルヴァ、かなり細かいとこまでキッチリやっているな」
「そうかもしれませんが……何か、気になることでもございましたか?」

「いいことではあるのだが。そうすると作業の効率が落ちるんじゃないかなと思って。今はとにかく数が多過ぎるし、八割程度の完成度で、もう少しテキトーにやってかまわない」
「……はい、ではそのように」

 少し間があったのが気になるが、特に反対もされなかったので、流すことにする。それよりも、他の人はどうだろう。緊張させたり邪魔になったりしないように気を配りながら、巡回をする。

「はい君、ちょっと待った」

 一人の方に手を置いて、作業をやめさせると、紙を取り上げて確認する。

「……うん、これアカンね。やり方が違う」

 紙を下ろし、作業していた者と目を合わせる。エイジは少しだけ不機嫌な表情であったが、その切れ長の目で横目遣いされると、睨まれたように感じたらしく怯えの色が窺える。

「もう一度教えよう。不安な点があるなら、きちんと質問することだ。不明点を放置し、感覚で適当な処理をし、それが間違っていたのなら余計な手間がかかることになる」

 注意をすると、激しく叱ることもなく、間違いを回収しつつ正しい手本を見せながら説明する。そして一通り終えると、本当に理解できたのかを聞き、遠慮することはないと付け加えてから見回りに戻る。

「これもなかなか……この内容は、私に相談せず、勝手に処理してはダメじゃないか。これをやったのは誰だ?」
「……私です」

 手が上がったが、それは直前に指摘をした者だった。エイジより見かけが少し若いその青年は申し訳なさそうに、そして今にも泣いてしまいそうな顔をしている。

「私は、この仕事に向いていないのかもしれません……」
「ん? もう諦めてしまうのか? オレはまだ君に期待しているのだけど」

 そこに怒りや失望といった感情は見られず、指摘を受けていた青年はハッとエイジを見上げる。

「ああ、オレを拾ってくれた、バイトの店長が言っていたことがある。……ああ、アルバイトというのは、長期の契約を交わして定職に就くのではなく、短期間だけ不定期で働く非正規雇用の形態だ。まあ、そこの責任者が言っていた。優秀な人材を育てるには時間がかかるんだ。最初から優秀な人材だけを登用し、失敗した奴を切り捨てるのは簡単だけど。最初から使える人なんてほんの一握りだし、使い捨ては勿体無い。だって、失敗の積み重ねあってこそ、真に優秀な人材が生まれるんだもの。じっくりとその人と向き合って、素質を見極めるのが肝要なんだ。大器晩成型かもしれないし、ウチで働いている時に開花するかもしれない。まあ、本当にやばい奴は一眼見ればわかるらしいし、そいつは面接で切り捨てるらしいけどな」

 真っ直ぐ目を見つめると、肩に手を置いてそのような言葉をかける。

「少なくとも今オレは、君がダメな人間だとは思っていない。もう少し頑張ってみようぜ」
「……はい!」

 励ますと、もう一度だけ見回りをして。今度こそ大丈夫だと思うと、自席へ戻った。

「寛大なのですね」
「まだミスを責められる段階じゃない。致命的でもなかった。それに、こんな頼りない上司だものね」

「そんなことはありません。我々がしたことのないような、役立つ経験をされているのですから。そのようなことを言ってくださる上司に出会ったのでしょう。その方を参考にされているのか、エイジ様の対応は素晴らしく__」
「……まあ、ホントはこんなこと言われちゃいないんだけどね」

「え……⁉︎」
「今思いついた自論を言っただけ。他人の受け売りと言っておけば、少しは信用度も増すかなって……まあ、言われずとも、オレへの扱いからそういうふうには思ってくれてたんだろうなって感じられたけどね」

 そこで肩の力を抜き、背もたれに寄りかかる。

「……つーか、オレは人に偉そうな事言えるような人間じゃないんだよね。バイトで弾かれたりクビになったり、就活もダメダメだったし、仕事覚えるのも遅ければミスも多い……ってまあ、こんなこと言ってもわからないよね。まあともかく、オレは然程優秀な人間じゃないし、若いから人を率いて指示を出すなんて経験も無いの。初心者はお互い様で、オレだってどうしたらいいかよくわかんないし~」

 ほんの少し前までは、堅い態度に低い声、そして真剣な面持ちであり、いかにも厳しく冷徹な辣腕上司という感じで、部下達にプレッシャーがかかっていた。それが一転、雰囲気は軟化し態度ものほほんとしつつも弱音を吐いている。この印象の変化に、この場の誰もが当惑してしまった。

「というわけで、あまりオレを絶対視しないように。気になったことがあったり、間違っていると思った時は遠慮なく意見して、批判してくれ。そうしないと、お互いのためにならない」

 それも束の間、すぐに姿勢を正して雰囲気を堅いものに戻すと、忠告もとい要望をして仕事を再開する。

「そうだ、ワークスケジュールを立てないと」

 労働時間の規定、休憩時間や有給。昼夜の二部制ないし三部制や、仕事内容、シフト制かどうか。きっちり決める必要がある。そして、それを他の部署にも指導する義務がある。

「取り敢えず、あちらと同じでいいかな」

 元の職場では、あまり守られることはなかった労働基準法。そうなると、うろ覚えになるかもしれないが、エイジは却って正しく覚えようとしたほどだ。退職したら裁判を起こそうと考えていたくらいだもの。

「後で要望についてアンケート票配ろっと」

 取り敢えず現時点では詰めず、メモに留めておく。何分、他に色々案が浮かぶのだ、部下の面倒も見ねばならず、到底間に合わない。

「ああ、通知を貼るコルクボードなんかを設置したほうがいいな。とすると、クリップや画鋲でも作ってもらうことになるか」

 その道具案を手元の紙に記しつつ。ふと周りを見渡すと、あることに気づく。

「シルヴァ。もしかして、さっきより効率落ちてない?」
「え……あ、申し訳ございません‼︎」

「いや、責めてないよ。むしろ、これはオレが悪いね」
「そのようなこと__」

「どうやら、シルヴァは完璧主義で、几帳面なきらいがあるみたいだね。中途半端にしてしまった仕事が気になっちゃってるんでしょ。だとしたら、程々に済ませて次っていうのは逆効果ってわけだ。……さっきオレが指示出した時、ちょっと間があったね? 人には向き不向きがあり、働き方もそれぞれ。さっきも言った通り、オレは自分が絶対正しいなんて思わない。だから不満とかあったら、ちゃんと言うこと。これは命令。いいね?」
「……かしこまりました」

 そこには、様々な感情が渦巻いているようで、結局何を強く感じているのかは読み取れなかった。

「さて、と。どのくらい経った?」

 一度手元の書類をまとめつつ、部屋の端に置かれた時計を見遣る。その針は、十一時半を示していた。

「聞いてくれ! 伝えたいことがある」

 手を打ち鳴らして立ち上がり、注目を集める。作業していた彼らの手は止まっている。

「取り敢えず今日は、十二時半から一時間、そして十三時から一時間、人員を二つに分けて昼休憩とする。休む者と働く者が半々になるように相談しておくこと! そして、今日の終業は仕事残量に関わらず十八時を想定している。休憩時間と残り時間、そして仕事量を鑑みたペース配分を意識するように!」

 終わりが見えていた方がモチベーションも上がるだろうと考えて、思いついたことをすぐに通知する。その発言に、部下達は休憩がもらえること、そして思ったより早く終わることに驚いたようだ。

 勿論、エイジとて短過ぎて仕事が終わらないだろうとは勘付いている。だが、初日に無理はさせていけないだろうと思ったのだ。

「さて、シルヴァも前半に休むように」

 この生真面目な秘書は本当に休むのだろうかと心配になって、念を押す。彼女は小さくコクリと頷くと、調子を取り戻した速度でズバズバと処理していく。

 そして休み時間、時間ぴったりにシルヴァは退室する。エイジも、休憩と仕事のバランスが取れていることを確認すると、仕事のペースを上げにかかる。
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