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第三十一話 告解

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 ググ、と、掠れた、低い声が、喉奥にくぐもって、それを聞いているこちらの方が、腹部を刃物で刺されたような気分になる。

 じっとりと、ひりつくような、濃密な魔力を感じた。きっと彼は必死で抑えている。一年生の時の学年末パーティーの時のように、心が荒ぶって仕方ないのだろう。

「私の本音を、兄は察しているのです」

「あの日、君が急に苦しみだしたのも……」

「お察しの通りかと存じます」

「よく見せてもらえるだろうか」

「はい」

 頭を後ろに傾け、首元を晒す。レナンドルは無感情の瞳で痣を見つめ、大きく息を吸った。

「ウスターシュ・プリエン……!」

 絞り出すような憤怒の声で、私の兄げどうの名を呼ぶレナンドル。心がざわめいて仕方なかった。あの男にだけは、関わってほしくない。あの男は、貴方の高邁な魂を踏みにじって悦に浸るような、悪意の権化だから。

「よしんば合意だったとしても、あまりに悪質な、古式めいた呪いだ……っ」

「……本来なら、合意の上か、よほどの力量差が無ければ、成立することのないものでしょうね」

「つまり、合意の上でも、力量差があったわけでもない、と」

 合意であってたまるものか。

 この呪いは、両者間の魔力を深く同調させることで成り立つ、前時代的な様式の魔法だ。

 血縁関係でない限り、他人同士が魔力を深く同調させる、ありきたりな方法など、ひとつしかない。

 忘れもしない、学園入学前夜。あの男に女としての尊厳を完膚なきまでに踏みにじられた、忌まわしく、呪わしい、最悪な人生でさらに最悪だったあの日。

 思えばあの日、私は、決定的に何かを欠落させてしまったような気がする。それまでは少なからず心に燻らせていた、自分が自分として生きる期待を、さっぱり捨てたのは、きっと、あの日だった。

 女でさえなければ、と……無意識に抱えていた、そんな忌避感の輪郭がむざむざと露わになって、私は腰まで伸ばしていた髪を始めて短くしたのだ。

「……あるにはあるんだ。今すぐに、この呪縛を打ち砕く方法」

「はい」

「きっと、君も、分かっているんだよな」

「……身内の蛮行を、この命をもって償うことができたら、どんなに良いことでしょう」

「君の苦しみを知ってなお、自分の願望を押し付ける事しかできない私を、許してくれ」

 レナンドルはそう言って私の身体を抱き寄せ、深い絶望を滲ませた瞳で微笑んだ。

 私はただただ打ちひしがれながら、彼の口づけを受け入れた。

 私の体内に直接レナンドルの魔力が流れ込む。

 あの男は赤い魔鉱石の暴虐の力を使って隷属の契約を一方的に結んだ。

 しかし、レナンドルの力は、なおも圧倒的だった。みるみるあの男の魔力は押し負けていき、呆気ないほどの間に、呪縛は打ち砕かれた。

 一夜の悪夢が、一条の煌めくまたたきに、いとも容易く一掃されたのである。

 悲しいほどに優しい、しかして苛烈な御業。清々しさのあまり、細胞すべてが作り変えられていくかのような気分であった。

「すべてをお話します。プリエンが犯した禁忌の術……プリエンの赤い魔鉱石について」

 レナンドルは何も言わずに頷いた。

 +++

「そもそも、私は、ノースどころか、ニンフィールド生まれですらありません。若干7歳の時、プリエンによって大陸からノースに連れ去られた実験体のうちの一体です」

 誰もが寝静まり、暗闇に包まれた植物園にて。小さなキャンドルをともしたテーブルを囲み、開口一番そう打ち明けた私の言葉に、レナンドルは絶句した。

 さもありなん、婚約者としてプリエンから遣わされた女が、プリエンの血族ですらなかったというのだから。

 まあ、今の私に、大陸で過ごしていた時の記憶など一つも残っていないけれど。ノースに連れ去られて来た時点で、たちのそれまでの人生の記憶は、不要なものとして処理されるのだ。私も例外ではない。ただ、原作の知識を持っているだけ。

「大陸の肥沃な資源力にものを言わせた魔導テクノロジーの発展に危機感を覚えたプリエンは、国土の限られた島国であるニンフィールドの乏しい資源力を問題視しました。プリエンが目を付けたのは、ニンフィールドにおいて伝説的に語り継がれて来た、加護の古代魔法……生命の輝石です」

 生命の輝石。魔法がまだ人類の手から離れていなかった時代から伝わる、御伽噺のような魔法だ。

 自分でない他人のために自分の命を消費するという強い意志が発動の条件となる魔法で、自分の生命力を、有形の魔力エネルギー……すなわち魔鉱石に変換させるというもの。

 その魔鉱石によって拵えられた指輪は、任意の人間にしか使用を許さない代わりに、選ばれた人間が使用すれば、無比の力を発揮できると言われている。

「プリエンの血族の魔法使いは、人心や記憶を操作する魔法に長けています。きっかけは、ウスターシュ・プリエンが、7歳になったばかりで存在が公表されていなかったプリエン家次子を魔法で操り、生命の輝石に変えてみせたことからでした」

 そもそもプリエンが大陸から魔法の素質がある子どもたちを連れ去ってきていたのは、それ以前からの話だ。

 ニンフィールドにおいて、法的に人間として認められるのは、7歳からと定められている。

 何故なら、魔法使いが魔法の素質を発現させるのが、7歳前後だから。この国においては、魔法が使えてこそ、ようやく人間として認められるのである。

 ニンフィールドが魔法使いだけの楽園たるゆえんは、ここにある。

 実は……と言うより、当然、ニンフィールドにおいても、魔法の素質を持ち得なかった人間は生まれるのだ。ただ、その存在を国民として認めず、島外に放逐していただけ。

 そして、プリエンは古来、そんな、上流階級の家門向けに、大陸から攫ってきた、魔法の素質を持つ子どもを、秘密裡に斡旋してきたのである。

「生命の輝石が人為的に作れると分かったプリエンは、大陸から攫ってきた子どもたちを、その実験に使いました。そんな、子どもたちの生命力を搾り取って精製された魔鉱石こそ、リューシェ様に傷害を加えたあの生徒が言っていた、プリエンの輝石です」

「すまない、席を外す」

 レナンドルはやや上ずった声で断り、足早に駆けて行った。蒼白を通り越し、絵の具のように真っ白な、酷い顔色だった。

 私はその間に自室へ向かい、学園に戻る直前、あの男から着用を強要されたネックレスを手に取って戻った。ひときわ赤く、禍々しく光る魔鉱石が5粒。

 何も知らず、私をお姉ちゃんと慕ったあの子たちの人数も、5人だった。

 私の偽善を押し付けてしまった、あの子たち。こうなってしまったからには、せめて。私の手で、プリエンに、全ての恨みの報いを受けさせる。

「こうして、プリエンの支配から逃れた以上、私はノースに戻れません。ですが、数えきれないほどの罪なき命が、プリエンの妄執の犠牲になっていったことを知りながら、自分ばかりがのうのうと逃げ延びるわけにはいかない。プリエンの全ての悪事を白日の下に晒し、ノース……いえ、ニンフィールドに蔓延る選民意識を打ち砕くため、この身を捧げる所存です」

「君一人で、全てを背負うつもりだったのか」

「……貴方が私の手を取ってくださらなければ、その時は、何もできず、連邦についた貴方から断罪を受ける日を夢見ながら、ただ罪に塗れて生きていくだけだったでしょう。貴方のおかげで、覚悟を決めることが出来たのです」

 私は机の上に件のネックレスを出し、首を垂れた。耳に痛いほどの言いたげな静寂が喉を痺れさせる。鼻の奥がツンと痛んだ。

「厚かましい願いであることは重々承知で申し上げます。この赤い魔鉱石を検出し、無力化する方法を確立させるため、ご助力いただきたいのです。ゆくゆくは、この魔鉱石の危険性を示し、違法なものとして摘発できるように」

「もう、これは、君だけの問題じゃない。ブランシュに生まれた私も、この罪悪を看過していた側の人間だ。これ以上、君だけに背負わせるものか」

 レナンドルは立ち上がって、私の傍らに膝をつき、悲壮な覚悟を宿した瞳でそう言った。

 要らぬ罪悪感を抱かせてしまったと、後悔に苛まれる心にどうにか蓋をする。

 後戻りはしないと、そう決めたから。
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