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「沙弥お嬢様~!」
「八千代?」
「そうでございます!八千代でございますよ、お嬢様!」

 沙弥は、深夜直之と話をしてから、もう一眠りに着いて起床すると、幼い頃にうろ覚えていた八千代と万智が、涙を流し、沙弥に抱き着いて来た。

「お労しい、沙弥お嬢様………」
「お綺麗になられましたね、お嬢様」
「八千代………万智………ゔっ………ひっく……」

 沙弥も八千代と万智を抱き締め返すが、力が出ない。飲まず食わずで、二日間寝込んでいたのだ。薬や点滴で一命を取り留めたと言える。

「感動の再会中悪いがな………沙弥さんに粥ぐらい食べさせてやってくれ。起きれたんだから何か胃に入れないとな」
「そ、そうでした………さぁ、お嬢様………温かい粥です………固形物はまだ難しいと思いますから」
「た、食べて良いのですか?」
「遠慮はしなくていい。食べたら、弁護士と話をさせてくれ」
「弁護士、ですか?」

 八千代に粥を渡され、口に運ぶ沙弥。
 昨夜の時と比べ、視界もはっきりしてきた沙弥は、始めて直之と目が合った。
 端正な顔立ちに、ガッチリとした体型のスーツ姿の直之。
 沙弥が知る男の体型より、鍛えていそうな男だった。

「そう、君の弁護士だよ」
「私………弁護士先生に知り合い等居ませんが………」
「正確には、君の祖父。風祭 貞継殿の弁護士で、西園寺家の弁護士もお願いしている人だ。今後、沙弥さんの弁護士も引き受けて下さる」
「私、雇える程のお金等ありません!」
「貞継殿の遺産で支払われているから大丈夫だ………全く……本当に何も教えられてないんだな………何から話せば良いか………」
「失礼します、直之様………田辺先生がお見えになりました」
「早いな………連絡を入れてから一時間も経ってないぞ」
「お通ししますか?」
「あぁ、頼む」

 沙弥がまだ落ち着けているのは、八千代や万智が傍に居るからだが、もし直之と二人きりで弁護士と話さなければならないのなら、沙弥はどう話せばいいのか分からない、と粥を食べる匙を置いた。

「沙弥お嬢様?………もう少し食べませんと」
「八千代………傍に居てくれる?」
「はい、勿論でございます。八千代はもうお嬢様から離れませんからね」
「……………八千代……」
「あらあら、泣き虫は変わらないのですね、お嬢様」

 八千代に涙を拭かれる沙弥。
 記憶の片隅にあった、沙弥をいつも香子から守ってくれた事を思い出しつつあった。
 母の記憶は無い沙弥には、八千代や万智が母代わりだったからだ。甘える存在が居てくれて沙弥は風祭家で無かった安らぎを感じる。
 そんな沙弥と八千代を見て、優しい笑顔を向けた直之に対し、弁護士が来た事を伝えに来た智史が再び声を直之に掛けた。

「鼻下、伸びてますよ、直之様」
「っ!」
「正念場なんですから、しっかりして下さいよ。田辺先生、此方に」
「おはようございます。西園寺様」
「す、すいません、田辺先生。朝早くご迷惑だったのでは」
「いえ、貞継様のお孫さんであられる沙弥様に会えると思えば直ぐに参りますよ…………あちらが………沙弥様……」
「えぇ………少し待っていて貰えますか。今食事中で」
「構いません………しかし、沙保里様に似ておられますな」
「そうなんですね、俺はお会いした事はなくて………父からは綺麗な方だった、とぐらいしか」

 部屋の入口で直之が田辺と話しているのに、沙弥は漸く気が付いた。

「あっ…………も、申し訳ありません!」
「沙弥さん、食べ終わった?」
「は、はい!美味しく戴けました。ごちそうさまです」

 寝台の方へ、椅子を運ばせた直之は田辺と座った。

「紹介する。弁護士の田辺先生だ。これから、何かと君はお世話になるだろう」
「よ、宜しくお願い申し上げます」
「田辺と申します。近くで拝見すると、やはり沙保里様に面影が似ておられますな、沙弥様は」
「母の名ですか?沙保里という人は………すいません………私、母の名も知らなくて………」
「沙弥さんはお父さんから聞いてないんだ」
「……………父とは……話出来ませんでした……声を聞くのは私を怒る時だけで………」
「「……………」」

 それが、父親のする事なのか、と直之と田辺は絶句する。
 そして、八千代と万智は目頭を押さえていた。
 沙弥も思い出すのは辛く、顔を俯かせてはいるが、涙は出ない。父親として思えないのかもしれない。ただ、名前も分からないのでと呼ぶだけの存在。

「じゃぁ、祖父の貞継殿の名も知らなかったと?」
「初めて聞きました。屋敷に肖像画は飾られていて、その方が祖父なのかも知りませんし、祖父なのかな、とぐらいしか………私は字も教えて貰えなかったもので、肖像画の下に字が書いてありましたが、読めなかったですし」
「え?字が読めないのか!」
「す、すいません…………学校も通わせて貰えませんでしたから」
「……………先生……」
「読めない人もまだ多いので、沙弥様が謝られる事はございません。教育をさせなかった豊信氏………お父上ですが、豊信氏が悪いのです」

 貴族の子息、令嬢なら学問を学ぶ学校に通わせる親も多いのに、沙弥は学校にも行けていないのも、豊信が徹底して沙弥への教育、育児を放棄している様にしか感じない。

「豊信…………そんな名なのですね、お父様は………継母や義妹弟の名は知っていましたが………」
「少しずつ、読み書きを覚えていけばいい。今からでも遅くはない」
「……………出来るとは思えません……お父様やお義母様に頼み事も出来ない身なので………」
「風祭家で勉強するんじゃない。この西園寺家で覚えていけばいい。何なら教師を付けてやる」
「え?…………あ、あの私………風祭家に帰れないのですか?療養の為に此方に間借りしているのでは…………」
「う~ん………本当に何から話せば、複雑にならず理解出来るか………」

 直之が、本当に沙弥に全てを打ち明ける手順に頭を悩ましている様だった。
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