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32.アレクセイ
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夫を喜ばせたい。何が何でも喜ばせたい。
半ば意地になりつつ、サリサはエルフの暮らしを纏めた本に目を通していた。書庫で見つけて、借りてきたのである。
すると、今までは知らなかった彼らの様々な顔を発見することができた。
エルフとは光妖精と人間の子であり、誇り高く人間嫌い。とても厳格な性格……というのがサリサの認識だった。
が、マルリーナ国以外で発行されたその本によると、享楽的な性格で文学、音楽、美術など芸術をこよなく愛する人々なのだとか。
それに加えて美食家。本来エルフは食事を必要とせず、妖精と同じように空気中に漂う魔力元素を体内に取り込むだけで充分なのだが、『食べる』という行為を楽しむ者が多い。
人間に対しても好意的で、けれど一年中温暖な気候のレイティスから他国に移住するエルフは殆どおらず、そのせいで人間嫌いと誤解されるようになったそうだ。
(享楽的な性格で、美食家……)
ヴィクターとは正反対。アグリッパとハイドラと違い、彼は食事を摂ろうとさえしない。
そうなると、彼の好物を作るという作戦も難しいだろう。
(うーん。疲れた頭で考えても、思いつかないかな)
一日中悩み続けていたせいか、頭がくらくらする。
今夜はもう考えるのはおしまい。本当はこのまま寝た方がいいのだけれど、サリサは引き出しの奥に隠している本を取り出した。
アグリッパが貸してくれた『花畑で微笑むあなた』。
ヴィクターとハイドラに見つからないように、毎日寝る前にこっそり少しずつ読み進めているのだ。
ヴィクターはこの本を酷評していたが、サリサが抱いた感想はアグリッパとほぼ同じだった。
まず文章がとても読みやすい。レイティス語を覚えたてのサリサでも、流れるように読むことができる綺麗な文だ。
物語は美しく、儚い。
主人公は花の女神の娘で、女神の領域である花畑の中でしか生きられない上に寿命も短い。
そんな彼女と、行方不明の親兄弟を探して旅を続けるエルフの青年が出会う……というものだ。
ようやく三分の一を読み終わるところなのだが、いずれ訪れる離別を予感させる展開。
それでも、この二人の結末を見届けたいと思わせてくれる素敵な本だ。
今夜は何ページ読もう。時間と自分の眠気と相談して決めようとしていると、
──アレクセイ曰く、これはティア・クリスタルの蜜漬けなのだという。彼は「エルフならどんな者でもこの味の虜になるのさ」と言って笑った。
という文章が載ったページを開いた途端、紙から濃厚な蜂蜜の香りが漂ってきた。魔法によるものなのだろうか。
それに、エルフならどんな者でも虜に……。甘い香りを嗅ぎながらサリサは暫く考えを巡らせた。
「ティア・クリスタルの蜜漬けぇ? お前あんなもん食べたいのか?」
翌日ハイドラと二人きりになった時に尋ねると、彼女は顔をしかめた。
予想とは真逆の反応にサリサはあれ? と首を傾げる。てっきり笑顔で話に乗ってくれると思ったのだけれど。
「あれって匂いはいいんだが、味も食感もちょっとな。私はあんまり好きじゃない」
「エルフならどんな人でも虜になるってお聞きしたんですけれど……」
「前にアグリッパが一口食って、笑顔で『無理です』って言ってから珈琲がぶ飲みしてたぞ」
「あぁ……」
もしかしたらこれならヴィクターも、と思ったがとんでもない。どうやらアレクセイの味覚はかなり独特のようだ。
また振り出しに戻ってしまったと落胆していると、
「あんなのを喜んで食う物好きはヴィクターくらいだな」
「え……えっ!?」
「昔から小食だったあいつも、あれだけはガキの頃によく食っていたんだと。あー、そのことずっと忘れてたわ」
埃を被っていた記憶を引っ張り出して、うんうんと頷くハイドラ。
重要な証言を得られてサリサは、『花畑で微笑むあなた』のエルフに感謝した。
(アレクセイ、ありがとう。あなたのおかげでヴィクター様の好きなものが分かったよ!)
しかし問題はここからだった。
「でもティア・クリスタルなぁ……」
「貴重な果物なのですか?」
「レイティス国内でしか栽培されていない果物なんだよ。えーと……殻燃やして食べるやつあるだろ?」
「はい。色んな味がする果物ですよね?」
「あれはティア・ドロップな。ティア・クリスタルってのはその仲間で、殻を燃やして実を取り出すまでは同じなんだが、乾燥させて水分を抜き切ってからじゃないと食えない」
「…………」
ドライフルーツにしないと食べられない果物。しかもレイティスに行かないと入手できない。
これは欲しいと言える雰囲気ではない。諦めようとするサリサだったが、
「……ティア・クリスタル、買って来てやろうか?」
「いいんですか?」
「月に一度、レイティスに戻って報告書を出さなきゃいけないんだよ。そのついでにな」
「ありがとうございます、ハイドラ様!」
思わぬ申し出に笑顔になるサリサだったが、その様子を見てハイドラはこんな提案もした。
「……サリサも来るか?」
「え?」
「レイティスがどんなところか興味あるだろ? お前が行きたいっていうなら連れて行ってやる。街の中を自由に出歩かせることはできないと思うが」
「よ、よろしくお願いします……!」
いつかレイティスに行ってみたい。
密かに抱いていたその夢が叶うことになり、サリサは大きく頷いた。
半ば意地になりつつ、サリサはエルフの暮らしを纏めた本に目を通していた。書庫で見つけて、借りてきたのである。
すると、今までは知らなかった彼らの様々な顔を発見することができた。
エルフとは光妖精と人間の子であり、誇り高く人間嫌い。とても厳格な性格……というのがサリサの認識だった。
が、マルリーナ国以外で発行されたその本によると、享楽的な性格で文学、音楽、美術など芸術をこよなく愛する人々なのだとか。
それに加えて美食家。本来エルフは食事を必要とせず、妖精と同じように空気中に漂う魔力元素を体内に取り込むだけで充分なのだが、『食べる』という行為を楽しむ者が多い。
人間に対しても好意的で、けれど一年中温暖な気候のレイティスから他国に移住するエルフは殆どおらず、そのせいで人間嫌いと誤解されるようになったそうだ。
(享楽的な性格で、美食家……)
ヴィクターとは正反対。アグリッパとハイドラと違い、彼は食事を摂ろうとさえしない。
そうなると、彼の好物を作るという作戦も難しいだろう。
(うーん。疲れた頭で考えても、思いつかないかな)
一日中悩み続けていたせいか、頭がくらくらする。
今夜はもう考えるのはおしまい。本当はこのまま寝た方がいいのだけれど、サリサは引き出しの奥に隠している本を取り出した。
アグリッパが貸してくれた『花畑で微笑むあなた』。
ヴィクターとハイドラに見つからないように、毎日寝る前にこっそり少しずつ読み進めているのだ。
ヴィクターはこの本を酷評していたが、サリサが抱いた感想はアグリッパとほぼ同じだった。
まず文章がとても読みやすい。レイティス語を覚えたてのサリサでも、流れるように読むことができる綺麗な文だ。
物語は美しく、儚い。
主人公は花の女神の娘で、女神の領域である花畑の中でしか生きられない上に寿命も短い。
そんな彼女と、行方不明の親兄弟を探して旅を続けるエルフの青年が出会う……というものだ。
ようやく三分の一を読み終わるところなのだが、いずれ訪れる離別を予感させる展開。
それでも、この二人の結末を見届けたいと思わせてくれる素敵な本だ。
今夜は何ページ読もう。時間と自分の眠気と相談して決めようとしていると、
──アレクセイ曰く、これはティア・クリスタルの蜜漬けなのだという。彼は「エルフならどんな者でもこの味の虜になるのさ」と言って笑った。
という文章が載ったページを開いた途端、紙から濃厚な蜂蜜の香りが漂ってきた。魔法によるものなのだろうか。
それに、エルフならどんな者でも虜に……。甘い香りを嗅ぎながらサリサは暫く考えを巡らせた。
「ティア・クリスタルの蜜漬けぇ? お前あんなもん食べたいのか?」
翌日ハイドラと二人きりになった時に尋ねると、彼女は顔をしかめた。
予想とは真逆の反応にサリサはあれ? と首を傾げる。てっきり笑顔で話に乗ってくれると思ったのだけれど。
「あれって匂いはいいんだが、味も食感もちょっとな。私はあんまり好きじゃない」
「エルフならどんな人でも虜になるってお聞きしたんですけれど……」
「前にアグリッパが一口食って、笑顔で『無理です』って言ってから珈琲がぶ飲みしてたぞ」
「あぁ……」
もしかしたらこれならヴィクターも、と思ったがとんでもない。どうやらアレクセイの味覚はかなり独特のようだ。
また振り出しに戻ってしまったと落胆していると、
「あんなのを喜んで食う物好きはヴィクターくらいだな」
「え……えっ!?」
「昔から小食だったあいつも、あれだけはガキの頃によく食っていたんだと。あー、そのことずっと忘れてたわ」
埃を被っていた記憶を引っ張り出して、うんうんと頷くハイドラ。
重要な証言を得られてサリサは、『花畑で微笑むあなた』のエルフに感謝した。
(アレクセイ、ありがとう。あなたのおかげでヴィクター様の好きなものが分かったよ!)
しかし問題はここからだった。
「でもティア・クリスタルなぁ……」
「貴重な果物なのですか?」
「レイティス国内でしか栽培されていない果物なんだよ。えーと……殻燃やして食べるやつあるだろ?」
「はい。色んな味がする果物ですよね?」
「あれはティア・ドロップな。ティア・クリスタルってのはその仲間で、殻を燃やして実を取り出すまでは同じなんだが、乾燥させて水分を抜き切ってからじゃないと食えない」
「…………」
ドライフルーツにしないと食べられない果物。しかもレイティスに行かないと入手できない。
これは欲しいと言える雰囲気ではない。諦めようとするサリサだったが、
「……ティア・クリスタル、買って来てやろうか?」
「いいんですか?」
「月に一度、レイティスに戻って報告書を出さなきゃいけないんだよ。そのついでにな」
「ありがとうございます、ハイドラ様!」
思わぬ申し出に笑顔になるサリサだったが、その様子を見てハイドラはこんな提案もした。
「……サリサも来るか?」
「え?」
「レイティスがどんなところか興味あるだろ? お前が行きたいっていうなら連れて行ってやる。街の中を自由に出歩かせることはできないと思うが」
「よ、よろしくお願いします……!」
いつかレイティスに行ってみたい。
密かに抱いていたその夢が叶うことになり、サリサは大きく頷いた。
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